2・片腕の仏様

 ローラスこと俺は、脚を組みながらソファーに腰を落とし、本を開いていた。

 本の内容は、簡単な絵本だ。グレシアより教わった文字の復習の為、この本を読むようにと彼女から言われていたのだ。

 あの後、俺の処遇は一先ずこの探偵事務所で一時的に働く見習い探偵という事になった。ローラスという呼び名も、働く上で不便だと彼女が名付けたもの。

 ただ、探偵業には文字が絡むという事で、とりあえずは今文字の学習に専念している。そして、グレシアが指示した際には事件の調査に同行するようにも言われている。

 と言う訳で俺はこの家に住むことになったが、グレシア・ユーフォルビアを殺すのは今のところは後回しにした。

 何せ、殺したとしてその頭をどこに届ければいいのか。そもそも、あの夢に出て来た女は誰なのか。敵か味方かさえも分からない。ノコノコ頭を持って行き、そのまま殺されでもしたらどうすればいい。

 家族も恋人も友人も何も持っていない俺でも生きたい。それは、生物として不自然なことじゃない筈だ。

 記憶の戻らない今では何も分からない。その上、殺す事に関しても問題がある。厄介なことに、彼女には優秀なボディーガードが付いているのだ。


「……気安く見ないでくれます? 馬鹿みたいに空でも見ていて下さい」


 横目で剣を拭きながら隣に座るアリア・シャルルを見ていたのが彼女にバレたようで、アリアは心底嫌といった表情で吐き捨てる。

 俺が泊まり始めた日から、彼女は俺がグレシアを殺すのを危惧し泊まり込んでいる。彼女は恐るべき剣の達人だ。無手ならまだしも、常に帯剣している彼女に勝てるビジョンが一切湧かない。

 グレシアを殺すには、まず彼女の対策を考える必要があるか。

 言われるままに、俺は視線を天井で回るシーリングファンに移す。

 グレシアの仕事場兼自宅は、案外快適な場所だった。

 俺が寝ていた場所は、書庫兼休憩室だったらしい。沢山の書物は全て、グレシアが傾倒する犯罪学と、それに関連する専門書。内観を損ねるベッドは、彼女が食事も忘れ読書した時、倒れるように寝る時の為のものだったそう。

 今いる場所は応接間兼執務室。この建物に入り、最初に目にすることになる場所でもある。

 壁紙と絨毯は落ち着いた、暗い冷色で統一されている。壁には何枚かの写真が額の中にあり、部屋の隅には観葉植物があった。

 長方形の部屋の中心から、少し入口寄りの位置には、ガラスのローテーブルと焦げ茶色のソファー。部屋の奥には、この探偵事務所の主が執務をこなすための黒檀のデスクがある。机上は綺麗に整頓されており、木の写真立てとインク瓶。羽ペンぐらいしか置かれていない。

 他にも、風呂場やダイニングキッチンがあるらしいが、俺はまだ数度しか入ったことがない。

 案外、居心地がいい。

 無論路地裏と比べれば、屋根があるだけでありがたいものだが。

 基本的にはグレシアとアリアしかおらず、たまにディギタスという男が煙草をふかしている程度。

 ディギタスはクインテッドの警察。俺がこのヴェリタス探偵事務所で見た唯一の男だ。アリアとは仲良くないらしく、よく軽口を叩き合っている場面に遭遇する。いや、それを考えると、逆に仲がいいと考えることも出来るかも知れないが。

 そしてグレシアは、俺が疑問に思った事を言葉に出すよりも早く察して教えてくれる。非常に会話が楽だ。

 アリアはこちらから常に距離を取ろうとしている模様で、ディギタスに関しては何を考えているのか分からないが、時折物を教えてくれる程度。

 干渉が多すぎず、少なすぎない。丁度いい具合だ。


「……」


 今も尚、向かいのソファーで天井に紫煙を吹き付けるディギタスを盗むように見、直後に足音を聞き取り玄関扉に視線を向ける。

 アリアもそれに気付いていたようで、横目で同じ方向に目線を投げていた。

 ノブが下り、扉が開く。


「こんにち……おや、知らない顔ですね」


 現れた人物は、ディギタスと同じ警察の隊服に身を包んだ女だった。

 長躯の麗人だ。5.7フィート173cmはあるだろうか。ワインのような深紅の髪は、少しだけ癖があった。首から肩にかけてのラインに沿うように外側に跳ねている。

 服装は、ディギタスと同じようなクインテッド警察の隊服と、ディギタスには無いマント。大きく警察の紋章が描かれた帽子。白い手袋に、豊満な膨らみの胸元。

 唯一彼と違う点とすれば、ディギタスのようにレイピアとリボルバーの装備ではなく、両太ももにホルスターが巻かれ、そこに計二丁の拳銃が収まっているところだろうか。


「お、猟犬さんのお出ましか」

「こんにちはサボリ魔先輩。いい加減仕事してくださいよ」

「お前が優秀だからだよ」

「二人分の業務をせざるを得ないだけです」


 冷たい視線でそう投げ、彼女は靴を抜いで部屋に上がった。

 この国では珍しく、この建物は土足禁止となっていた。赤髪の麗人は室内履きに履き替え、ディギタスが座るソファーの裏を通り部屋の奥、机に向かい本を開くグレシアの下へ歩み寄る。

