2・事件現場

「う……頭痛い……」


 グレシアが目覚めたのは、あれから数分後のことだった。

 この部屋の絨毯やソファー、ベッドに至るまで全ては証拠品。故に彼女を寝かせることはできない。その為彼女が目覚めるまで俺が背負い続ける必要があったのだが、どうやらその任は解かれたようだ。


「おい警察、起きたぞ」

「ヘデラ・ヘリックスと、名乗ったはずなんですがね……。大丈夫ですか?」


 背から降ろすと、彼女はふらふらと覚束ない足取りでヘデラの腰にしがみつく。

 彼女の疲れた様子は珍しい。


「怖かった……。まさか本当にやるとは、流石に予想外だ。私を連れて行かなくてもいいじゃないか……」

「お前がうるせェからだろ? 出来ねぇ出来ねぇって。実際に体験させればわかりやすい」

「極端だね……嫌いじゃない。……オエ」

「彼女は身体が弱いんです。あまり無理をさせないで下さい」

「ハイハイ」


 とはいえ、それから十分も休憩すれば、グレシアはいつも通りの調子に戻っていた。


「ともかく、ローラスほどの身体能力があれば窓から逃げることも可能だということは分かった。少なくは無い収穫だ。流石私の助手。外だし、異能の可能性もあるかな」

仄跡そくせきは確認出来ませんでしたよ?」

「おや、じゃあ異能犯罪の線は無しか」

「なんだそれ」


 俺の言葉に、グレシアが向き直る。

 俺の方を向いてから初めて、彼女の瞳が徐々に虹色になっていくことに気付いた。


は何だと思う?」


『これ』が指すものが、異能であることが分からない程、俺も馬鹿ではない。


「異能だろ」

「正解。異能は特定の人間に備わった第六感のようなものだ。とは言えこれは、君のような異能のない無能力者には分かり辛い話。分かりやすいように、誰にでも備わっているもので話をしよう」


 心なしか、彼女の選んだ言葉には棘がある。語気も強い。


「もしかして怒ってんのか?」

「別に。さて、君は人を尾行するとき、何を頼りに追跡を開始する?」

「足跡……臭跡とかも、香水をつけてる人間なら辿れるだろ。後は、高所だな。視認するのが一番手っ取り早い」

「まるで今まで何回かこなしてきたかのような口振りだね。まぁいい。我々は目が見え、匂いを嗅げる。それと同じように、異能者我々には異能者我々にだけ分かる感覚があるのさ。それが仄跡。まぁ足跡のようなものさ。同音異義語だしね」


