1・軌跡
「なんでディギタスさんなんかと……」
心底鬱陶しいといった様子で零しながら、オリーブ色のボックスコートを羽織ったアリア・シャルルは人通りの少ない道を男を連れ歩いていた。
ブロンドのポニーテールを本物の馬の尾のように揺らし、吊り上がった目で周囲に視線をばらまいていく。その表情はどこか不機嫌そうで、舌打ちの幻聴すらも聞こえてきそうだ。
「俺だって嫌だわ。煙草吸って寝たい」
「国の金で寝煙草ですか。国の金で火も消してくれるから、誰にも迷惑かからないで済みますね」
「燃えるのはグレシアん家だけどな」
「大歓迎です。屋敷の空き部屋に最上級の花を飾ることが出来る。期待してますよ」
「しねぇよ。娘の家燃やすとかどんな親だ」
軽口を叩き合いながら、アリアが地図に目を落とした。しかし分からなかったのか眉を顰め、地図を顔の前でぐるぐると回し始める。
彼女は、地図を読むのが苦手だった。
「えぇ……っと。四九七ウェンブリーストリートだから……」
「向こうだな」
「助かります」
覗き込む、指で示すディギタスに素直に礼を告げる。
時折ディギタスに助けられ、アリアはずんずんと路地裏の奥深くへと進んでいく。
探偵事務所の一員として、アリアとディギタス二人にグレシアより与えられた任務はウェンブリーの幽霊調査の続投だ。
現在二人が向かっているのも、ディギタスにとってひどく見覚えのある屋敷。
「着きましたね」
つまるところ、ウェンブリーの幽霊屋敷である。
レンガの、今にも崩れそうな建築物。かつては栄華なものだったと推察できる要素はところどころにはあるが、今では見る影も無い。
早速乗り込もうと、アリアが角を裏通りを出ようとするが、ディギタスが彼女の腕を引いて引き留める。
「待てアリア。見ろ」
ディギタスが指し示す指の先、屋敷二階の左端の窓。髪の長い女のシルエットが、ひらりと揺れた。
前回は一切感じなかった筈の、人間の気配。見つかれば、交戦も否めない。リスクを避けるため、アリアは自分の腕を引く力に素直に従った。
ウェンブリーの幽霊騒ぎの裏に、何かしらの犯罪組織が絡んでいるであるという事は既にグレシアは看破している。
ただ今回のグレシアからの指示は、情報の収集だ。いずれ力を振るう事はあるだろうとは思いつつも、グレシアの剣として今ここでその力を示すべきではない。
「誰かいますね。女、ヘデラさんの身長より少し低い程度でしょうか」
床からの窓の桟の高さから大まかな身長を推察したアリアが告げる。ボックスコートの襟に隠れるように顔元まで持ち上げた。
「あぁ……レイじゃ無理そうだな」
「
「にしてもおかしいな。見たところ深窓の令嬢って感じだが、まだあの時から五日しか経ってねぇ。五日前は、二回に行ける階段に人間の痕跡なんて一ミリも無かった」
グレシアとディギタスが初めてこの場所に訪れたのが、五日前の十一月二十日。そして、連れ出した少年が目を覚ましたのがその翌日、十一月二十一日。そしてそこから四日、現在は二十五日だ。
五日前二人は、外の窓から屋敷内部の様子を窺いながら周囲を一周している。不自然に窓が無い場所があるという訳でもなく、窓が多いこの屋敷では、階段を見逃す事は無いだろう。
正面玄関入ってすぐの吹き抜けを中心とし、一階の西側の面についてはグレシアと共に確認している。その上、階段には何者の痕跡が無い事も確認済だ。
無論、二人が確認していない部屋に階段が隠されていた可能性もある。しかし、それを否定するのはアリアだ。
「私も不埒漢を全員斬り捨てる時に一階は全部屋確認しましたが、正面の以外に階段は見当たらなかったですね」
「となると、奴の可能性は――――」
二人は顔を見合わせて頷く。思考は一致した。
考えられる主な可能性は、三つ。
一つ、深窓の令嬢を含む全ての痕跡が消されたうえ、一時的に屋敷を去っていた可能性。
二つ、その五日の間に令嬢がこの屋敷を我が物とした可能性。
三つ目は、彼女こそが本物の亡霊。地下の惨状を引き起こした張本人、ウェンブリーの幽鬼である可能性。
「幽霊って斬れるんでしょうか……」
「お前のその、斬れるか斬れないかで物事を判断する癖。俺よくないと思うぞ」
「そんな事は無いですよ。聖剣を抜いた王の血族でも所詮は人間。斬れば死にます。極めて簡単な判断基準です」
「全ての生物当てはまるだろそれ」
二人して窓に映る女から目を話さずに軽口を叩き合っている二人だったが、漸くアリアがディギタスに向き直り口を開こうとする。その時だった。
「あのですね、王室とは言えグレシアさんに……――――!!」
アリアの異能が、警笛を鳴らす。
「――――ッ!!!」
上から叩き付けるようにしてディギタスの頭を強制的に下げさせ、自分自身も頭を下げる。
浮かび上がったポニーテールを穿ち、二人が背にしていた建物の壁を衝撃が突いた。風船が破裂するような鈍い音と共に大きな罅が迸り、破片が降り注ぐ。
瞬時に大きく二人が飛び退き、臨戦態勢を整える。そして、異変に気付いた。
「……誰も」
「……いない?」
そこには、何も無い。誰もいない。
ただいつも通りの薄暗く、湿っぽいクインテッドの路地裏があるだけ。しかし、アリアの脳内に鳴り響く警笛は止まない。
「……!」
剣を抜き、横薙ぎに振るう。
刹那、まるで切断された銃弾が二つに分かれて飛翔したかのように、アリア背部の壁二カ所に同時に衝撃が着弾する。
「……何かいます」
「まさか、本物の透明な幽鬼か……?」
「透明でも実体はあるようです。私は今、迫り来るナニカを確かに斬りました」
アリアが剣を構え、ディギタスがレイピアとリボルバーを抜き肩を合わせて、互いの得物を構えた。
しばしの静寂。
たった数秒の時間が、張り詰める緊張感により永遠にも感じられるように引き延ばされる。
ディギタスの額に汗が滲む。
アリアが柄を握り直した。
小石が、何者かに蹴られたように転がる。
緊張が限界まで高まる。切れる寸前まで引き延ばされた弦が、ぱったりと音を発するのを止めるように、極度の集中が雑念を排除した。
不可視の襲撃者は、今確かにそこに。
そして、その悪手を再度伸ばす――――。
「――――」
警鐘は、先程までのものよりも大きかった。
「アリア!!」
「……?」
華奢な右腕が、突如爆ぜるかのような勢いで抉られる。
アリア・シャルルの異能は『
ただそれは、攻撃の全てではない。予知できるのは、その瞬間訪れる攻撃で最も致死性が高いもの。つまり、彼女の命に届き得る攻撃が優先される。
彼女は今、自身の腹部に風穴が空くことを予知し、剣を構え防御の姿勢を取った。その為、腹部への攻撃は防げても、右腕に対する攻撃を予知することは叶わない。
「――――!!」
一瞬遅れて、激痛が迸った。
それは痛みという感覚よりも、熱いという感覚に近い。
どくどくと、自身の右腕よりワインレッドが流れていくのを本能的に知覚できる。燃えるような熱さ。しかし、自然と脊椎反射は無い。熱いものに触れているというより、自身の身体が発熱しているという感覚なのだ。
同時にアリアが感じたのは、激しい痛み。それもその筈、皮膚下に存在する末梢神経ごと抉り取られたのだ。通常であれば、痛みに悶絶し地面を泣きながら転がり回ってもおかしくは無い。
しかし、
「実体があるなら……――――!」
アリアが叫びながら、右腕を前方に向け大きく振るう。
血飛沫が、路地裏に飛び散る。
不可視の襲撃者に実体が存在するのなら、対処法は存在する。
一つは、視えても視えなくても構わない状況にしてしまう事。
例え攻撃が不可視であっても、鉄の箱の中に入ってしまえばその攻撃は届かない。もしくは、都市全てを焼き払うような攻撃を振るえば、戦術と言う言葉すら必要が無くなる。
ただ問題は、情報収集を徹底し襲撃者の力量を把握しなければ、悪手になり得るという事だが。
そして二つ目。視えなくても実体があるのなら、視えるようにしてしまえばいい。
アリアの目論み通り、血の飛沫はただ地面に落ちるという事は無かった。血が付着し、その姿が浮かび上がる。悍ましき、襲撃者の姿が。
「なるほど……通りで磯臭い訳だ」
「っ……ランチにしては、少し多いですね」
うねうねと、イカの脚のような触手が何本も地面から生えている。
総数は十本程か、それ以上にも上る。人一人がそれぞれ異なるように、異様な長さを誇るようなものもあれば、ディギタスの太腿よりも太いものまで。それらはまるで一本一本が意思を持つかのように蠢いている。
人ではなく、動物でもない。これが、血で浮かび上がった襲撃者の姿だった。
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