1・ウエイトレスとらりるれろ

 十一月二十六日。


「そんなことを言っても、昨日警察に話したことと変わりませんよ?」


 そう少し鬱陶しそうに告げ、カップに入ったカフェオレを啜る女の名はアイシア・ルベラン。

 ミディアムボブの茶髪は柔らかそうな色彩で、瞳の色も同じくピーナッツバターのような色をしている。

 暑い程に暖房の効いた部屋で、薄手のセーターに身を包んだ優しそうな表情の彼女は、この隻腕の殺人事件の重要参考人。もとい、容疑者だ。

 に鼻。血色のいい頬と、大きな目。整った目鼻立ちは傾国と言える程ではないが、ウエイトレスとして勤めているレストランに何人もファンがいるのも頷ける。


「確かに、私はダンとその、恋人でした。ですけど、最近は向こうが冷め気味みたいで、全然会ってなくて……。今回のことも、あんまり知らなくて」

「えぇ、知っている限りのことで構いませんから、お話していただけますか? 十一月二十三日午後、そして二十四日の行動を」


 普段の振舞からは想像もできないほどの優しい声色と表情で、彼女はアイシアの続く言葉を促す。この暖かすぎる程のこの部屋では、流石の彼女もコートを脱ぎ、ブラウスの裾を捲っていた。

 傍らで、深紅の髪の警察がメモを取る準備をしている。

 先日ヘデラが再び探偵事務所に現れ、幾つかの情報を齎した。

 一つは、遺体の司法解剖による証拠の数々。

 厳密に言うと判明したのは死亡推定時刻。ダン・シーカーが凶刃により倒れたのは十一月二十四日の深夜零時二十四分から、二時三十分の間。


 ――――零時二十四分、向かいのクラブハウスにて、その日はパーティーが開かれていたそうです。片付けに従事していた使用人がその時、部屋の窓から顔を出すダン・シーカーを確認したと。なので、始端はこの時刻になりますね――――


 対して死亡推定時刻の終端は二時三十分。

 同集合住宅に住む住人の一人が、夜勤を明けて帰宅している。その折、窓を視界に収めているそうだ。その時刻の八〇六室は、確かに電灯が消えていた。

 死亡推定時刻を考えるにこの時間が犯行の前とは考えにくく、来客をもてなしていた筈のシーカー宅の電気が消えているという事は、犯人は既に犯行を終えその場を去っている可能性が高い。故にこの時刻が終端。

 その上、一時五十分には階下に住む住人が上階からの物音を耳にしている。つまるところ、その時間は犯行現場に、確かに誰かがいた。

 それが被害者か、犯人かは分からない。しかし、犯人がこの始端と終端の間に凶行に及んだことは間違いが無い。

 。アイシアのものだ。


「仕事が終わって、珍しく自炊してみようと思いまして、食材をいくつか買ったんです」

「普段はなさらないので?」

「私、料理あんまり得意じゃなくて。仕事もほら、接客が主ですし。それで練習しないとなって、いつか結婚もしたいので。なのでその日、仕事が終わってからは家に篭りっきりでしたね」

「なるほど。料理は出来ると楽しいですよ。して、その話を証明出来る人物は?」


 そして二つ目の重要な情報。それは、この殺害に関与していると思われる容疑者についての話。

 アイシア・ルベランは捜査線に第一に上がった人物の一人だ。

 大学在学中にルベランと恋に落ち、そして約一年ほどの交際を続けていた。しかし、最近はダンから冷め気味であり、連絡を取ることも少なかったと言う。

 ダンが何故彼女に愛想を尽かしたのかは皆目見当も付かないが、色恋はいつだって事件の真相に絡むことが多い。と言ったのはグレシアだった。

 首を傾げ、アイシアは少し考える素振りを見せる。


「店主に顔は見られていると思います。あと、家に入る直前にお隣の方と挨拶しましたね。その方はどうやら夜のお仕事をされているみたいなので。これも昨日警察の……そちらのヘリックスさんにお話ししました」


 だから二度訊くのをやめろ。という意味を含んでいるような言い草と表情だ。アイシアから視線を送られたヘデラは、毅然とした表情で頷く。

 彼女の言う通り、既に警察の聞き込みによりグレシア側にも情報は届いている。

 十一月二十三日の午後五時頃、アイシアが寄った青果店の店員が彼女の来訪を証明した。その上、幾つかの野菜や果物を買ったことも。ただ彼女の隣人については、現在聞き込みの最中であるという。


「えぇ、申し訳ありません。形式的なものですので、どうかご容赦を」

「……構いませんよ。それで、今日はそれで終わりですか?」


 と、アイシアはちらりと壁掛けの時計を確認した。

 この聞き込みは、同じくクインテッド内のアイシア宅で行われている。

 件の集合住宅から歩いて数十分程。同じような造りの集合住宅の一室だ。

 部屋の内装は女性らしさに溢れており、料理下手と言う割には台所の収納を埋め尽くす調味料と、部屋の隅々に置かれた観葉植物の数々。見たことが無いような、巨大な葉を付ける物もある。それらに合わせてか、暖房も効きすぎと言っていい程だ。

 インテリアの色合いは薄い桃色や、黄色などの、明るいパステルカラーが多い。

 俺たちとアイシアが座るソファーもクリーム色の優しい彩色。それらで挟むようにある円形のテーブルは、ガラス製の物だ。


「申し訳ありません。……少し気になることが出来ました。もう少しお時間を頂ければと。今日は何かご予定があるんですか?」

「そういう訳では無いんですが、お話したいことがありまして」

「お話したいことですか?」

「えぇ。昨日は話せなかったんですが。最近私、誰かに付き纏われている気がして……。あ、大丈夫です。皆さんのお話が終わったらで」


 厳格な婦人警官と、犯罪を許さない私立探偵。正義感の強い二人が集まって、はい、そうします。で、済む筈がなかった。


「付き纏い、ですか?」

「私は警察です。早急な事件解決もそうですが、被害の相談を受けるのも私の仕事です。是非、その話聞かせてください」


 こうして、話題はダン・シーカー殺害事件より、アイシア・ルベラン付き纏い事案に移り変わる。

 ただグレシアの眼は、どこか訝し気なままで。

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