3・脳喰い
「面白いこと?」
「これ、ウェンブリーの件の刺客だよ」
なるほど、と俺は頷く。
記憶は無いから聞いただけの話だ。
ウェンブリーの幽鬼。その事件の調査でとある屋敷に踏み込んだ彼女は、屋敷の地下で囚われていた俺を見つけたらしい。
「どうやら、私が生きていると余程都合が悪いらしい」
「でも、俺も狙ってたぞ?」
目線や武器の動きから、ウェンブリーの屋敷を探ったグレシアではなく、確かに俺も彼女らの殺意の対象に入っていただろう。
ただ俺の問いにグレシアは、当然だと言いたげな顔で返した。
「君が狙われるのは当然だろ。言うなれば情報の塊だよ? 君が何か思い出して話されたらどうするんだい? 消さない方がおかしいだろうさ」
「あー……確かに」
未だ記憶が戻る目途は立たないが。そう付け加えるのはやめておいた。
ガサガサと襲撃者の懐を漁るグレシアに屈んで寄る。探偵がこんなコソ泥のような事をしてていいのか、と思いながら作業の様子を眺めていると、数秒の後取り出したのは一枚のコイン。
金貨のような黄金のそれは、通貨が紙幣と硬貨に置き換わっているこの国では馴染みのない物だろう。詰まるところ通貨ではない。
くるくると、グレシアはコインの表裏を確認し頷く。
表には、掌に炎を湛える巨人。そして裏には、跪く人々の意匠が施されている。
紋章が凝っているところを見るに、何かの記念硬貨だろうか。
「それは?」
「コインだね」
「それは見りゃ分かる」
「プロメの遺児。その構成員であることを示す証だよ。常備しなければ警戒されないのに、ご丁寧に持っていてくれて助かるね」
「まぁわかってたけど」と零しながらそれをコートのポケットに仕舞い、グレシアは気だるげに立ち上がる。
脳喰らいと共に彼らの話も彼女らから聞いた。異能犯罪集団『プロメの遺児』。脳喰いと呼ばれる連続異能殺人も、どうやら彼らの仕業だという。
具体的な構成人数も不明。主導者も不明。彼らが掲げる目的さえ詳細は判明していない。唯一世間が分かっているのは、種火と呼ばれる特殊な異能を行使するという事。
それらを彼女は、何やら物知り顔で語った。
グレシアはコインだけ拝借し、路地の来た道を戻る。
「お前……近道って言ってなかったか?」
「おやおや。私は何も距離的な問題を言っていないよ。事件解決に最も手っ取り早いのは、向こうから自首してくれることだろう?」
「はぁ……うざ」
このグレシアの論調にも、そろそろ慣れてきた。
やっぱりそうだ。彼女は刺客の存在に気付いており、それを俺に撃退させるためにこんな襲われやすい場所を通ったのだろう。一杯食わされたということだ。
大通りに戻り、しばらくすると市場に辿り着いた。先刻の通りよりもさらに活気がある。構成する人間は全体的に先ほどの場所よりも機能的な、装飾を廃した洋服を着ている。
今度はしっかりと食材の買い出しに来たらしい。
貴族や大商人といった富裕層の住人ではない。恐らくは一般の労働――――。
「――――者層。中流階級といったところかな」
「独り言漏れてんぞ」
推理をしないと死ぬ病気でもあるのか、この探偵さんは。
二つ折りの財布を手に、彼女は市場のうちの一つに寄る。
店先に腸詰の肉がぶら下げられている。漂う血の匂いをかき消そうとするように、強い香油の香りが鼻を突いた。
「君は通貨の単位を知っているかい?」
舐めているのか。そう口にしたい気持ちをぐっと堪えた。
「クノンとブルトだろ?」
「正解」
この国ではクノン。そして一クノン以下の取引に用いる補助硬貨としてブルトという単位が用いられている。
一ブルトでは何も買えない。五十ブルトでせいぜい路上の花売りより、どこかから手折られた花を一輪、買えるかどうかというところ。
五クノンもあれば一日の食糧には困らないだろう。また、それを豪華な一食に変えることもできる。
まぁ、浮浪者の俺には一切関係無い話だが。
「では実際に使ったことは?」
「……」
グレシアは不敵な微笑みを浮かべながら、財布から幾枚かの紙幣を取り出す。偉人の肖像画が描かれた十クノン紙幣。それを十枚。
そのまま何を買うのかと思うと、彼女はそれを全て俺に向かって差し出した。
「はい、百クノン」
「は?」
「私の下で働けば、君は一応ヴェリタス探偵事務所の調査員の一人。当然、そこには賃金が発生する訳だ」
「お……おいマジか……」
紙幣を前に、驚きと期待が一気に膨れ上がる。
金を手にするなんて、いつぶりだろうか。
浮浪者としての記憶の以前は、もしかするとこの雑踏の中の一人のように、働いて買い物が出来るような暮らしが出来ていたのかもしれない。
だが、その記憶は無い。つまり、俺はこの生涯で初めて通貨を手にすることになる。これを使えば、好きなものが買える。好きなものが食べられる。
だが、俺がそれを受取ろうとすると、彼女はその指から逃げるように手を引っ込めた。
「……え? くれるんじゃ……」
「ただ、君は今の所労働契約を結んでいない。記憶障害の治療は三十分で済むこともあるからねぇ。記憶が戻ってすぐに退職、なんて真似されたら面倒極まりないし」
グレシアは語頭を強めて言う。
「う……」
「さてどうする? 正式に私の下で働いてみないかい?」
悪戯っぽい表情で、悪い笑みを浮かべるグレシア。
卑怯だ、この女。
浮浪者の世界は厳しい。
嫌いな食べ物があった。子供はその時どうするか。
我慢して食すか、はたまた親に委ねてしまうか。棄てる、なんて選択肢もあるだろう。
路上生活者には、それは許されない。食す物の選び方は、好きか嫌いかの判断基準ではない。食べたら生き永らえることが出来るか。それとも苦しみながら野垂れ死ぬかだ。
選択は富者の特権。貧者は生きる事すらままならない。そんな世界。
彼女はその俺に今、釣り針を垂らしているのだ。あるようで無い、一つしか無い選択肢をぶら下げて。
「はぁ」
溜息が零れる。
年下の女にこき使われるのは癪以外の何物でもない。ましてやその女が自分より優れているのだから、尊厳に入った瑕は広がってばかりだ。
ただ、最も合理的な選択であることも確か。
俺の目的はグレシア・ユーフォルビアの殺害と、夢の女の調査。どうせ時間が必要な目的だ。それなら同時に、標的の行動パターンを知れた方がいいに決まってる。
しかし、癪だが。
「分かった」
満足そうな笑みを浮かべて差し出された紙幣を、俺は掠め取るように受け取る。
悪戯っぽい笑みを浮かべたグレシアが、「就職祝い」と言いながら買った焼いたソーセージの串を、俺に手渡した。
こうして俺は帰宅後契約書に署名することにより、契約は履行されることとなった。つまりこれより俺は、ヴェリタス探偵事務所の一員となったのだ。
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