3・片腕の仏様
「――――……には施錠されたクレセント錠がある。これは全部屋共通の鍵で、金属製だ。他部屋との形状の差異は見られなかったみたいだね。つまり、余計な細工がされているという訳でも無かった。で、正面扉は一般的なピンタンブラー。まぁ鍵の形状はあんまり関係ないから覚えなくてもいいよ。そもそも部屋は八階だから窓からの侵入は考えにくい。仄跡も無かったらしいしね。扉の鍵は内側、玄関横のフックに掛けられていたらしい。つまりはね、外からの介入は出来ない筈なんだ。室内は完全にダン・シーカーのプライバシーが保たれていたと言えるね」
余計な雑音が流れるのを意図的に無視し、俺はグレシアに追行していた。
まさかこうも簡単に二人きりになれるとは思っていなかった。てっきり、護衛としてアリアは連れて行くのかと思っていたが、グレシアには警戒心と言う物が無いのだろうか。
「――――……そもそも密室ってのはね、幾つか種類があるんだ。これは私が勝手に密室講義と呼んでいるものでね。大きく分けると二つ、さらに細分化すると十二、十三個程にもなる。でも実はね、私は犯罪学者として教壇に立つこともあるんだけど……いやまぁ新米だから界隈ではそこまで権威がある訳じゃないんだけど、まぁほら、私程の美少女はあの界隈にはいないからさ。で、小説の世界と違って密室殺人なんてものは実際には相当数が少ない。でもね、無い訳じゃないんだ。直近だと今より二十四年前の今くらいの季節に、どこかの貴族の別荘で発生したことがあってね。その時は氷を使ったトリックだったらしい。突発的な犯行だったことを考えると見事な機転だけど、如何せん準備が足らなかったね。そこまで時間稼ぎが出来た訳でもなく犯人は捕まったさ。そもそも罪から逃れることが目的だったら、国外逃亡が一番堅い。一時的な感情の揺らぎで禁忌を犯してしまう人間だ。今までその地で築き上げて来たものを捨て、保身に走る事なんて難しい事じゃないさ。彼らにとってはね」
ただ、今殺す訳には行かない。
理由は、もう一つの目標。謎の女だ。殺したとて届ける場所が分からなければ、きっと俺の未来は無い。
だから、今回は全面的にグレシアに協力し、信頼を獲得する。そして、このように二人きりになれる機会を増やす。そうすれば謎の女とコンタクトを取った後、簡単に殺害に至ることが出来る。
つまり俺の目的は二つの鍵が必要な扉を開けること。確実に殺せる状況という鍵と、女の情報という二つの鍵。どちらが欠けても、扉は開けられない。
「とまぁ、概要は今話した通りだ」
「……」
「聞いてたかい?」
「……あぁ」
「聞いてなかった顔だね。ごめんね、寄り道してしまったからかな。簡単に言うとだね」
グレシアはそこで言葉を切り、コートの内ポケットを弄り始める。そうして取り出した四つ折りの紙を一度だけ広げ、俺に手渡した。
そこには、写真と虫のように書き殴られた文。文の方は難しい文法が使われている為読めないが、写真の方は視覚で直感的に理解できる。
映っているのは若い男が胸元まで映った写真だ。ダークブラウンのショートヘアー。垂れた眼と緩んだ微笑みの口許はどこか眠そうで、覇気を感じさせない。だというのに服装は礼服なのだからちぐはぐだ。
左目の眦の少し下には小さな黒子が一つ。髭は顎に少しだけで、覗く歯の並びはそこまで良いという訳でもない。ネクタイの色は青い。
よく見れば走り書きの一番最初には、一際大きな文字で「ダン・シーカー」と記されている。
「その男が、密室にて殺害されているのが発見されたってこと」
グレシアがそう言うと同時に、視界の端で脚を止めた。つられて俺も脚を止め、目線を手元より上げる。何人かの警察が並び立つ集合住宅。その眼前に、俺達は立っていた。
