第10話 理屈じゃ恋は止められない

 綾音と夜の街へ歩き出す。

 外を出歩く人はおらず、閑散とした冷たい空気が漂っている。


 深夜の二時だし、当たり前か。

 デートするには、あまりにも遅すぎる時間帯。


「涼しくて気持ちいいね~」


 隣を歩く綾音は、風で髪をなびかせながら言った。

 五月の夜は少し肌寒いが、暑くもないので比較的快適だ。


「でも、こんな時間にどこに行くつもりなんだ?」

「いつもの公園だよ」


 その一言で思い浮かぶのは、住宅街から離れた場所にある小さな公園だ。

 俺と綾音が、昔から一緒に遊んでいた公園なのだが、人はほとんど寄ってこない。

 ロクに整備もされなくなり、今では草が生い茂っている。


 俺と綾音が通っていた中学の帰り道にあったこともあり、下校時には毎日公園へ寄っていた。

 邪魔する人が誰もいない場所で、日が暮れるまで喋っていたんだよな。


 そして、綾音に告白した場所でもある。

 だから、俺は彼女が死んでから行かなくなってしまった。


「……今行っても、暗いだけだと思うけど?」

「いいねいいね~。二人っきりでイチャつけるなんて天国じゃん。いつの間にか二人とも死んじゃったのかな~」

「綾音が言うと笑えねぇよ」


 綾音は笑いながら、俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。


「でも、今はまたこうして翔馬と一緒に歩ける。幸せだね」

「それは……まあ……」


 口ごもりながら頷くと、綾音は嬉しそうに笑っていた。


 そのまま、俺たちは腕を組みながら歩いた。

 途中で人の姿を見かけることなく、十分ほど歩いてようやく公園へ辿り着いた。


 公園は、以前に来たよりもずっと寂れているように見えた。

 設置されている遊具も、滑り台や鉄棒、ブランコがだけ。

 入り口から少し離れたところに公衆トイレがあり、その傍らに街灯が暗闇を照らしていた。


 公園を入ってすぐのところにあるベンチに綾音は座った。

 その隣に設置された自動販売機で二人分のコーヒーを買うと、綾音に手渡す。


「ありがと」

「別に。でも、デートって言うわりには地味じゃないか?」


 話しながら、俺は綾音の隣へ腰を下ろした。

 目の前に広がるのは、空虚な世界だ。

 誰もおらず、街灯が己の存在意義を主張するために辛うじて仕事をしているだけ。


「こんな夜中じゃ、どこにも出かけられないからね」

「だったら、休日の昼間とかでもよかったんじゃないか?」

「それは無理かな。昼間は雪奈ちゃんと入れ替われるか分からないし」

「……もしかして、綾音は夜にしか入れ替われないのか?」


 昨日も、綾音は夜に入れ替わっていた。

 可能性としては考えられたが、綾音は首を振った。


「ううん。時間は関係ない。やろうと思えば昼にでも入れ替われるよ」

「なら、入れ替わる条件ってなんだよ……」

「教えないよ。雪奈ちゃんのためにも。まあ、昼に私が出てくることもそうそうないと思うけどね」

「どうしてそう言えるんだよ」

「うーん……じゃあ、キスしてくれたら教えてあげる」


 綾音はこちらに振り向くと「んっ」と唇を突き出してくる。


「するわけないだろ!」

「あははっ。照れてる~」


 綾音はからかうように、俺の頬をつつきながら言った。


「そういえば、付き合ってた頃もキスとかしたことなかったね」


 二年前のことを思い出して、頷いた。


「俺ら、結局どこまで行ったんだっけ?」

「ぎゅ~って抱きしめ合うところまでかな。ほら、翔馬が私に告白した時、勢いで抱きしめてきた時遭ったじゃん。痴漢に襲われたのかってくらい強すぎて苦しかったけど」

「うっ……緊張してたんだよ。すまん……」

「ふふっ。それでも、嬉しかったから許してあげる」


 隣に座った綾音は、俺の手に指を絡ませた。

 頬を赤く染め、潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。


「あの時もそうだったけど、今でもドキドキしてるんだよ。だから私ね、器が変わってもずっと翔馬のことが好きなんだなって思うんだ」

「器……?」

「この身体のこと」


 綾音は、胸に手を当てて自身を示した。


「肉体が雪奈ちゃんに変わっても、翔馬の傍にいるだけですごくドキドキしてきちゃうの。身体も火照ってきて、すごくもどかしい気持ちにもなる」

「……俺も、綾音が生きていたころはそう感じてたよ」

「知ってる。今でも、そう思ってくれてるんだよね?」


 綾音の手が、俺の首の辺りを撫でた。

 首にはネックレスを下げている。

