第9話 二つの人格
雪奈が綾音になることもなく、夜になった。
深夜、眠っていたところを急に息苦しさに襲われた。
「うぐっ……まさか、金縛り……」
「幽霊じゃないよぉ~!」
「は……っ⁉」
金縛りが返事をしてきて、一気に眠気が醒めた。
目を開けば、俺に跨りながらこちらを見下ろす雪奈の姿があった。
「あっ、やっと起きたね!」
普段とは違う、明るい笑み。
それを見た瞬間、俺は気づいてしまった。
「綾音……なのか?」
「そうだよ? また会えたね」
「っ……!」
どうやら、彼女はまた転生してしまったらしい。
いや、違うな。
おそらくこれは……。
「まさか、二人の人格が一つの身体の中にあるのか?」
「そうみたいだね」
綾音は雪奈となった自身の身体を見下ろした。
「身体は雪奈ちゃんだけど、この中には私と雪奈ちゃん、両方の人格がいるみたい。あるトリガーをきっかけに、私たちは入れ替わってるんだと思うの」
「トリガーって、何だ? どうすれば、二人は入れ替わるんだ?」
「一つだけ心当たりがあるの」
綾音は人差し指を立てると、自分の唇に当ててウインクした。
「でも、内緒」
「は?」
「その方が、雪奈ちゃんのためにもなると思うから」
「どうして教えてくれないんだよ。もし、学校で入れ替わったりとかしたら大変なことになるだろ」
「大丈夫。普通に生活していれば、まず入れ替わることはないから」
ますますわからない……。
首を傾げていると、綾音は「でも……」と言葉を接いだ。
「……一つだけ、翔馬に訊ねないといけないことがあるの。……私に何か、隠してることない?」
綾音の鋭い眼光が、俺の心を射抜いた。
隠していることは一つだけあった。
それは、俺と雪奈が付き合っていること。
だが、それは綾音に知られる訳にはいかなかった。
一度死んだ彼女は、二度と後悔しないように俺に対してヤンデレに振る舞う。
もし、雪奈と付き合っていることがバレたら何をされるか分からない。
ごくり、と息を呑み、慎重になりながら答えた。
「……隠してることはないよ」
「ほんと?」
「俺が綾音に隠し事なんて、するはずないだろ?」
俺は笑いながら、平気で嘘を吐いた。
自分でも最低だな、って思う。
心もギュッと締め付けられて、痛い。
だが、綾音は気づいていない。
ぱちりと目を瞬かせると「そっかぁ……」と小さく呟いた。
「ま、雪奈ちゃんが勝手にしてることかもしれないしね……」
「勝手にしてる?」
「……ううん、翔馬は気にしなくていいこと」
綾音はニコッと笑顔になってそう答えた。
綾音も、俺に隠し事をしているみたいだ。
何を隠しているのか気になったけれど、俺だって同じように隠しているので深く詮索は出来なかった。
「それよりも、ほら! せっかく再会できたんだから、ぎゅってしてよ」
俺の身体に跨っていた綾音は、身体を倒してべったりとくっついてきた。
胸の辺りに、成熟した柔らかなふくらみを押し付けられてしまう。
「は、離れろって……」
「ふふっ。そんなこと言って、無理やり引きはがそうとしないくせに……本当は、こんなことしてほしかったんでしょ?」
綾音は寝転んだ俺を上から抱きしめると、耳に唇を添えた。
舌が伸び、耳の穴を軽く舐められる。
「うっ⁉」
「あはっ。翔馬ってば、耳弱すぎ~」
おもちゃを見つけた子供みたいに笑って、綾音はさらに舌を伸ばした。
耳の穴に舌がねじ込まれ、ぐちゃぐちゃと水音を鳴らしながら蹂躙される。
身体を捩って、何とか舌から逃れる。
すると、今度は耳たぶを甘噛みしてきた。
「はむはむ……」
「や、やめろって……くすぐったいから……!」
「えへぇ。やーだっ」
身を捩る俺の身体を両手足でホールドしながら、綾音は耳を舐め続けてきた。
「はむっ……んちゅっ……れろれろ……」
「うぐっ……うぅ……んっ……!」
ただ、耳を舐められているだけ。
それなのに、イケナイことをしているように感じてしまう。
前に首を舐められた時もそうだったが、綾音は妙にこういうことに小慣れている様子。
やがて、綾音は俺から顔を放した。
見上げれば、上気した頬で顔を蕩けさせている綾音の姿がそこにあった。
「ね、翔馬」
綾音が、至近距離から俺を見つめてくる。
舌ったらずになった甘い声で、彼女はこう続けた。
「キス、しちゃおうよ」
「いや、それは待っ――」
「ううん……もう、待てない」
俺の制止を無視して、綾音は顔を寄せてきた。
綾音の……雪奈の唇が、俺の唇に触れそうになる。
その瞬間、俺は顎を引いて鼻先で彼女の唇を受けた。
「むっ……そんなに嫌がられると、ちょっと傷つく……」
鼻先にキスしたことに気づいて、綾音は不満げに眉根を寄せながら身体を放した。
「どうして、そんなに私とイチャイチャしてくれないの?」
「お前の身体は雪奈のものだろ。俺は雪奈を大事にしたいんだ」
兄妹で付き合っているとはいえ、それも限界がある。
人前でキスは出来ないし、子供を作るなんてもってのほかだ。
だから、俺と雪奈はキス以上のことはしていない。
キスをすれば、さらにその先の関係になりたくなってしまうから。
やりたいという気持ちがあったとしても、やっちゃいけないんだ。
「――嘘ばっかり」
だが、綾音は納得してくれなかった。
身体を起こすと、俺に跨ったままベッドサイドに置いていた小瓶のネックレスを指さした。
「私……この小瓶の中身、知ってるよ?」
瞬間、ぶわっと全身の毛穴が開く感覚を覚えた。
冷たい汗が溢れ出し、身体がガクガクと震える。
表情をこわばらせた俺を見て、綾音は「あはっ」と笑った。
「その顔、やっぱり図星だったんだ。えへへ……」
綾音は笑う。嬉しそうに。
「な、何で……これの中身を知ってるんだ! というか、本当に知ってるなら、そんな風に笑えないだろ!」
「ううん。これこそ、翔馬の愛だなって感じるんだもん」
綾音は両手を頬に添えて、顔を赤くしながら続けた。
「翔馬は、私が死んでからもずっと私のことを忘れてなんていなかった! でもさ、だったらなおさらだよ。次にいつ会えなくなっちゃうか分からないんだし、やりたいことは今やるべきだよ。――死んじゃったら、やりたいことは何もできなくなっちゃうんだよ? 死んでから後悔しても遅いんだから」
綾音は一度死んでいる。
後悔することの辛さは、彼女が誰よりも知っている。
そして、俺自身も綾音がいなくなって、死にたくなるほど後悔した。
いっそ、死んでしまえば楽になれるとさえ感じていた。
あの時と同じ後悔をするなんて嫌だ!
綾音はこうして雪奈の身体に転生しているが、それも今だけのものかもしれない。
いつか、綾音が消えてしまう可能性だってあるんだ。
死んで後悔するくらいなら、やりたいことを今やるのが一番だ。
転生した今がチャンス。
雪奈の気持ちなんて無視して、自分の欲望のままにやりたいことをやるべきだ。
そう、分かっているはずなのに……。
「……それでも、俺は雪奈とキス以上のことをするつもりはない」
「……そう」
綾音は顔を伏せた。
前髪が目の辺りに落ちてきて、陰になって表情が見えなくなってしまう。
「え、ええと……だからって、綾音のことが嫌いってわけじゃないんだ。それだけはちゃんと信じてほし……」
「だったら、これからその気にさせてあげる」
綾音は俺の上から退き、ベットから降りた。
彼女に手頸を掴まれて、俺も身体を起こされる。
俺の手を掴んだまま、綾音は真剣な表情でこう話した。
「これから、デートしよ? それで、翔馬をその気にさせてあげるから」
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