聳えるのは、巨大な集合住宅。ベージュのレンガの造りで、窓を構成する金属は黒く、よく光を反射しており高級感を感じさせる。そして、グレシア等のヴェリタス探偵事務所が収まっている建物と比べれば、数倍は大きい。
「中流階層の集合住宅。空き部屋は少ない上、家族が多い。そして、家賃が相場より少し高いみたいだね」
「……適当言ってないか?」
「まさか。根拠はあるんだよ? 見るのは洗濯物とカーテン。質の良い布が使われた物が多く、一つの区域に男物と女物が入り混じってる。若者のカップルが好む色じゃないね。その上幾つか見知った仕立て屋の商品があってね、値段を抑えつつ、価値を高く見せる商品が多い。そう言うわけさ。私は誠実で売ってるんだ。清純派探偵美少女って訳さ」
「……適当言ってないか? 言ってるだろ」
「おや、信じてもらえないというのは悲しいねぇ」とおどけたように口にしつつも、それを気にする素振りは一切無い。
彼女は当たり前のように警察の横を潜り抜け、エントランスに出る。
広々としたエントランスホールは、この国の中でも比較的上位に位置するだろう。
中心には巨大な吹き抜けと、正面奥には三つの螺旋階段が鎮座している。床はレンガでは無く磨き上げられた大理石がモザイク模様を描き、ガス灯の灯りを反射していた。
記憶喪失と言う事は自分で理解している。目覚めてからあったのは、家を失くした人間のように、一人で路地裏でゴミ箱を漁る生活。
ここでの生活はまるで真逆なのだろう。家族と共に過ごし、ぐっすりと眠り、美味しい物を食べる。
物珍しい光景に辺りを見回す俺に一瞥もくれることは無く、グレシアはエントランス入って右手、管理人室であろう場所へと早歩きで寄る。
そして、幾度か管理人らしき人物と言葉を交わすと、棒立ちで吹き抜けの大きさに圧倒されている俺に向かって手招き、追行を促した。
「八〇五号室だよ」
直線状の距離で一番近かった、右側の螺旋階段を上り始める。道中、振り返らずにグレシアは告げる。
「もう一度言うけど、今回は前提として警察の捜査に協力する形になる。つまり、警察が取り仕切っているんだ。これがどういう意味か分かるかい?」
「いや」
漠然と、グレシア・ユーフォルビアがただの少女ではないという事だけは分かる。
「現場は検証の真っ最中。君があれこれ触ると、捜査に影響が出る可能性があるんだ。ついでに、私の収入にもね。君にどんな腹案があって私の側にいることを選択したのかは知らないけど、私の反感を買うことは君の目的じゃない筈だろう?」
見透かされているような口調に、俺は目を背ける。
確かに、その通りだ。
俺の目的は、この探偵事務所の新たな一員として、グレシア・ユーフォルビアに信用されること。それこそ、俺がグレシアを殺すなんてありえないと、アリア等に思われる程が望ましい。
「……ハァ……俺は何をすれば?」
「おや? 随分協力的じゃないか、殺そうとした割には」
「お前ェ……んん! あんたが言ったんだろ……?」
どうやっても打ち返すことのできない球に、苛立ちのギアが一段上がった。
「なぁに。私の仕事を見聞きし、たまに私の質問に答えてくれればいい。初めての仕事だ。多くを求めてなんてないさ」
「……そうかよ」
「もっと責任ある仕事を期待していたかい? 残念ながら、この仕事において私以外の人間にそこまでの責任が伴う事は少なくてね」
四階を示すプレートが見えたところで、グレシアが口を閉じ足を止めた。階の廊下から、階段へと歩く人影を察知したからである。
通り過ぎる女性を見定めるように一瞥し、彼女の姿が見えなくなったことを確認すると、そのつぶらな唇は今一度開く。