 チェーンの部分を指でなぞり、徐々に下へ手を移動する。

 そして、その先についた小瓶を、人差し指で軽く小突いた。


「これは、その証拠」


 小瓶の中に入った物の正体を知っているらしい綾音は、嬉しそうに話す。


「器が変わっても、こうして好きになってくれてる。本物の愛だよね。別の器になっても、お互いにお互いが好きなんてさ、運命の糸で結ばれているとしか思えないよ」

「……でも、今の俺たちは兄妹だ。血の繋がった家族なんだよ。家族で抱きしめ合うことはあっても、キスするなんて普通じゃない」

「理屈じゃ、恋は止められないんだよ」


 ネックレスから手を放すと、綾音は俺の首へ両腕を回してきた。

 途端に迫る身体。

 抱きしめられ、マシュマロのような柔らかさを押し付けられた。


「倫理観なんてどうでもいい。好きになっちゃったら、もう止められないの。両想いならなおさら……それなのに、どうして幸せになろうとしちゃいけないの?」

「それは……」

「兄妹で恋をすることの何が悪いの? 好きになっちゃったものは仕方ないじゃん。世間体だとか、倫理観だとか……そんなのどうだっていい」


 鼻先が触れるほど顔を近づけて、綾音は甘い言葉で囁いた。


「好きって気持ちに素直になろうよ。私と雪奈ちゃんは、入れ替わっている間は記憶を共有できない。知らない間に起きていることにまで、罪悪感なんて覚えなくていいんだよ」


 綾音の言葉に、心を揺さぶられそうになる。


 一度は失ってしまった幼馴染み。

 彼女をこの手で抱きしめて、唇も奪えたなら――それは、どれだけ幸福なことだろうか。


 たとえ、その姿が実妹のものだったとしても。


「翔馬だって、私のことを好きにしたいって表情が言ってるよ」

「……分かってるよ。素直になれたなら、どれだけ楽なのかってことくらい」


 だけど、素直な気持ちになろうとすれば雪奈のことを思い出してしまう。

 逆も然り。

 雪奈を見ていると、綾音のことを思い出してしまう。


 正直に言えば、俺は二人ともを等しく好きでいたいのだ。

 だが、現実には許されない行為だ。

 浮気も同然。というか、浮気そのものだろ。


「俺は、まだ決めかねてるのかも。今の綾音のことももちろん好きだけど、ちゃんと好きでいていいのかなって、悩んでる」

「じゃあ、答えが出るまで待てばいい?」

「うん。きっと、答えは出すよ」


 俺は顔を上げて答えると、ずっと持っていた缶コーヒーのプルタブを空けた。

 すっかりぬるくなったコーヒーを呷る。

 口の中に苦い味が広がった。


「うえぇ……にがぁ……」


 隣で、綾音も同じようにコーヒーを飲んで舌を出して悶えていた。

 そして、ふと目が合ってお互いにくすりと笑いあった。


「俺たちにはまだ早かったかもな」

「翔馬だけでしょ? 私はもう大人だからだいじょーぶ」

「今は俺の一つ年下のくせに」

「彼女が若返ったんだよ? よかったじゃん」


 綾音が肩で小突いてきた。

 そのまま身体をこちらへ預けてくると、肩に頭を置いて目を閉じた。


「はぁ……でも、転生してよかった。またこうして、翔馬と二人でいられるのすごく幸せなの」


 綾音は薄く目を開いた。

 目の前の暗闇を見つめながら、憂うように続ける。


「来世になっても結婚する、とか言ってるカップルいるじゃん。そういう人たちって、たぶん今の私たちみたいな関係になりたいってことなんだよね」


 俺たちもそうだった。

 付き合っていたのはたった二週間だったが、来世でも一緒に居たいって思ってた。

 まさか、あんなに早く別れが来るとは思わなかったが……。


「来世になっても、お互いのことを忘れてないで結ばれたら幸せだよね。恋人になって、結婚して、子供も作って、一緒に歳をとって……そういう風に、私もなりたかったなぁ……」

「……なれるよ」


 綾音の頭を撫でて、答えた。


「俺たちも、まだこれからだ」

「……うん」


 綾音は小さく頷いて、俺の肩で目元を擦った。

 顔を上げた彼女の目元は、うっすらと赤くなっている。


 それに気づかないふりをして、俺は笑いかけた。


「そろそろ帰るか。明日も学校があるしな」

「……ねえ」


 立ち上がろうとすると、綾音が服の裾を掴んで引き留めてきた。


「今日も、一緒に寝ていい?」

「……いいよ」


 答えると、綾音はパァと花が咲くように笑った。


 さっきまでは、深い関係にはならないと思っていたはずなのに。

 綾音への気持ちを再確認したせいか、今ならキスも受け入れてしまいそうだった。



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