 すぅと、寄せた波が返すように虹色に青が差した。

 足跡辿りが解除される。


「でもまぁ異能犯罪の可能性も否定できない。仄跡の濃さは異能によるからね。例外だってある。彼女とかね?」


 そう言いながら指した指先は、背後で書類に目を通していたヘデラ・ヘリックスに向いていた。

 書類に目を走らせていたヘデラが、グレシアの方を向く。


「ヘデラの異能は仄跡が一切残らない。その分、彼女自身に齎す恩恵も少ないけどね」

「勝手に例に出さないでください」

「まぁまぁ。彼はどうやら異能犯罪に疎いらしい。教えてあげてはくれないかい?」


 ため息を吐きながら、彼女は読んでいた書類を腋に挟んだ。

 ヘデラ・ヘリックス。彼女が有する異能は『猟犬ハウンド』。

 匂いを覚えることで、その対象に限る驚異的なまでの探知能力を得る。その匂いは濃ければ濃い程に効果を増し、最も真価が発揮されるのは対象の血液。らしい。


「それで恩恵が少ないって? 冗談だろ」

「場所が分かるだけですからね。私自身に対する恩恵は少ないです。あくまで私自身への、ですが」


 含みを持たせるような彼女の言い草はつまり。警察組織という群から見れば、ということだろう。

 捜査において特定の人物という制限はあるものの、一人で広範囲の捜査網を構築できるのは、極めて優秀以外の評価が見当たらない。


「名実共に猟犬という訳だ。頼もしいね」


 グレシアの声が少しくぐもっているかと思えば、気付けばベッドの下よりグレシアが這い出てきた。ヘデラに気を取られている最中に、彼女はベッドの下に潜っていたらしい。

 ぽんぽんと、彼女は服に吐いた埃を払い落とす。


「さて、大体終わった」

「どうでした?」

「何も。紙片が幾切れと埃まみれって感じかな。事件に関連性はなさそうだよ」


 ヘデラが低く唸る。

 遺体は現在司法解剖の最中と聞いた。部屋には有力な証拠品は残されておらず、地上八階で外から鍵無しで施錠できる方法も見当たらない。

 俺でも分かる。この事件は、難しい。


「今日のところはこれくらいにしておこうかな。後で二人と合流する手筈になってるんだ」

「武力担当二人がですか? 何の用で?」

「君の耳にも入ってる筈だよ。ウェンブリーの、透明な幽鬼」

「あぁ、なるほど。警察もその件は追ってはいますが、依然として掴めません。グレシアではなくあの二人ということは、既に何か掴んだんですか?」


 グレシアの視線が、一歩後ろで二人の話を聞いていた俺に向く。

 彼女は小走りで俺の背に回り込み両肩を掴み、俺を盾にでもするように少しの力で押す。そして、ひょっこりと俺の右肩から顔を出した。


「……何してんだ?」

「……彼が、何か?」

「幽鬼騒ぎの収穫物さ」


 ヘデラは未だ不思議そうな表情を浮かべている。


「幽鬼騒ぎを調査したら、奴らの拠点のようなところを見つけてね。侵入してみれば彼が捕らえられていたんだ。致死量の麻酔薬が体内にある状態でね」


 数秒、沈黙が満ちた。

 腕の力が抜けたのか、抱えていた書類がばさばさと音を立てて腋から滑り落ちる。見る見る内に、彼女の表情が変わっていく。


「そ、それを先に言ってくださいよ!!」

「やだよ。私が受けた仕事だ。私が解決しないとね」

「警察の仕事でもあります!」

「捜査協力は市民の義務じゃなくて善意だ。それに、私を独りにさせた警察を心の底から信用しろと?」

「それは……」


 何か思い当たる節があるのか、黙り込むヘデラ。言い負かしたグレシアの方も、先刻よりかはどこか不機嫌そうだ。

 何とも言えない空気が満ちる。

 ただ俺はそんな最中でありながら、グレシアの言葉に引っ掛かりを覚えていた。

 彼女の親、その片方については夢に出てきた女から知っている。恐らく名前はアネモネ・ユーフォルビア。名前の響きからして母親だろう。

 父親に関する情報は一切持っていないが、ディギタスがグレシアの父親のような振る舞いをしているのはこの数日だけでも理解できた。つまり、本当の父親とも現在は関りが薄いと見える。

 そして現在。両親は既に他界しているか。もしくは、連絡が出来ないほど遠くにいるのか。アネモネとやらが近くにいない以上、そうなのだろう。

 だとすると彼女はアネモネに、棄てられたのだろうか。もしくは死んだのか。それも、もしかすると口ぶりからして、警察の行動の結果で。


「ごめん、意地悪したね。ということで私たちは一旦失礼するよ。ローラス、何を耽っているんだい」

「あぁ、今行く」

「私は暫くこの辺りにいます。何か気付いたら探してください」

「そうするよ」


 探偵はひらひらと手を振りながら、部屋を後にする。ヘデラの会釈を無視し、俺も彼女を追って部屋を出た。

 雲が濃い。いつの間にやら厚い雲が流れてきており、太陽を隠している。それにより出来た大きな影が、クインテッドを捕まえていた。

 先刻までは、真冬の今でも心地よい程の日差しが照らしていたが、今はこの格好では少しだけ肌寒い。


「さて、警察に協力する捜査は終わりだ」


 自信に満ちた表情で、彼女はぱんっと小さく手を叩く。


「へェ。お利口なあんたにしては珍しいな」

「お利口? まさか。君は私の仕事を見るのが初めてだろうからね。探偵の仕事はここからだよ」


 階段を二階分降り、階数は六階。そこから、先程までいた部屋と同じ位置で彼女は止まる。


「六○三号室。現場は警察の管轄だからね。同じ集合住宅、同じ間取り。高さは違うけど、ここで調査するよ」

「空き部屋か」

「正解。鍵は管理人からもらってる」


 ポケットから取り出した薄い金属の鍵を、ひらひら見せびらかすように見せる。

 この場所に来てからすぐ、管理人室で話し込んでいたのはこの為だったのかと納得する。

 思えば、事件の資料を事務所で読んだ時に、事件が発生した部屋は把握しているはずだった。

 錠を回し、重そうに扉を開く。思わず腕を伸ばし支えると、彼女は申し訳なさそうにありがとうと零した。長らく住居者がいなかったらしい。眉を顰めてしまうような埃とカビの臭いが鼻を撫でる。

 部屋に入った瞬間、見覚えのある光景が視界に映った。確かに、まったく同じ間取りになっている。隊服に身を包み、現場検証する警察の姿を幻視しそうだ。


「さて、現場を見た私の見解を話そう」


 ずかずかとリビングの真ん中まで入り込んでいたグレシアが振り返る。

 今度は事件現場ではない。寂しそうにしていた右手は、彼女の髪と言う定位置に付いていた。


「被害者の死因は、大量の刺創による失血死。右肩甲部の付近に浅めの刺創が一つ、左右の肩甲間部、内側寄りに合計七つの深い創。ここまでが、今分かっている被害者の情報だ」


 自分の身体を触りながら、創の位置を分かりやすく説明していたグレシアの表情が変わる。


「ここから分かる情報がある。ローラス、何か分かるかい」

「勿体ぶんなよ」

「君の成長の為さ。大丈夫、嘲笑する人間はいないよ」


 そういうことじゃない、と口に出しかけてやめた。彼女は意志が強い人間だ。じゃあやめようとなる未来は見えない。彼女の機嫌を損ねないためにも考える。

 と言っても、彼女が持つ情報が全てだろう。


「被害者は、刺されて死んだ」

「その通り。では、どのように刺された?」


 続けて彼女の質問を言葉のままに考える。

 彼女の持つ傷の情報は全て、顔が向いている方を正面とすれば人体の背面側だった。

 背面側にしか傷が付いていない。それはつまり、傷は背後から付けられた。


「後ろから刺された?」

「正解。では何故、後ろから刺された?」

「そりゃぁ、不意をつか……あぁ」


 ようやく、彼女の質問の意図を理解する。

 つまり、被害者が後ろから刺されるという状況は、どのような条件が揃えば作り上げられるのか。それを聞きたいのだろう。

 それにはまず、犯人の素性から考えるのが簡単だろう。

 犯人が親しい人物であれば、簡単だ。そこから先は語るまでもない。では、犯人が見知らぬ人物の可能性。寝込みを襲った強盗なら、背中から刺し殺すというのも可能なのではないか。


「漸く私の問いの答え方に気付いたようだね。では続けようか、犯人は誰だい?」


 お見通し、という訳だ。

 俺は彼女の手のひらで踊らされる感覚にどこか心地よさを覚えつつも、推理を口にした。

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