第19話氷
施設ではぴっちりとまとめていた肩につくつくらいの髪を耳にかけながら、吉沢さんはこちらに戻ってきた。表情はすでに平常のものにもどっている。それは逆に、僕にしんどさを与えた。
「こんなとこで会うなんてぐうぜんだね」
「ちょっとびっくりした」
「ね。しかもこんな短期間に二度も会うなんて」
ショルダーバッグの紐をかけなおし、話の接ぎ穂をさぐるように目線を泳がせている。
ここで「それではさようなら」とするべきか、否か。なんて考えのこたえの出る前にこたえが口から出ていた。
「俺さ、いまからそこでかき氷食べようとしてたんだけど、吉沢さんも時間あったら一緒しない?」
吉沢さんはきょとんとした。さすがに唐突すぎたかな。ここから三件目あたりにある、僕が越してきたときにはすでにあった喫茶店でかき氷を食べるなんてのはもちろん口から出まかせだ。だけど笑顔のかげからのぞいていた憂慮がすこしだけ消えた。
「いいよ」
うなずいてくれた。ほころんだ目元からまた、あの涼やかな風が感じられた。
胸ポケットにおさまっているばぁちゃんが、そわそわ動いている。ちょっとうっとおしい。
弱めの冷房がかき氷を食べるにはちょうどいい温度だ。店のすだれに貼り付けられた「かき氷」の紙はまだ新しい。それが裏から読める窓際に席をとった。
「花本くんなににするの?」
「宇治抹茶、と、あとでホットのブレンド」
「抹茶かぁ。いいなぁ、同じのにしよっかな。――ねぇ、あんこつけてもいいかな?」
「いいよ」
あんこの好きな女性と話す率が高い。氷の浮いたレモン水でむせそうになった。ばぁちゃんが小さい声であんこ? と歓喜の声をあげている。勘弁してくれ、今朝だって気の抜けたプリンアラモードを食らったんだから。
「花本くんはお買い物?」
「うん。夕飯のコロッケ。まだあったかいんだ」
「いいね。でも冷めちゃわない?」
「あぁ、うん。でもいいんだ」
「そう」
吉沢さんが顔を外にむけた。ぼんやりとした目線を投げている。
しばらくしてから届いたかき氷はふわふわのやつだ。抹茶も濃くてうまい。
「おいしいね」
「うん」
「あんこもおいしいよ」
「そっか」
急ぐと頭がいたくなる。かといってのんびりしているすぐに溶ける。ペース配分が難しい。小さなスプーンでつきくずしながら、ちまちまと口に運んだ。
半分くらい食べ終えて、ほとんどが水になったころ、吉沢さんが口を開いた。
「花本くん、ちょっとだけ話きいてくれる?」
「うん」
僕は、かすかなため息をついた彼女の手元を見ながら、抹茶味の冷たい水をスプーンですくった。
「今日は非番でね。コンビニ出たとこで電話があって」
「うん」
「その電話の相手っていうのが、……ちょっと前まで付き合ってた人なんだけど奥さんがいたの。私と同時期に勤めだした人。付き合い始めは独身だって言ってて、職場恋愛は周りに知れるとめんどうだからって内緒になんてうまいこと言うのを真に受けちゃって。私も転職したばかりで油断してたのね。さいわい、周りにばれるまえに別れられたんだけど。多分ばれてないと思う。なんだけど、まだたまに電話が来るの。着信拒否したいんだけど、できないの。……仕事は施設が別になったからかかわりないのに。だから余計に、そのひとも、自分の未練もイヤでたまらない」
かき氷のガラスの器の水滴が、切りそろえられた吉沢さんの爪を濡らしている。それをおしぼりでふき取って、吉沢さんは続けた。
「うち、父が浮気でもめたあげくに離婚して。母に男運がないのね、私もそうなのかなぁ」
僕は抹茶味の水を飲み終えた。吉沢さんも食べ終えた。
「返事に困るよね、ごめんね。聞いてくれてありがとう」
「うぅん。僕こそ聞くしかできなくて」
「こんな話、友達にもしづらくて」
「わかる」
「ほんとう?」
わずかに眉根をよせて、吉沢さんは肩をすくめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます