4・冷たい奔獣

 ディギタスが掲げるマッチの灯りをもとに、二本の針金を駆使しグレシアが牢をこじ開け、少年に付けられた手枷を外す。

 十秒も経たぬ間に小さな金属音がしたと思えば、がちゃりと音を立てて手枷が落ちた。


「大丈夫か!? 喋れるか!? ……ここがどこか分かるか?」


 肩を軽くゆすり、グレシアが呼びかける声。

 しかし、それに少年が言葉で反応することは無く、代わりに掠れるような弱々しい呼吸音で彼女に応えた。

 グレシアが簡単な触診をこなし、やがて安堵のため息を吐いた。


「意識が無いだけで息はあるな。危篤という訳でもないと思う。ディグ、原因究明は今度に回そう。彼を担げるか? 火は私が持つ」

「分かった。その後は?」


 既に火を移し、ぐったりとする少年の手足を自身の肩に掛けようとするディギタスが、振り返らずしてグレシアに問う。


「取りあえずは医者だな。私のでは荷が重い。アクレーの所に行く」

「あぁ、あのモグりか」

「正規の医者だと、事情を話さないと診て貰えないだろうからね」


 担ぎ上げた少年にグレシアが火を近付ける。

 血の染み付いただぼっとした一回り大きな半袖シャツと、黒い短パン。汚れ、所々縮れ上がった黒い髪。幼さが残る顔は、どこか苦しそうに呼吸を続けていた。

 顔を確認すると、彼女はディギタスを先導するように火を高く上げ、元来た扉に再び手を掛けた


「ん?」

「不味いな」


 鳴り響く乱雑な足音に、二人が身体を強張らせる。

 それは二人の頭上。つまるところ、一階に何者かが複数人押し入ったという事だ。


「ゆっくりしすぎたね。ディグ、銃貸して」


 答えを聞く前にディギタスのホルスターから銃を抜き取り、くるくるとシリンダーを回しながら覗き込む。


「実弾は?」

「内ポケット。くすぐったいから取るなら早くしろ」

「分かった。あと笛、咥えさせてあげるよ」

「ガスが充満してる可能性は?」

「あったらとっくに死んでるさ。貸して」


 ディギタスの首元からぶら下がる笛を、彼の口に突っ込む。そして黒いゴム弾を捨てると、取り出した実弾を金音を立てながら装弾した。

 どたどたと隠れる様子の一切無い足音は、彼らがこの屋敷の正当な権利者であることを示しているようだ。

 そうこうしている内に、その足音は地下室の最奥へと近づいてくる。


「見つけた! 侵入し――――」


 グレシアはマッチを口に咥え、乱暴に扉を蹴り開け押し入って来た男の肩を、両手でリボルバーを構え躊躇い無く撃ち抜く。

 破裂音が反響し、硝煙の香りが充満した。マッチを指に戻すと、銃口から立ち昇る煙を短く息を吹き掛けて消す。


「急ごう」


 銃声を聞き付け、すぐさま人が集まるだろう。

 倒れ込み、苦痛に喘ぐ男を足蹴にしてのかす。

 行きに慎重に歩んだ道を、足早に駆け抜けていく。そして、最初の部屋に差し掛かった時、再度螺旋階段を急いで降りる足音が近付いていることに気付く。

 グレシアが再び銃を構える。ただ、現れた人物に対し発砲することは無かった。


「お、アリアか」

「あ! グレシアさぁん!!」


 先の丸い特殊な剣を握る少女が、躊躇い無く剣を手放し両手でグレシアに抱き着く。

 金属音が鳴り響くも、それを掻き消すようにグレシアの慎ましい胸に少女が頬ずりする音が鳴り始めた。

 金髪のポニーテールがグレシアの眼と鼻の先で激しく揺れ動き、少女探偵は鬱陶しそうに上体を仰け反らせる。


「貴女のアリア・シャルル! 只今ここに!」

「あぁ、うん。丁度いいタイミングだね。ヘアオイルを変えたのは分かったから、とりあえず離れようか」