「まぁ、一緒に頑張ろうか」
微笑みと共にそう告げ、彼女は再び階段を上がり始める。続けて、再び依頼の概要を話し始めた。
そうして先刻の丁度倍に位置する八階に辿り着く頃には、彼女の額には薄っすらと汗が滲み、吐息は少しだけ荒くなっていた。話しながらだったせいか、声も少しだけ掠れている。
「君は、息が、上がらないんだね。見上げたものだ、素直に賞賛するよ」
対する俺は、階段を上る前と大差無い。汗の感覚も無く、疲れを感じてもいない。
何処か勝った気になり、少しだけ先程までの溜飲が下がった。
「ハッ、様無ぇな」
「そうだね。私はそこまで身体が強くなくて……ねっ」
言い終えると同時に、グレシアは階段の最後の一段を登り切る。滴る汗が幾つか、雫となって床に落ちた。
「あぁー着いた……帰りたい……。帰りはおぶってくれないか……?」
「はァ? 何言ってんだお前」
「冗談だよ。流石にそこまで子供じゃないさ」
廊下に出て、手遊びをするように自身の銀色の毛先を弄り、グレシアは二度三度左右を見回す。釣られて同じようにすれば、直後見慣れぬ規制テープの黄色と、懐中時計を覗く見覚えのある顔が俺の視界に入った。
階段のすぐ横。柵にもたれかかるようにして佇む、一人の麗人を。
「おや、遅かったですね」
今日会うのは二度目になる。
真紅の、先端が外に跳ねた髪。切れ長の瞳は青い。隊服の胸部には豊かな膨らみがあり、曝けた太腿には二丁のリボルバー。
「君が早いんだよ。いや、警察連中はみーんな歩くのが早い。と言うか、私用はどうしたのさ」
「私用と言っても、少し娼館に顔を見せただけですよ。そこまで時間は掛かりません。……っと、誤解ですよ? 娼館に友人がいるんです」
俺が疑問を抱いたのを察したのか、ヘデラ・ヘリックスは冷静に自身の言葉を修飾した。同時に彼女の関心が俺に向いたことで、必然的に俺の話が話題に挙がる。
「そういえば、先程も思いましたが彼は?」
「ローラス。訳あって雇う事になった。優秀な子だよ」
グレシアは俺の背中を少し押した。小さい手だ。
突き刺すような視線を浴びるのは慣れないもので、緊張の余り身動ぎを抑えきれない。
「その名前はグレシアが? 見るに、孤児ですかね」
「記憶喪失らしいよ。残念ながらその場では気の利いた名前が思い付かなくてね、とりあえずそう呼ぶことにした」
「あの貴女が、思い付かなかった? ……どうですかね」
ヘデラは俺の視線に合わせ少し屈む。
娼館の匂いを連れて帰ってきたようで、眉を顰めたくなるような甘いのような匂いが仄かに香った。
「それでは改めましてどうも初めまして。クインテッド警察主任巡査部長のヘデラ・ヘリックスと申します。グレシア達の一員となるなら、これから会うことも多いでしょう。よろしくお願いしますね」
「……よろしく」
「おや、女性はお嫌いでしょうか。となると、
眼前の麗人が姿勢を戻す。再び、俺はヘデラを見上げる形になった。胸が大きくて顔があまり見えない。
挨拶が済み、彼女の視線はグレシアへ。口調も今俺に向けた優しかったものから、友人に向けるようなものへ変わった。
「レイは元気だった?」
「えぇ。元気に癌を育ててましたよ」
「ふふっ、繁忙期だからね。それを元気と呼んでしまうと、平均寿命が下がりそうだけど」
煙草を揶揄したヘデラの物言いに、グレシアは呆れ交じりに返す。
「無駄話が過ぎましたね」と零しながら手袋を直し、ヘデラは俺達を部屋の中へと案内する。規制のための黄色いテープで雁字搦めの扉を潜り、廊下を数歩進めば現場はすくそこだと、漂う鉄の臭いが教えてくれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます