3・事件現場
「犯人は、被害者と親しい人物か、寝込みを襲った強盗。じゃないか?」
「考えを聞こうか」
「背中を刺した以上、不意打ちに違いない。不意を打てる人物と言えば、警戒心が緩む顔見知り。もしくは完全に予期してない出来事」
グレシアが小さく唸る。何か言いたげだ。
「顔見知り、の点はお見事。ただ強盗の線は減点だね」
「あ?」
「前提条件をお忘れかな? 被害者は密室下で殺害されているんだよ?」
「犯人の特定を遅らせる為、って考えたらあり得るだろ?」
「あのね、強盗であればまず、殺人を犯す必要が無い。君の推理の前提は、被害者が就寝している時、だったね? なら彼自身には何もせず、金品を奪って立ち去れば良い」
「あ」
「犯行の途中に被害者にバレた? それなら被害者の創は胸部にある筈だよ。争った形跡付きでね。それにどうしたって、遺体がリビングキッチン間にあった事を説明出来ないね。勿論、右腕を奪ったことに関してもだ」
言われてみれば確かにそうだ。『誰が被害者を背面から刺せるか』という部分に注視しすぎて、事件全体の前提が抜けていた。となると犯人は自ずと絞られる。
「犯人は、被害者の顔見知り以外に無い……?」
「大正解。夕食は君の好きなメニューでいいよ。では応用問題だ。被害者はどのような状況下で、あの創を負った?」
再び思考の海に潜る。
視界は依然として不明瞭。だが、解けない問題を出すグレシアではないだろう。既に霧を払う道具は、揃っているはずだ。
まず、彼女から齎された情報は三つ。それを積み木のように組み立て、答えを導き出す必要がある。
一つ、犯行は被害者の顔見知りにより行われた。
これは先程彼女が示してくれたものだ。逆に考えるなら、この情報が無くば問題は解けない、ということなのだろう。
二つ、被害者の創は深いものが七つ。そして、浅いものが一つ。
さらに、その位置も異なるという情報。とあれば、創が付けられた状況も異なると考えるべきだろう。これが三つ目
材料は揃えた。次は調理だ。
顔見知りであっても、刃物を振りかざし突き立てるには不意を付く必要があるだろう。正面からすれば、そもそも背部に創が付く道理がない。
ただ、不意を付いた状態から同じ箇所に七回刺せるとは考え難い。となれば、最初に付いた創はやはり最も浅い創。
犯人は最初に被害者に後ろを向かせ、背後から右肩甲骨の辺りに一突きを振るった。不意を打たれた被害者は倒れ込む、そして無防備な背後に向かって思い切り、その刃を振り下ろした。
「犯人は一回目の攻撃で倒れさせ、馬乗りになって何度も刺した」
「おぉ」
間隔の空いた拍手が正答を祝う。
「こうではない、こうではないと、証拠という巨木の枝を剪定し、残ったものこそまさに真理。君はどうやらその求め方を正しく理解しているようだね。益々欲しい。正式に助手にならないかい?」
「断る。で、ここからどうすんだ? もう情報は無いだろ」
「そうだね。ここからは再び素材集めという訳だ。その為にこの部屋に来たんだからね」
懐から取り出した銀色の物体を投げ渡される。手にしたそれを見ると、彼女が使っているものと同じルーペだ。
「この部屋の隅から隅までを調査する、と言いたいところだけど私が気になるのは窓、そして扉だ」
「床とかは調べなくていいのか?」
「ここが事件現場じゃないから、意味が無いんだ。という訳で君は窓を頼む。あ、勝手に跳んで帰らないでくれよ?」
「言われなくてもそんなことしねぇよ」
背中を押されるがまま、窓の方に寄る。
窓を調査しろと言われても、素人の俺が警察よりも細かく調査出来る訳もない。となれば俺が彼女に求められているのは。
「知識に捉われないこと……」
知識を有していると、物を判断する際知識が優先される。
例えば、林檎があるとする。
紀元前から栽培されていたとされ、世界各国で食されてきた歴史がある、言うなれば『世界で最も著名な果実』である。
その品種は数千にも上り、調理法も様々。さてこの果実を市場で見かけた時、人々はどのような料理を思い浮かべるだろうか。
アップルパイ、ジャムにサラダ。シードルもあるだろう。しかしそれが浮かぶのは、文明の中で暮らす我々だけだ。何故なら知っているから。林檎の味を、形を、使い方を。
だが、知らなければ物事を判断する基準は知識ではなくなる。代わりとなるのは、己が感覚だ。
高さは先程と大きくは変わらない。二階層しか違わないのだから、当たり前か。
硝子は薄い一枚。金属のフレームと桟の間には一切の隙間が無く、何か糸などを通す事も出来ないだろう。
シャツの袖を捲り上げる。
部屋の断熱性が高いのか、外よりも気温が高い。
銀色の鍵は相も変わらず、窓との間隔が狭い。試しに自分の爪を噛ませてみると、先刻と同じように錠が下りない。
先刻の光景を思い出しながら、素直にグレシアの知識に感心する。同時に、違和感に気付いた。
◆~~~~~◆
探偵事務所に戻った俺とグレシアを真っ先に出迎えたのは、以外にもアリア・シャルルじゃない。噎せ返るような血腥い、鉄の臭いだ。
「お帰りなさいグレシアさん」
「ただいま。……報告がより気になるね」
包帯の端を咥え、アリアが右腕に包帯を巻き付けている。
止血してから間もないようで、肘の少し下を中心に赤黒い染みが浮かんでおり、同時に血腥さも部屋中に漂っている。
傍らには、脚を組みながら書類にペンを走らせるディギタスがいる。彼は靴を脱ぐグレシアに気付くと紫煙を大きく吐き、ペン先で紙面をトントンと何度か叩いた後、耳の上に掛けた。
グレシア部屋の最奥、彼女の席に腰掛ける。
「レア、どうだった?」
「上々。彼もいい活躍をしてくれたよ」
へぇ、と煙交じりの視線が俺に向いた。
「私たちはご覧の通り、少し不覚を取ってしまいました」
「構わないよ。アリアでそれなら私は即死さ」
俺は空いていたアリアの向かいに腰掛けようとし、やめる。
何やら黒い袋に包まれた大きな荷物が、ソファーの座面を占有しているのだ。不思議に思いながらも、仕方が無い。俺はソファーの後ろの壁にもたれ掛かるように立つ。
「さて、報告をお願いしようか」
面倒そうに、ディギタスが天井に紫煙を吹き付けた。
シーリングファンが空気を掻き回し、煙は徐々にいろを薄くして霧散していく。ただその臭いが消えた訳ではなく、仄かな煙草の臭いが事務所内を満たす。
「俺等は予定通り、前回通った道を通り屋敷に向かった。がぁ、屋敷に乗り込む前に接敵、交戦。撃退はしたんだが……」
急に彼は目を逸らし、無造作な髪をポリポリと掻破する。
「話し辛そうなのは、その大荷物と関係あるかい?」
「まぁ、見た方が早いわな」
灰皿にタバコを強く押し付け、ディギタスは大荷物の黒い袋に手をかける。そして、被せられたそれを徐々に剥がしていった。
まず露わになったのは、脚だった。
火を見るよりも分かりやすい。肌色に、五本の指が生え揃う。爪はまだ柔らかそうな質感を残し、肌質はまだ幼い。そんな、成長過程の人間の脚だ。
それを見せられてしまえば、自ずとその上も何が隠れているかなんて分かってしまう。
布擦れの音を立てながら、全貌が俺たちの目に晒される。
「へぇ、これは」
「な……」
出てきたのは、体格からして女児の遺体だ。
体格から判断したのは、男女を見分ける上で分かりやすい顔面が、まるで抉り取られてしまったかのように、存在していないからだ。
正確には顔面でも、口から上の部分が無い。脳を見るために頭蓋を開いたかのように、切り口の形状から見るに何者かが彼女の顔を意図的に剥ぎ取ったことは明白だ。
衣服は着ておらず、全裸。白く柔そうな肌の至る所には、暴行の確たる証拠たる青い痣が浮かんでいる。ただ、局部には場違いなほど真新しい白い布が巻き付けられていた。恐らくこれは、アリア等の配慮による物だろう。
腹部は見事に両断されている。切り口を見るに、素早く思い一撃が一刀の下で引き裂いたようだ。ディギタスの言葉を信じるのなら、恐らくはこれもアリアが。
「エマ・エバンズに見えるけど、合ってるかな?」
「多分な」
「十中八九死んでいるとは思っていたけど、ダリア・エバンズにどう報告しようか」
「それもだが、問題はそこじゃねぇ。アリア」
俺を含め、三人の注目がアリアに向く。そして齎されるのは、驚くべきことにこの遺体の女児がアリアに傷を負わせたという話。ただその様子は、正常な状態ではなかったようである。
「例えるなら……繭でしょうかね。内包したものを不可視とする巨大な繭。それに包まれた状態で、さらに不可視の触手による攻撃を繰り出してくる。っていう感じでしょうか。世界広しとは言いますが、これが生物とは到底思えません。恐らくは、何者かの異能の効果でしょう」
「なるほど。……不可視の触手か、見覚えのある異能だね」
「やはりそうですか」
グレシアの表情が僅かながら歪んだことを、見逃した者はこの場にはいなかっただろう。
それほどまでに分かり易く、彼女は憎悪を露わに。
「あぁ、脳喰いだ」
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