1・罪と情事は円舞曲の後で

 アイシア・ルベランの逮捕を見届けると、俺たちは次なる容疑者の下へと向かう。現場から三十分ほどの戸建てらしい。

 ヘデラが抜けた穴を補うのは見慣れた警官。背の高いヘビースモーカーの、グレシアの父親代わりの男だ。


「にしても、お前らしくねぇな」

「何がだい?」

「あのままアイシア・ルベランの匂いをヘデラに覚えさせて泳がせて、取引の場面押さえるぐらいなら出来たろ?」


 息を吸うように煙草を吹かすディギタスが言うのは、先程の件について。

 確かに、ヘデラ・ヘリックスの異能であればディギタスが言う事も出来ただろう。何故しなかったのか、俺自身も気になりグレシアの言葉に耳を傾ける。


「あのタイプは追い詰めればすぐ自供するから。それに、麻薬取引なんて大規模で一斉検挙しないとすぐに逃げられるよ。得てして取引を現場でしているのは一番の下っ端だからね」

「そうかい」


 ポケットに手を入れたままのディギタスは、ぶっきらぼうにそう返した。

 市場などがある大通りに比べて、閑散とした住宅街に踏み入る。通りを歩いている人間の身なりも、それなりに金額が掛かるだろう服装に変化してきた。中には、犬を連れ散歩している者もいる。

 手中のメモと周囲を交互に視界に収め、ディギタスが白い家の前で立ち止まる。


「四一レイターストリート。ここだな」


 白い漆喰に濃い灰色の屋根。砂利の上には黒い四角形の飛び石が玄関までの道を形作っている。

 塗装が剥げ掛けた青い郵便受けは所々に錆が見える。

 中身はどうやらそこそこ。何枚かの便箋が収まっているのが隙間から見える。そう言えば、紙の値段の多寡はどうやって見定めるのだろうか。グレシアに訊くのを忘れていた。

 無邪気に飛び石を片足で跳び飴色の髪の少女が玄関のドアへと向かい、俺とディギタスが後から続く。こうしてみると年相応の少女のようだ。彼女のその可憐な顔の裏に、最高峰の頭脳が詰まっているとは、先程のやりとりを実際に目の当たりにするまでは信じられなかっただろう。


「ガキくさ……」

「十四だからね。ディグ?」

「分かってる」


 煙草を舌で消し、ディギタスがドアノッカーを叩く。昨日の今日で、予期していたのだろう。特に慌てた様子も無く、家主が姿を現した。


「お待ちして……あれ、ラナトシドさんは良いとして、どなたです?」


 アッシュブランの髪の好青年が困ったような表情を浮かべている。青い眼は俺と、グレシアとディギタスを代わる代わるに捉えていた。

 下級院とはいえ、議員は覇気が必要な仕事だと聞いたが、どうやら私生活では普通の同年の青年と大差無い。


「私立探偵のグレシアと申します。以後お見知りおきを」

「探偵? この子が?」


 信じられない、信じて欲しくば証拠を見せろ。とでも言いたそうな表情だ。

 客観的に見ればこの容姿だと無理も無いだろう。甘やかされ、容疑者に聞き込みする現場に連れて来てもらったディギタスの娘。と説明された方が納得がいく。

 ただもう慣れているのだろうグレシアは、その程度では笑顔を崩さない。


「ヴェリタス探偵事務所のグレシア・ユーフォルビア。と名乗った方がよろしいですかね?」

「あ……。あの、真理に咲く薔薇ウェーリタース? 有名人じゃないですか」

「光栄です。ですがその渾名は少し気恥ずかしいですね。それは新聞社の者が許可無く書いたものですので」


 下級院議員、カート・ガルバートはテーブルを挟んで丸椅子に座し脚を組み、左手に持った紅茶の香りを楽しむと、自身に満ちた表情で俺たちに視線を向ける。

 被害者ダン・シーカーとは、アイシア・ルベランと同じく大学時代の級友だったらしい。その上その大学は、グレシアが非常勤講師として採用された大学と同じだというのだから、世間は狭いものだなと勝手に納得する。


「それでは念の為、もう一度事件当日の夜のことをお聞かせ願えますか?」

「えぇ、何度でも構いませんよ。それで僕の疑いが晴れるなら」


 警察と探偵少女を前に、流暢にカートは自らの行動を遡る。


「その夜は……えっと」

「大丈夫です、既に私も聞いた話なので」

「では。その夜はその、娼館に行きましてね。行きつけの場所があるんです。出たのは零時丁度くらい、いや、ちょっと前だったかな。途中ちょっと水を零したりしちゃいましたけど、二時間程相手してもらって帰りました。それだけですよ。そもそも、あんまり夜に行動するタイプじゃないですからね」


