2・ウエイトレスとらりるれろ

「付き纏いに気付いたのはいつから?」

「一か月前くらいです。最初は仕事の帰りに、誰かの気配がするなって程度でした。でも、少し前から郵便受けに手紙が届くようになって……」


 彼女は、言葉を区切る。怯えたような表情を浮かべ、不安げに唇が震えている。


「見せて頂けますか?」

「はい。今持ってきますね」


 アイシアが別の部屋へと消えていくと、ヘデラがグレシアに耳打ちする。

 中心のグレシアに、左隣にいる赤髪の警察が身体を倒すように。当然、すぐ右隣の俺にもその声が耳に入る。


「どうです?」

「どう、とは?」

「分かって聞いていますよね」

「冗談。……完全に白だね。だが、黒でもある」

「……説明して頂いても?」


 彼女がいない間は、猫を被るのはやめたらしい。

 脚と腕を組み、部屋の隅々を忙しなく見回しながら、彼女は髪先の白い部分を弄り始める。


「彼女と対面してから、何か気になった事は?」

「……特には無いです。強いて言うなら、よく飲み物を飲むお方だな。とは」

「ローラスは?」

「無い」


 回答してから考えるも、やはり何も無い。そんなこと、意識してもいなかった。

 席を外している人間を思い浮かべる。

 垂れた目に、瑞々しい唇。豊満な胸と仄かな甘い香。魅力的な人物に見える。彼女が綿密な計画の下、密室での殺人を成し遂げた。とは、どうも考えられない。


「残念だローラス。ヘデラは惜しいね。彼女には幾つものが見受けられる」

「宥め行動?」

「肉体と精神は対になる存在。疲れた時には気分が滅入るように、精神による影響を肉体も受けるものさ。宥め行動は、精神に強い負担が掛けられた時に無意識化で行われる行動の事だよ。唾液の分泌量、血液の流れとかに起因するんだけ……――――」

