1・片腕の仏様

 十一月二十三日。血のような深い赤の髪をした女性が、とある集合住宅に踏み入ろうとしていた。


「お疲れ様です」

「遅くなりました。現場は?」

「こっちです」


 ヘデラ・ヘリックスは、警察により関係の無い一般人の侵入を禁止された領域に、気だるげに踏み込んだ。そんな彼女のやる気の無い態度はひとえに、死体を見たくないという心からである。

 警察の捜査の関係上、居住者以外の無関係の人物の立ち入りを禁止する規制線の境界である事を示す規制テープを、警察に一言も無く潜ることができるのは、無論彼女自身が警察組織の一員であるからである。

 クインテッド警察の主任巡査部長。

 国内の警察学校を首席で卒業したキャリアであり、その並々ならぬ捜査への情熱より、警察内外から畏怖を込められ、ついた渾名が『血の猟犬ブラッド・ハウンド

 隊服のポケットより白い手袋を取り出し、白い肌を覆い隠していく。数十年前のエネルギー革命から技術力は飛躍的に進歩した。警察でも既に、指紋や血液の鑑定等の科学的な捜査が取り入れられている。余計な指紋を残す訳にはいかない。

 階段を上がり、現場へと向かう。

 ここ、中央都市クインテッドは殺人事件が多い。同一犯による未解決連続猟奇的殺人事件もあるが、それを外して考えてもこの都市での殺人事件の数は異常だ。

 無論、人が多ければ多いほどいざこざがあるのは理解できる。それは当たり前のこと。ただ、この国で唯一無二の名探偵がいるこの都市で起きる事件はどこか、彼女への挑戦状にも思える程、難解な物ばかりだ。

 飴色の髪の少女が頭に浮かんだ。ただ、思考の邪魔になるかと考え、頭を振って少女の姿を脳内から消し去る。

 黄色い規制テープで仕切られた、現場内に踏み入る。

 紺色の警察隊服に包まれた豊満な胸を張るようにして背筋の伸ばすが、噎せかえる血の匂いに、彼女は眉を顰め鼻を摘まんだ。

 リビングでうつ伏せになる、一人の男性。

 だが、そこに命の気配は存在しない。既に溢れ出した生命の欠片が、地面に乾いた染みを作っているのだから。

 ただそれよりも、もっと簡単に彼が死者だと見分ける箇所が存在する。それは、存在しない右腕。切り取られ赤黒い断面が覗いているそれは、常人では狂乱は避け難い痛みを伴うはずだ。

 血の臭いが彼女の鼻腔を刺した。ヘデラはさらに眉の端を吊り上げながら、部屋の奥で証拠を探していたらしい同僚に小さく手招きをする。


「臭いますね」

「はい。かなり」


 駆け寄った同僚が隣で賛同し、ヘデラに携帯食料のパッケージを渡す。

 この匂いを嗅いで、食欲を削がれない者など正気の人間ではない。だが、物を食べねば人は動けない。それを分かっていた彼女は、嫌な顔をしつつもポケットにしまった。

 それを確認したところで、同僚が口を開く。


「報告には目を通しましたか?」

「一通り。問題は例の件ですね?」

「えぇ。問題は、この現場が、密室だという事です」


 第一発見者により解錠された正面扉。そして、内側から施錠された窓。集合住宅であることから、他の部屋と差異があるわけでも無い。この部屋に、窓と扉以外の出入り口は存在しない。


「面倒そうな事件ですね、これは」

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