第2話 ハロウィン

その日は、いつもより仕事が立て込んでいて、尚且つ、起訴内容に一々突っかかってくる、クセのある被告人と一戦交えたせいか、世の中の浮ついた空気が妙に許せず、藤次は不機嫌な面持ちで帰宅していた。


奇しくも今日はハロウィン。


仮装した家族連れやカップルが、楽しそうに街中を闊歩している。


「なんやねん。仮装パーティーちゃうねんぞハロウィンは!ケルト人の神聖な行事やねんで!」


ブツブツと宣いながら、家の前に辿り着く。


とにかく今日は疲れた。


こんな日は、さっさと風呂に入って寝てしまおう。


そう思いながら、ドアを開ける。


「ただいまぁ〜」


「おかえりなさーい。」


いつもと変わらない明朗な妻の声に、ささくれた心が僅かに癒される。


ピンと張り詰めていたものが解けていく安堵感に包まれながら、玄関にやってきた絢音を見やると…


「お、おまっ…なんやそれっ!」


目の前に現れたのは、フリルのついたミニスカートのメイド服と、頭には猫耳。お尻の辺りには尻尾を模したモコモコのファーを付けた、いわゆる猫耳メイドの姿をした絢音。


夫のびっくりしている反応が予想通りで嬉しいのか、彼女はクルリと回って、得意げにポーズをとってみせる。


「どう?似合う?」


「似合うぅて…お前、どこでそんなもん…」


「ディスカウントストアで安かったから。可愛いし!」


「安かったて…ちゅーかそれ!ちょっ、胸元開き過ぎちゃうか?!それにスカート!まさか思うけど、そんな格好でおもて歩いてへんやろな?!」


フリルで隠れているとは言え、四角形に大胆にカットされた胸元は、屈めば胸がこぼれそうな際どさで、藤次は思わず、着ていた背広を絢音に被せる。


「近所のスーパーにお買い物行ったわよ?ハロウィンじゃない?みんな可愛いって褒めてくれたの!」


屈託なく笑う絢音だが、藤次の心中は穏やかではない。


こんなに色っぽくて可愛い姿…本来なら独り占めしたかった。


けれど、夫の心妻知らず。無邪気にはしゃぐ妻に、藤次は恐る恐る聞いてみる。


「一応聞くけど、しゃ、写真とか、撮られてへんよな?」


この姿を目や記憶に留まらず、記録までしている輩がいたら…そう思うだけで、今すぐそいつの家に押しかけて、全てを抹消してやりたい衝動に駆られる。


そんな物騒な夫の心中を知る由もなく、絢音は恥ずかしそうに顔を赤らめながら答える。


「何人かにお願いされたけど、断っちゃった。照れ臭いじゃない。」


「ほ、ほうか…」


ホッと胸を撫で下ろす藤次を不思議そうに見つめながらも、絢音は徐に、両手を彼の前に差し出す。


「…と言う訳で、トリックオアトリート!!お菓子をくれないと、悪戯するぞーー!!?」


「お、お菓子?!き、今日はどっこも寄らんと帰って来たから…」


慌てて、絢音に被せた上着やポケットを漁ってみたが、お菓子どころか飴の一つもない。


「すまん。ない…」


「じゃあ、イタズラ決定!はい!目を瞑る!!」


「はっ?!えっ!?」


「早く!!」


促されるままに目を閉じて待っていると、不意にネクタイを引っ張られ、弾みで前屈みになった瞬間、チュッと、唇に柔らかな感触がはしる。


ゆっくりと唇と唇が離れて目を開くと、上目遣いで悪戯っぽく笑う妻の姿。


「イタズラですよ?ご主人様❤︎」


その瞬間、藤次の中で理性の切れる音がした。


照れながら、ご飯にしましょうと踵を返した絢音を、後ろから抱きすくめる。


「とっ、藤次さん?」


「ワシは?」


「へ?」


「ワシは、絢音にお菓子貰われへんの?」


その言葉に、絢音はああと頷き、藤次の方に向き直ると、ポケットの中を漁る。


「ちゃんとあるわよ〜。初めて作ったから美味しいか分からないけど、マカロン…」


そう言って差し出そうとした絢音の手を押さえて、藤次は低く囁く。


「ないんよな?」


「いや。だからちゃんと作っ……ん!」


戸惑う唇を、間髪入れずに塞ぎ、舌で犯す。


先程の甘ったるいキスとは違う、激しい…大人の口付け。


名残惜しそうに糸を引いて離れた唇をそっと耳元にあてがい、ネクタイを緩めながら、もう一度低く囁く。


「ないんよな?お菓子?」


「……ない…です」


耳まで真っ赤にして、その後の行為…イタズラを望むように絢音が呟くと、藤次はその身体をゆっくり抱き上げる。


「ほんなら、イタズラさしてもらおうかの。可愛いメイドちゃん?」


「でも、ご飯…」


「あとあと。」


「シャワー…」


「あとで一緒に浴びたらええやん。」


「いっ、一緒?!て言うか、下ろして!」


「あーかーん。このままベット行こうなぁ〜」


「ベット…」


顔から火が出るのではないかと言うくらい赤くなった妻を抱いて、先程までの不機嫌はどこへやら、仮装ハロウィンも悪くないと思う、藤次なのでした。





【了】



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