 グレシアの言葉に、名残惜しそうに数度強く頬ずりした後彼女はグレシアの胸を離れた。

 瞳も、髪も、鮮やかな黄金色の少女だ。白を基調とした、物語に登場する狩人のような洒落た服と、首元の襞の付いた飾りは、彼女が高貴な身分であることを示している。

 上背は、グレシアよりも頭一つ分高い。顔立ちもグレシアとは異なり快活さに溢れ、腕も脚も、一回り逞しい。

 アリアは足元に落とした剣を拾い上げる。そして、思い出したようにグレシアの背後に立つディギタスへ視線を向けた。


「あ、いたんですか」

「いたよ。ガッツリな」

「お疲れ様です。もう帰っていいですよ。これからは私が、グレシアさんを護り抜くので」

「こいつを担いで戦えるなら帰るわ」

「は……?」


 彼女の視線がディギタスの肩から覗く小さな顔へ向く。

 掠れるような弱々しい寝息と、荒れの激しい肌。血か、それとも汚泥か。汚れの目立つ髪は、ぼさぼさと荒れ果てている。


「ディギタスさんの弟ですか? お似合いの汚さですね」

「殴るぞ?」


 グレシアへ向ける視線とは違う、廃棄物を見るかのような冷たい視線を物ともせず、ディギタスは呆れたように吐き捨てた。


「ここで救助した。今からアクレーの所へ行く。護衛を頼めるかなアリア」

「勿論ですグレシアさん!! 貴女の為なら例え火の中水の中! 王室にも剣を向けて見せましょう!!」

「それはやめてくれ。行くよ」


 剣を構えたアリアが先導し、グレシア、ディギタスの順で螺旋階段を昇っていく。

 階段の最中には顔も知らぬ男が伏しており、地下へと向かう最中でアリアが斬り捨てたのだろうと、グレシアは推察した。


「私が来た時点で目に付いた人物は全員斬りました」


 ようやく一階に上がった一行の先頭が、その特異な剣を鞘に納め言う。

 彼女の言う通り、後に続く二人が一階を見回すと、その至る所に血痕が散らばり、数人の男が指すら動かさず伏していた。

 グレシアとディギタスは見慣れているのか、その整った顔から血の気が引くだけだ。

 ただ、見る者が違えばこの光景はまさに死屍累々の屍山血河。香る血の臭いと、心なしか上がった室温は常人には耐え難いだろう。


「これは……、幽鬼の噂が加速しそうだね」

「ウェンブリーの怨霊、大勢を斬り殺す。明日の新聞の見出しはこれだな」

「嫌だなぁ、殺してませんよグレシアさん、知ってる癖に。何でオフの日に仕事しなくちゃいけないんですか」


 不満げにそう告げながら、アリアは返り血塗れの黒いブーツで正面玄関へ向かい踏み出した。

 グレシアと、最後に少年を担いだディギタスが続いて屋敷の外へと飛び出す。




 遠くない未来。クインテッドで活動する探偵であるグレシア・ユーフォルビアの手記には、こう記されている。


『運命という言葉を信じたことは無い。全ては論理的な意思決定の累積であり、起こるべくして起こる物だと、私は思う。ただあの日を思い返せば、運命という言葉が必ずと言っていい程脳裏に過る』


「ディグ、その子の容態に変化があったらすぐに……――――」


 彼女の言葉の最中、少年の瞼が弱々しい力で持ち上がり、翡翠色の瞳が覗く。

 それは確かに振り返っていたグレシアの蒼玉を捉え、そしてグレシアの青い瞳も翠玉を捉える。

 互いの時が止まったように、二人は静止した。


『そう思ってしまう程に、私達が共に砕いた氷山は大きかったのだから』

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