 人前だからか、煙草も無く背筋が伸びているディギタスがグレシアに耳打ちする。


「既に相手をした娼婦と、女将には確認に向かってる」

「分かった。ありがとうディグ。成程、そしてその行動を証明する人間もいる、と言う事ですね? 道理で、自信をお持ちになっている訳です」

「えぇ。僕は犯人じゃありません。話す度にそれが証明されるんですから、何度でも話させていただきますよ。容疑者として警察の聴取を受ける。なんて貴重な経験、一生に一度かも知れませんからね」


 この状況を愉しんでいる。そんな様子だ。

 本当に犯人ではないから、この状況も小説の中に入ったとでも思い堪能しているのか。それとも、完璧な殺害計画という盾を構え、推理の剣先を振るうグレシアの様子にほくそ笑んでいるのか。

 クッキーを食べ、テーブルに乗せられた俺の分の紅茶を取ろうと前傾姿勢を取ると、グレシアがこちらの様子を横目で捉え、すぐに視線を前に戻す。

 なんだ、と思いながら茶を呷る。


「ローラス、飲み干せ」


 すると、グレシアは髪を揺らし前髪をのける素振りをすると同時に、口が一瞬俺に近付いた瞬間を狙い耳打ちした。

 茶を、飲み干せ。

 それは捜査に関係ある事なのだろうか。カートに気付かれないように耳打ちしたことから、恐らくそうなのだろう。だが、素直に言われた通り従うのは癪だ。

 そう思いながらも、一応上司の指示を実行に移そうとした時、ふといい考えを思い付いた。


「おぉっと!」


 俺は飲みかけのカップを机に置く軌道上で、わざと手を離す。

 甲高い音を立ててカップが割れる。紅茶が飛沫となって散り、俺のズボンの裾にもじんわりと温かい感触が触れる。そしてそれらの大部分は、カーペットに飛沫の形を描き染み込んでいく。

 カートも、カートの注目を雑談で集めていたディギタスも、指示を飛ばしたグレシアも、ここにいる全員の注目が俺に向いた。


「悪ぃ! 落としちまった」

「なら仕方ないねローラス、少し待っていてくれ。カートさん、この度は部下の不始末、申し訳ございません。私の不徳の致すところです。申し訳ないですが、適当な布をお貸ししていただけますか?」

「えぇ、分かりました。僕も手伝いますよ」


 グレシアとディギタスが席を立ち、遅れてカートと促された俺が紅茶が零れた場所から離れる。椅子をどかし、机をずらしながらグレシアが声を発する。


「有難い申し出ですが、大丈夫です。部下の不始末は私の責任。このグレシアが責任を持って対処させて頂きますから」


 そうして、布を取りにカートが違う部屋へと消えていく。グレシアは腕を組みながらそれを見届けると、今度は俺の眼を呆れたような表情で見つめる。

 カートは騙せたようだが、指示を飛ばした張本人は、俺が指示を無視したのがバレているようだ。


「飲み干せ、と言った筈だけど?」

「そうしようとしたさ。ハッ、手が滑ってな」

「……まぁ、目的は達したからいいけど。次からは指示通りやってくれよ? 君は正式な私の助手なんだからね」

「分かってるよ」


 グレーの布を持ってカートが戻って来る。

 違和感のある歩き方だ。よく見れば、左足の歩幅が身日よりも大きく見える。独特な癖だろうか、と思った矢先だった。

 カートが躓いて体勢を崩し転倒するのを、まるで予期していたかのようにグレシアが受け止めた。布が手元から飛ぶようにして離れ、俺の頭の上に乗る。


「おっとっと! 大丈夫ですか?」

「あ、ありがとうございます」


 グレシアに捕まるようにして、カートは体勢を整える。その間にディギタスは俺の頭から布を取って簡単に畳み、グレシアに手渡す。


「あ、失礼。洗面所をお借りしても? 濡らしたいので」

「えぇ。向こうです」

「ありがとうございます」


 グレシアは例を告げると、張り付けたような微笑みを浮かべながらカートが指差した方向へと向かった。

 その瞳が虹色に輝いていたことに気付いたのは、きっと俺たちだけだろう。

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