二部式着物を作る

増田朋美

二部式着物を作る

暑い日だった。どこかの地域では40度を超えたらしい。それで持って節電がどうのというのだから、たまったものではない。今日も多くの人が、熱中症で病院に運ばれたというが、病院も受け入れが大変だろうなと思われる。さいたまの熊谷とか、岐阜の多治見とか、暑いところは、本当にいくらでもあって、まるで灼熱と言ってもいいくらい、暑い気候だった。

そんな中だから、製鉄所を利用している人もあまり多くなかった。しかし、杉ちゃんは着物を縫う作業、ジョチさんは書類などを書いていると、

「ごめんください。」

と、男性の声が聞こえてきた。一体誰だろうと思って、玄関先へ行ってみると、

「あの、失礼ですけど、杉ちゃんさんはいますか?」

やってきたのは、身長が四尺しか無い、ピグミーのナンだった。今は、木下真苗さんと結婚して、木下ナンと言う名前になったはずだ。

「はい。いますけど、どうされたんですか?」

ジョチさんがそうきくと、

「はい。着物のことで、相談したいことがありまして。」

と、ナンは言った。まあとりあえず、暑いですから、入ってくださいと言って、ジョチさんは、ナンを部屋の中に招き入れた。杉ちゃんは、縁側で、着物を縫っていた。

「杉ちゃん、ナンさんが着物のことで相談したいことがあるそうなんです。なんなりと聞いてやってください。」

と、ジョチさんがそう言うと、杉ちゃんは着物を縫う手を止めて、ナンの方をみて、

「お!ドワーフさんどうしたの?この暑いときに、よく来られたな。あ、そうか、アフリカだから、あまり暑いとか、気にならないのか。」

なんて言うのであった。

「ドワーフさんというのは、ちょっと、差別的な発言ではありませんか?それは、避けたほうがいいと思いますよ。」

ジョチさんはそう注意したけれど、杉ちゃんは、ゲラゲラ笑って、やっぱり、お前さんには、ドワーフが一番いいよ、なんて、笑っているのだった。

「まあ、あだ名とかはどうでもいいんです。ちょっと、聞いてほしいことがありまして。」

と、ナンは、杉ちゃんに言った。

「聞いてほしいって何を?」

と、杉ちゃんが言うと、

「久保夢路くんのことで。このままじゃ、彼、別の施設に送られてしまいます。それじゃあ、可哀想なので、なんとかしてあげたいんです。」

ナンは話し始めた。

「久保夢路、ああ、この間、虐待を受けていて、母親が逮捕された事件の息子さんですね。彼が可哀想とはどういうことでしょうか?」

と、ジョチさんが聞くと、

「ええ、僕は今、その施設で、絵本の読み聞かせをしているのですが、そのときに、夢路くんに本を読んで聞かせたところ、夢路くんは、本のページを破いてしまったんです。それに、この頃彼は、一言も、口を聞いてくれない。他の施設の職員さんにも、利用している子供さんにも全く口を聞かないんです。今、職員さんの間で、彼を更迭しようという話が始まっています。それでは、あまりにも可哀想で。なんでも、精神病院に送られてしまうとか聞きました。その前に、なんとか心をひらいてもらえないかなって。」

と、ナンは日本語の使い方を間違っているところもあるが、そういう言い方で、一生懸命話してくれた。

「そうですか。ちなみに、どちらに送られてしまうか、それはまだ不明ですか?」

ジョチさんが聞くと、

「ええ。僕はただ、ボランティアで行かせてもらっているだけですし、職員さんたちの話を聞いただけなので、あまりよく知りませんが。でも、職員さんたちが、影浦っていう言葉を話していましたので、そういう名前の病院ということだと思います。」

ナンは答えた。

「わかりました、つまり影浦医院に送られていくということですね。影浦先生は、大変情け深い方ですから、患者を邪険に扱うことはいたしません。それは僕が保証します。ですが、夢路くんが、可哀想ですね。何もあったわけではないのに、親から引き離されて、また病院に送られてしまうんですから。」

「そうだなあ。まあ、でも、子供が大人に反抗するということはできないから、その取り決めに反対することはできないんだろうが、誰か、新しい親御さんに早く会えるといいのにね。」

ジョチさんの話に、杉ちゃんも言った。

「いずれにしても、影浦医院に入院したら、見舞いに行きたいな。夢路くんが一人では無いってことを、示すためにな。」

「そうですね。それに、影浦医院はここから近いので、何度か彼のもとを訪れることができるでしょう。返って、今の養護施設にいるよりいいかもしれませんよ。僕達も、そのほうが、有利になるかもしれません。」

杉ちゃんとジョチさんは、そう言い合った。そうなると、ナンが心配していることも、あまり気にしないでいいのかもしれない。

「それでは、夢路くんが、病院に入ったら、連絡をください。すぐに、僕達も、見舞いに伺わせていただきます。」

「ああ、ありがとうございます。彼は、一人ぼっちで、病院に入ってしまうのではないかと、可哀想な気持ちでいましたが、理事長さんと杉ちゃんがそう言ってくれて嬉しいです。やっぱり、話してよかった。黙っていたら、僕は辛くなっちゃう。」

ナンは、外国人らしく、そういうことを言った。日本人と比べると、黙っているのは苦手なようだ。

「夢路くんは、僕には、なついてくれていました。背丈が、彼と同じくらいだったので、それで、なついてくれていたようです。ですが、本を破いてしまうという行為を示したのは、きっと、僕も裏切ったということで、ショックだったんだと思います。」

「ええ。わかりましたよ。それでは、彼が入院されたら、すぐ訪れましょう。」

「ありがとうございます。」

ジョチさんがそう言うと、ナンはとてもうれしそうに言った。やっぱり外国人らしく、しっかり笑顔をみせている。そういうふうにわかりやすくしてくれれば、早く要件が伝わるような気がする。

その数日後のことだった。ナンから、夢路くんが影浦医院に搬送されていったと連絡を受けた杉ちゃんとジョチさんは、急いで小薗さんの車で、影浦医院に向かった。病院に入ると、影浦千代吉先生が来て、

「ああ良かったです。お見舞いに来てくれて、患者さんはとても喜びます。それだけではなく、僕達も、ちょっと治療がしやすくなります。」

と、二人に言った。それで、夢路くんの様子はどうか、と、杉ちゃんが言うと、

「はい。とりあえず、昨日から小児病棟に入ってもらっていますが、とにかく僕にも、看護師にも、誰にも口を聞かないので、困っておりました。それでは、こちらの部屋にいらしてください。」

と、言って、影浦は、小児病棟へ二人を連れて行って、久保夢路と名札が置いてある、小さな個室に入った。

「夢路くん、杉ちゃんと、理事長の曾我さんがお見えですよ。」

景浦がドアを開けると、夢路くんはベッドに座ったまま、何も言わなかった。

「もう忘れてしまったんですかね。」

ジョチさんが急いでそう言うと、

「じゃあ、始めからやり直せばいいや。僕の名前は、影山杉三で杉ちゃんって言ってね。職業は和裁屋。着物を縫う職人だ。こっちは、親友の曾我正輝さんで、あだ名はジョチさん。よろしくおねがいします。」

杉ちゃんがそう言っても、夢路くんは、何も言わなかった。

「まあ、この頃、暑さが厳しいというか、すごく暑いなと言うことで、頭に来るくらいだけど、夢路くんも、体調を崩さないように気をつけてね。まだ、五歳だろ?それでは、病気にもなりやすいだろうし、気をつけなきゃね。」

と、杉ちゃんが優しく言うと、夢路くんはちょっと杉ちゃんの方を見てくれた。

「こちらはお見舞いです。許しが出たら、食べてください。夢路くんがどんなケーキが好きなのか、わからないですけど、一応、子供さんに合うケーキとして、苺ショート買ってきました。」

ジョチさんがケーキの入った箱を取り出すと、

「ケーキ!」

と、夢路くんは、嬉しそうに言った。やはり小さな子どもらしかった。そういうふうにケーキが大好きなのは、やっぱり子供である。

「ちょっと中見せてあげようか。」

杉ちゃんがそう言って、持ってきた箱の蓋を開けた。スポンジケーキにいちごを乗っけたいちごショート。とても、美味しそうなケーキだった。でも、夢路くんは変な顔をしている。

「お気に召しませんか?」

ジョチさんが聞くと、

「これ、ママと一緒にいた人が、くれた。」

と、夢路くんは答えた。それを聞いて影浦が、

「それでは、お母様には、恋人というか、そういう人がいたんですか?」

夢路くんに聞いた。夢路くんは静かに頷く。

「わかりました、そういうこともちゃんと話してくれないと、治療プランを立てることができませんから、これからはちゃんと、お医者さんの質問には答えてくださいね。」

ジョチさんがそう言うと、夢路くんは嫌そうな顔をした。

「仕方ありません。彼には、信じられる大人が必要です。それはそうでしょう。最愛のお母さんも、自分を裏切ったのですから。僕たち医療関係者も、一生懸命性を尽くしますが、でも、夢路くんのことを、絶対的に守ってあげられるとか、そういうことはできません。それは親御さんでないとできないことです。」

と、影浦がそう言うが、杉ちゃんが、

「まあ待て待て。そういう中途半端な態度をとってるから、子供が大人を信じられなくなっちまうじゃないか。それなら、こう言ってやるべきだろう。ずっと、おじさんたちと一緒にいようね。おじさん、毎日お前さんのところに来てあげるから。今度は、お前さんの本当に好きなケーキ買って来てやるから。まずは、僕達のことを信じて、ちゃんとお医者さんの話を聞いて、話すことはちゃんとするんだよ。」

と、乱暴な口調だけど優しく言ってくれた。それを聞いて、夢路くんの表情が変わった。

「じゃあ、そういうことですので、僕、毎日ここへこさせてもらいます。それでまず、大人って言うのは、信じてもいいと思ってくれることから始めようぜ。」

「わかりました。じゃあ、小薗さんに、杉ちゃんをこちらまで送り迎えさせましょう。僕もそれはしたほうがいいと思います。彼には、そうさせたほうがいいです。」

と、杉ちゃんが言ったので、ジョチさんがその様に決めた。そこで杉ちゃんが、毎日夢路くんのもとを訪れることになった。

その次の日、杉ちゃんは、小薗さんの運転する車で、影浦医院に行った。小児病棟を訪れて、自分の着物を縫うことや、相棒である、ジョチさんや、運転手の小薗さんのことを夢路くんに話したり、一緒にお弾きしたり、お手玉を持っていって、遊んでくれたりしたのだが、夢路くんはどうもよそよそしい感じだった。その日も、夢路くんと一緒に、手遊びをしていた杉ちゃんのところに、影浦が回診にやってきた。

「だいぶ楽しそうにやっていますね。いつも来てくれてありがとうございます。ほんと、杉ちゃんが来てくれて、本当にありがたいです。」

でも、夢路くんは、影浦に言われて、はいということはできないようだった。

「どうしたんですか?なにか不満なところがあるんですか?」

影浦がそう言うと、夢路くんは、小さな声で、

「ママがほしい、、、。」

と言った。

「へえ?パパがほしいとも言ってたのにね。看護師さんではだめなのかな?」

と杉ちゃんがそう言うと、

「まあ仕方ありませんね。子供さんの言うことはコロコロ変わって当たり前です。女性の遊び相手が欲しくなるのも当たり前ですよ。子供の要求はそういうものですから。」

と影浦が言った。

「そうか。わかった。それなら、製鉄所のメンバーで、使えそうなやつを連れてくるよ。お前さんが、そう思っているんだったら、そうしたほうがいいよなあ。女性のメンバーで、優しい女性を連れてくる。」

杉ちゃんが、すぐいった。杉ちゃんという人は、すぐに、答えを言うことができるのが、一番の長所かもしれなかった。他の人であれば困るとか、そういうことを言うのに、杉ちゃんという人は、すぐに、答えが出てしまう。

「杉ちゃん、申し訳ありません。夢路くんも、なにかお礼でも言ってあげてくださいよ。」

と、影浦が言うのであるが、夢路くんは、何も言わなかった。でもそれで当たり前だという感じの表情でもなかった。

「じゃあ、明日連れてきますから。ちょっと待っててな。」

そういう杉ちゃんに、影浦先生も、本当に切り替えが早いなとして、杉ちゃんに感心してしまうほどだった。

その日は、小薗さんの車で、製鉄所に帰った杉ちゃんは、製鉄所の利用者さん一人ひとりに、久保夢路という5歳の少年の相手をしてもられないかと頼んだが、誰も、大学があるとか、仕事があるとかで、一緒に行きたいと言ってくれる人はいなかった。明日までに、誰か一人来てくれないかと杉ちゃんは懇願したが、利用者には、行けそうな人がいなかった。どうしようかと杉ちゃんが悩んでいると、

「杉ちゃん、もし私で良ければ、立候補しますよ!」

と言ってくれた人物がいた。それはマネさん、つまり白石萌子さんであった。杉ちゃんが、

「そうか。それなら、来てくれるか?」

と、聞いてみると、

「ええ、もちろんです。あたしで良ければ、お手伝いします。」

マネさんは、やる気がありそうな感じでそういうのだった。

「よし、じゃあ来てくれ。」

杉ちゃんにそう言われて、マネさんが一緒に行くことが決定した。二人は、翌日、小薗さんの運転するワゴン車に乗り、夢路くんのいる病院に行く。影浦先生に、案内されて、マネさんと杉ちゃんは、夢路くんの病室に入った。

「まあ、お前さんのママにはかなわないかもしれないが、女性のメンバーを連れてきたよ。じゃあ、三人で、おはじきしよう。」

杉ちゃんがにこやかに笑ってそう言うと、夢路くんは、にこやかに笑って、すぐにおはじきを始めてくれた。夢路くんは、子供用の患者着を着ている。

「体に異常があるわけじゃないのに、患者着を着ているんですよ。こちらは、精神科ですから、あんまり着るものにこだわらなくてもいいと言っているのに、夢路くんは、それを着たいと言って。」

看護師が、そう言うのでマネさんは、

「あら、それはなんでかしらね?」

と、夢路くんに聞くと、

「あの、着物に似てるから。」

と、夢路くんは答えた。

「でも、僕、着物が着られない。」

という彼に、マネさんは、またすぐにひらめく。

「わかった。おばちゃんが、なんとかしてあげる。夢路くんにも着られるように、着物を作ってあげられる。」

そうすると、夢路くんは、とてもうれしそうな顔をしてくれた。そこで、マネさんは、病院を出たあと、小薗さんに、カールさんの店に言ってもらうように頼んだ。店に行って、四つ身の男の子の着物はないかとカールさんに聞くと、トンボかすりの黒い木綿ならあるということであった。カールさんにそれを見せてもらうと、マネさんは、2000円でそれを買った。そして、製鉄所に戻り、杉ちゃんの針箱を借りて、急いで、着物を切って、縫い合わせ、そして、腰紐を付けて、二部式に作り直す。杉ちゃんが、男物の着物は、割と作りやすいよなと言ってくれたのは嬉しいことで、女ものと違って、すぐに二部式にすることができた。ミシンで縫っても良かったが、マネさんは手縫いで頑張って縫った。幸い、縫製になれてきたのか、指に貼りが刺さることも少なくなった。

そして翌日。杉ちゃんとマネさんは、また影浦医院に行った。夢路くんのいる病室に行く。

「今日は、夢路くんにプレゼントを用意しました。」

と、とマネさんは、紙袋の中から、四つ身の二部式着物を取り出した。

「じゃあ、着てみようか。」

マネさんは、夢路くんの患者着の上から、まず、巻きスカートのような下の部分を夢路くんにつけてあげた。そして、これを着てご覧と言って、上着を着せて上げる。そして、付けてあった紐を結んで、兵児帯をつけると、夢路くんは立派な着物姿になった。

「ほら、これであれば一人で着られるでしょ。」

マネさんは、にこやかに笑った。

「おばちゃんありがとう!」

と嬉しそうに言う夢路くんに、おばちゃんというのはちょっと失礼かと杉ちゃんは言ったが、マネさんは、そんな事ないわよとにこやかに笑っていった。

「良かったね、夢路くん、影浦先生が、もう少ししたら、外へ出られるようになるって言ってたから、そうしたら、それを着て外へ出られるね。」

中年の看護師が、黒いトンボかすりの着物を着た夢路くんを見て、にこやかに笑った。

「まあ、こういう症状は、気持ち次第だからな。きっと一ついいことがあれば、芋づる式に立ち直っていけるはずだ。そこへ行くまでが大変だけど、そこへたどり着けば、きっと回復するよ。」

杉ちゃんがカラカラと笑って、そう言うと、夢路くんは、マネさんに抱きついて、嬉しいということを、アピールした。それはそのとおりなのだろう。

「あたし、二部式着物をつくり初めて良かったわ。」

小薗さんの車の中で、マネさんは、そういった。

「そうか、それは良かったな。でも、なんでそう思うの?和裁なんて、今は需要がなくて、つまんない仕事だって、皆言っているよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「でも、着物を着てみたい人はいっぱいいるんだし。それを叶えてあげられるように、二部式に作り直すのも、なんか嬉しい仕事だわ。今日の夢路くんみたいに、嬉しそうな顔してくれたら、そんなに嬉しい事ないわ。」

と、マネさんは言っている。

「それなら、一緒の事、商売にしちゃったらどう?ウェブサイトとかで、集客してさ。誰かの役にたつってことほど嬉しいことは無いわな。」

杉ちゃんもそう言った。

「そうそう。それに着物を作れるわけじゃないけど、着物を、着られるように、工夫して上げるような、そういうことを商売にしても、今はちゃんとやれるんだってことを、見せてやりたいわ。」

と、マネさんは、にこやかにわらって言うのだった。小薗さんが、

「ガーベラの花言葉は希望でしたなあ。」

というのだった。確かに、マネさんの、持っている巾着に、ガーベラの刺繍がしてあったからだ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二部式着物を作る 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る