「アイシアさんが帰ってきてしまいますよ?」

「あ、ごめん。簡単に言うと、嘘を吐いた証拠さ」

「なっ……」


 言葉が詰まる。同時に、彼女が去った部屋より何枚かの便箋を持ったアイシアが現れた。

 何故だか彼女が来るのを察知していたのか、グレシアはいつの間にやら足組みも、いつもの癖も解いていた。


「お待たせいたしました。お話しされていたようですが、何をお話していたんですか?」

「最近の私の大活躍についてですよ。これでも新進気鋭の名探偵、でして」

「ふふっ……。その勢いで、この事件も解決していただけるとありがたいですね」

「えぇ。ですので、どうやら貴女の嘘も分かってしまったようです」


 ソファーに腰掛け便箋をテーブルに置き、再びカフェオレを口にしようとしていた彼女の動きがピタリと止まる。暖かなこの空間に、冷たい緊張の糸が走った。


「……何の事です?」

「随分と温かい部屋ですね。暑いくらいです。ここの気温はまさに、初夏の日中の気温にも迫りましょう」

「寒がりですので」


 グレシアは、苛立ちを隠そうともしないアイシアの視線に一切動じること無く、部屋をゆっくりと見回す。


「それに、随分と植物がお好きなようだ。見たことの無い物もある。南の物でしょうか、暖房はこれらの植物の為ですかね」

「…………えぇ、輸入したものもありますから」

「そう言えば先日、麻薬の取引現場の目撃情報があったとそこのヘデラより聞きましてね。ご存じですか? 丁度のその日は、この事件と同じ日だったそうです」

「……何が、言いたいんですか?」


 ぴりと、緊張が強まる。


「アイシア・ルベランさん。貴女、違法薬物の栽培と取引をしていますね?」

「……」

「取引相手と共謀して、付き纏い被害をでっち上げるとは考えましたね。その手紙はレストランの客から貰ったものでしょう」

「仰っている意味がよく分からないですね。私が麻薬取引をしていたとでも?」


 グレシアは観葉植物に視線を向ける。

 対して植物を知っている訳では無いが、どれも見たことのない葉の形をしている。


「そう言えば、ここの気温はレッド・リーヴの生育の最適な温度に近いですね。狙っているんですか?」

「まさかそんなことは……」

「おや、よくご存知ですね。レッド・リーヴは我々警察関係者や、取引をするような連中が使う隠語ですよ?」


 アイシアはカフェオレで口腔を濡らすと、溜め息を漏らし、大袈裟な仕草で両手を挙げた。


「はぁ……駄目、お手上げ。認めますよ」


 グレシアに追い詰められた彼女は、もう逃げられないと悟ったらしい。

 レッド・リーヴ。国内で禁止とされている違法な抑制薬ダウナーの一つ。正確にはアサの葉を加工したものらしい。

 経口、喫煙などで接種することができ、穏やかな刺激を齎すも強い依存性を生じさせる違法薬物。多用すれば赤くなってさようならleave。だからレッド・リーヴなのさ、とは俺に耳打ちするグレシアの言葉だ。


「……参考までに、何故分かったのかお聞きしても?」


 隠し事がバレて吹っ切れたのか、先程までの優しいお姉さんの雰囲気は何処へやら。足を組みながら、カフェオレを飲むアイシアがため息とともにグレシアに視線を送る。


「構いませんよ。まずは唇と舌の様子ですね。嘘を吐くと、ストレスで口が乾きます。上唇を舐めるのも、頻繁に飲み物を口にするのもその証拠ですね。あとは簡単です。輸入ものの新しい麻薬だから我々には分からないと踏んだのでしょうが、少し暖房が効き過ぎですね」

「場所を移す時間もなかったので……。賭けでしたが、どうやら負けてしまったようですね」

「ストーカーに関しても不自然だ。昨日、ではなく今日の理由。ダンの死に驚き、話すのを忘れてしまった? ありえますが、話してみるとどうやらそこまでショックを受けてはいないご様子。泣き明かして気持ちの整理が落ち着いた、にしては目元に腫れも無いようですし」


 確かに、現在進行形で交際している恋人が死んだと知らされて翌日にしては、悲しんでいる様子もあまり無いようだった。


「訃報を知ったことで、昨夜に急いで取引相手と口裏を合わせた、と考えることも出来ますね。極めつけはその便箋です」

「これ、ですか?」


 テーブルに置いてある幾つかの便箋は、アイシアがストーカーに送られた証拠とする筈のものだった。

 よく見ると一枚たりとも同じ色をしていない。時間経過による劣化、とも思ったがどうやらそもそもの紙の色が異なるようだ。

 質感もどうやら違う。毛羽立ったものや、艶のあるもの。紙質も違うということだろう。


「紙は見慣れてまして。一目見れば、その紙の値段が分かるんです。それらは値段がまちまちですね。想い人の好みの紙はどれかと模索した、とも考えられますが、そのままに思考を進めれば送り主が同一人物ではないことに気付けます」

「噂の名探偵がここまでとは。見た目からは想像できないですね」

「よく言われます」


 グレシアは優しく微笑んだ。


「逮捕の前にお聞きしますが、あの夜の本当の行動を教えてもらっても?」

「……取引の時間は一時、取引場所までは十五分程度なので、念の為零時半には家を出ました。何も滞りなく取引は進んだので、帰宅は二時二十分頃でしたね。ご存じの通り、殺人に関しては何も知りませんよ。むしろせいせいしました。お互いに冷めてましたし」


 先程グレシアが言った意味がようやく分かった。

 白、だけど黒。

 この、グレシアがアイシアの裏の顔を暴き出した状況で、アイシアが余計な嘘を吐く必要も無いだろう。つまりこの供述を事実とするのなら、彼女はこのダン・シーカー殺害事件に関与することはできない。

 麻薬の栽培と所持、そして取引は、王国の法を基準に考えると犯罪。つまり黒だ。

 しかしこの殺害事件に関してだけは、彼女の身は潔白なのだ。

 暖房が消え徐々に冷えていく部屋の中で、細腕に手錠が掛けられヘデラにより連行されていくアイシアを眺める。


「白だけど黒ってのはこういう事か」

「あぁ。殺害に関与は出来ない。時間の無駄……という訳でもないか」


 窃盗でも、殺人でも、それが犯罪と呼ばれている限り、私は赦しはしないのさ。

 彼女はそう告げると、捲っていたブラウスの袖を下ろし、細雪のような柔い二の腕を秘匿し、キャラメル色のロングコートに袖を通したのだった。

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