第9話団扇

 親父のアパートは二階建ての、鉄筋ではあるけれどその鉄がすばらしく錆びて赤くなっていて、プレハブのような古いアパートだ。

 鍵は預かっていたし、不動産会社にも大家にも事情を話してある。話のわかる大家で、事情が事情であるからと、早期の契約終了を快く引き受けてくれた。

 古すぎて次の借り手のすぐつくわけでもないから、急がなくてもいいとも言ってくれたが、住む人のいない家の家賃はもとより電気やガス代を払うのはむだすぎて、できるかぎり早くの退去にしたかった。

 入院してから、もう親父が家に戻ることはないとわかっていたけど、もしかしたらの希望でなにも片付けていない。けれど親父は入院前に覚悟をしていたのだろう、かなり片付いてはいた。もともと物の欲の少ない父だったから、普段から物のない家ではあったのだけれど。

「あっちぃー」

 無人であるのに、家にはどうしてこうもホコリがたまるのか。このホコリのおかげでエアコンもつけられない。窓を全開、換気扇全開、扇風機を回しているが、ぬるい風がかくはんされるだけでまったく涼しくならない。

「ばぁちゃん、なんかこう、冷気的なもの出せたりしないの」

 ばぁちゃんは誰もいないからと、普通の子どもサイズにもどって銀行でもらった団扇であおいでくれている。これもぬるい風だ。幽霊的なあれなら霊気だか冷気があるんじゃないのかと期待したけれど、首を横に振られた。

「ばぁちゃんはそういう類じゃないし、いろいろを使っちゃうからダメ」

 オカルトは苦手だ。深い追及はやめた。

「ほらゆうちゃん、がんばれがんばれ。ばぁちゃんは手伝えないからねぇ」

「あー、例の掟のあれな、了解了解、声援ありがとな」

 首筋の汗をぬぐう。ばぁちゃんはと見ると、水色のワンピースに似合う涼しげな顔をしている。やはりそこはそうなんだなぁと実感し、うらやましいようなそうでないような複雑な気分になった。

 使えそうな保存のきく食料品や衣類はもらうことにして箱に詰め、車に積む。ひとかかえ程度の段ボール二つだけだった。あまりの少なさに悲しくなる。タオルや米も使う箱にいれたのに、だ。引き取れないなと思ったものはゴミにするがそれも少なくて、こちらも袋にふたつである。しかし全部の処理はできない。今日は下見と思って来ている。冷蔵庫の中にまだすこしだけ物がある。家じゅうすべてのコンセントを抜きたかったが、また取りに来ることにした。布団や家具、家電の始末も明日以降だ。今日のように暑い日にまとめて作業したら倒れてしまいかねない。

 布団の敷かれていた部屋の奥に押入れがある。ここを確認して終わりにしよう。

 昔ながらのつくりの押し入れには、冬の布団が上段に、段ボールがひとつだけ下段の奥のはじにあった。

「なんだろ」

 物がないのだから手前にすればいいのに、あえてそこに置いたらしい。這って行って持とうとすると、案外に重い。ひきずって外に出す。ガムテープを幾度もはがしては貼りなおしたあとのある箱だ。開けてみると、分厚いアルバムが数冊、衣類が数枚出てきた。

「これ……」

 開かなくてもわかる。親父の昔の写真や、僕の写真だ。そして、おふくろの服と、妹のための服。着たおぼえはないけれど、自分が着ていたらしいものもあった。

 親父はひとりでこれをながめたのだろう。そうして、また封印し、封を解いてはまたながめたのだろう。

 胃と、肺のあいだのあたりがぐぅっと熱い。歯をくいしばってやりすごしてから、ぬるいスポーツドリンクを飲み干した。

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