第3話 ネクタイ
夏と言えば、最早恒例行事となったクールビズ。
藤次のいる京都地検も御多分に洩れず、ノーネクタイで過ごす職員が増えてきて、彼自身も、そろそろこの暑苦しい紐を取り払ってしまおうかと、思案していた時だった。
「はい。藤次さん。」
「ん?」
その日は絢音のアパートで、DVDを見たり本を読んだりと、いわゆるお家デートを楽しんでいた時だった。
不意に目の前に出された、瀟洒な百貨店の包みを見て、藤次は首を傾げる。
「なんや…どないしてん?誕生日もクリスマスも、まだ早いで?」
他に何か記念日あったかのぉと呟く藤次に、絢音は照れ臭そうに頬を染める。
「この間、通い始めた作業所の、初めてのお給金日だったの。だから、初めてだから…藤次さんに、何か贈りたくて…」
大したものじゃないんだけどとはにかむ彼女につられて、藤次の顔もみるみる赤くなる。
「そ、そんなんお前…自分の為に使えや。頑張って働いた金やろ?それをワシなんかの為にぃて…」
受け取り、開けてええかと問う藤次に、絢音は恥ずかしそうに頷く。
絢音が、障害者向けの軽作業が行える福祉施設に通い始めたのは知っていたが、まさかこんなサプライズがあるとは夢にも思わず、渡された包みを丁寧に解いていくと、現れたのは、一本のネクタイ。
「へぇ、ええやん。」
深い藍色に、白の小紋柄と言うシンプルなデザインは、それなりに好みで、藤次は嬉しそうにそれを眺める。
「お店の人がね、小紋はクラシックで誠実な雰囲気が出ますよって言うから買っちゃった。検事さんな藤次さんにぴったりでしょ?」
そう言うと絢音は何を思ったのか、藤次の手の中にあるネクタイを取り、彼の首にかける。
「な、なんやなんや?!」
戸惑う藤次に構わず、一生懸命ネクタイと格闘すること10分。
出来たのは、少し歪な結び目。
「出来た…」
満足そうに笑う絢音を不思議そうに見つめていると、視線がかち合い、絢音は恥ずかしそうに呟く。
「奥さんになったら、毎日旦那さんに結んであげるんでしょ?だから、練習したの…」
「お、奥っ…さん…」
忽ち真っ赤になる2人。
しばらくして、藤次は生唾を飲み込んだ後、口を開く。
「結婚……しよか?」
「!」
瞬く絢音の手を握り、額を合わせる。
「ワシ…いや、俺の…奥さんになって?」
「………はい。」
破顔して頷く絢音にそっとキスをして、2人は永遠を誓い合う。
「ネクタイ…ぎょうさん買わんとあかんな?」
「うん。」
「買いに…行くか?」
「うん!」
支度してくるねと言って、涙を拭う絢音を見送り、藤次は初めての妻の仕事ぶりに苦笑する。
「結び目…逆やん。」
これから色々教えたらなあかんなと呟き、藤次も身支度を始めた。
*
それから暫くして、季節は盛夏を迎える。
道ゆく誰もが、涼しげに胸元を開き歩く中、藤次はしゃんとネクタイを結んで、今日も地検の門をくぐる。
「おはようさん。」
「はい。おはよう御座います。検事。」
事務官佐保子の横を通り、いつもの指定席へ腰を下ろす。
「今日は、最高気温37度らしいですよ。検事、暑くないんですか?って言うか、見てるこっちが暑くなりそうなんですけど…」
訝しむ佐保子に、藤次は照れ臭そうに苦笑う。
「堪忍な?ワシの奥さんの、愛情表現やから。」
少し歪な結び目にそっと触れる藤次の左手薬指に光る永遠の証…
朝からお熱いこと。
そう心で呟き、佐保子は盛大にため息をついて、仕事の資料を彼に渡した。
【了】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます