桃原に花の咲く頃(二)
その多くは無位無官の身。官府に出仕することで俸給を得ている者ではなかったが、門道の大路の端に引かれた水路の向こうに並ぶ彼らの住居は、華美ではないが決して貧小なものではない。
彼らの多くはかつて
食客とは、封土に縛られずに自らの才能を
章弦君は王淑公の次弟で、王淑の公子でありながら同時に逢の
中原はもとより〝この国〟の各地から集まってきたその数は三千人。ここ
鷲申君が集め、章弦君が引き継いで率いることとなった彼らは、〝境丘学派〟と呼ばれた。
十六歳となった
彼には一途な想いがある。
境丘門下で学問の研鑽を積み、章弦君の目に留まる。
そして
途方もない目論見と言えたが、諸侯・大夫の家に生れなかった徐云が立身できるとすれば、たしかに
これだけ聞けば、ひとは彼のことを野心家とみるだろうか。
――彼のおとなし気な面差しを見れば大方の者が〝そのような大それた野心には思い至らぬ〟と思ったであろう。だが、意志の強そうな眼差しに〝
春の陽射しの中、師の使いで門道に出た徐云は、〝
(今日こそは「十論」三十三篇のうちの残り七篇、しかとこの手に借用しなければ……
使いの内容はしごく単純で、高
徐云はこの〝使い〟を果たすのに、もう
三十篇余りの
一聞すると偏屈な墨家が若い学士を苛めているように聞こえるが、実際は高偉瀚と南宮唐がしめし合せて徐云の悟性を鍛錬しているとみるのが妥当だろう。
が、年若い徐云に、
今日こそは、と意気込む徐云が、最初の〝条〟と〝坊〟の大路の
甲高い男の、妙に芝居がかった声が聴こえてきた。
都大路の辻という往来で、
男は、妓女風情の
「われは章弦君が士を好むと聞いてこの地に参った。
天下の士が千里を遠しとせずにやって来たのは、君が士を
然るにいま、われは浅学の妾の面当ての如き
最後には往来の人々を煽るよう、そう問い掛けてみせる始末だった。
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