 誰だ。という態度が顔に出ていたか、ディギタスが独り言のように小さな声で教えてくれる。


「……警察がペアで行動するのは知ってるか?」


 首を横に振る。

 ただ確かに、警察が一人でいた記憶は少なかった。


「じゃあ覚えとけ。あいつは俺のペアだ」


 彼女はグレシアがペンを走らせている執務机の前で立ち止まる。近付く気配にグレシアも気付いたようで、ペンを置き顔を上げた。


「こんにちはグレシア」

「ヘデラか、久しぶり。調子はどうだい?」

「良くもなく、悪くもなく。私にペアがいれば話が違ってくるんですがね」

「フッ」


 アリアが吹き出した。これが、今も尚業務を放棄しているらしいディギタスに向けられた皮肉であることは明白だ。


「ふふ……言われてますよ?」

「あぁ、あえて負荷を掛けることにより、耐性を付けさせてるんだよ。可も無く不可も無くとは、流石主任巡査部長様だ」

「ハハハッ!!」


 笑うアリアとディギタスを不愉快そうに横目で見てから、ヘデラは隊服の胸ポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出し、グレシアの前で広げて見せた。

 それを受け取り、彼女はいつもの――右手で髪の白い部分を弄ぶ――癖を見せながら目を走らせる。


「成程。これが今回の?」

「えぇ、色々と難解な点がありまして。お忙しいとは存じますが、お力添えいただけますと助かります」


 髪を弄ぶ手が止まる。そして、ペンを仕舞いインク瓶の蓋を閉める。どうやら身支度を始めたようだ。


「勿論。貴重な取引先だからね。贔屓にしなくちゃ」

「感謝します。現場に部下がいますので、そこで話を聞いてもらえれば。私用を済ませたら私も向かいます」


 グレシアが首を傾げる。


「真面目な君が仕事中に私用? 珍しいね」

「えぇ、先達の背中を見て学ぶべきと思っているので」

「ブッ……――――ゴホッゴホッ!」

「うわっ! ちょ、掛かったって馬鹿!」


 我慢できず紅茶を吹き出し、咳き込むアリアを横目にヘデラはグレシアに一礼し、事務所を去った。

 それを見届け、グレシアは俺に視線を飛ばす。無視していると、彼女は言葉によって俺に意思を示す。


「ローラス、行こうか。仕事だよ」

「はぁ……ハイハイ」


 席から立ち、俺達三人の間を颯爽と抜ける彼女の声に、俺は素っ気なく返事する。

 素直に従うのは癪だ。

 相手は恐らく年下。それも、少女だ。そんな相手にここまでいいようにされ、まんまと彼女の目論み通りになっている。

 だが、逆らう理由も無い。

 俺の目的はグレシア・ユーフォルビアの殺害。そして、彼女の遺体。とりわけ脳の部分をある人物に届けること。

 だとすれば、特にアリアの警戒を解き近くへ寄る必要がある。ともすれば、従う理由はあっても逆らう理由は無い。

 立ち上がり、玄関に立つ彼女の方へ向かう。

 記憶が戻る気配は無い。よって俺はグレシアと共にいくつかの依頼をこなし、グレシアら探偵事務所連中の信頼を獲得する。

 ここを辞めてひっそり機会を窺うのもいいが、もう一つプランがある。具体的には、グレシアと二人きりの状況になることを許して貰うというプラン。

 同時進行で、夢に出て来た謎の女を探る。グレシアを殺した後、脳を届けるべき相手の場所、そして素姓。博識なグレシアならば、知れる機会もあるかも知れない。

 それに、わざわざ死体を持って行った後、用済みと切り捨てられたくはない。警察から逃れる術があるのか。術がなくとも、身の安全を確保してくれる保証はあるのか。とにかく、コンタクトを取る必要がある。

 と納得はせども、実行するのにはプライドが邪魔する訳で。

 慣れないサスペンダーを伸ばしたり縮めたりしながら、コートを羽織り事務所を出るグレシアに俺は追行した。

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