第28話 しゅわしゅわ

 ソフトクリームの白が混ざって、少し濁ったメロンソーダ。しゅわしゅわと泡の弾けるそれをストローで吸い込めば、心地よい刺激が喉をくすぐる。

 炭酸飲料は好きだ。ガブガブ飲むって程ではないけれど、特に夏場は爽快感を求めてか時々飲みたくなる。せっかくだからフロートにしようと思ってクリームソーダを頼んだが、思ったよりもサイズが大きくて気圧された。あと、コップが長靴みたいな形で可愛い。サイズ感は可愛くないが。

 普段なら値段とにらめっこすることもあるけれど、今日は正ヶ峯さんのおごり。そのため、私は遠慮せずに頼むことにする。……まあ、コメダで無謀な注文をすると胃がやられるので、そこは自分の胃袋と相談しながら決めようと思う。私だって、見境なしにあれこれと頼む程子供ではない。


「──で、だ」


 この暑い日にホットコーヒー──ミルクと砂糖をたっぷり入れている──を啜った正ヶ峯さんは、重たそうに口を開いた。それまで、彼は聞き役に徹していたのだ。


「嬢ちゃんの話にいわく、その会津生まれ会津育ち会津死にの幽霊はちょうど数ヶ月前から現れて、事あるごとに嬢ちゃんの部屋を訪れている──と?」

「はい」

「ついでに未練はなく成仏を希望、祟り経験もある、今のところは無害……か。なんなんだこいつ」


 それは私もそう思う。

 こいつは厄介だよ、と正ヶ峯さんは苦笑した。注文したシロノワールとクロネージュが運ばれてくるのを横目で見つつ、正ヶ峯さんはやれやれと大袈裟に肩を竦めた。


「祟りの力がまだ残ってるってのが面倒だな。かといって、悪霊って訳でもない。幽霊の心持ち次第でどっちにも転びかねないから、現状は様子見しかできないのがもどかしいところだねえ。一言で形容するなら中途半端、どっち付かず。ただの浮遊霊にしては攻撃力が高すぎるし、悪霊にしては無害すぎる。嬢ちゃんは祟られたことないんだろ?」

「軽くならあります。目立つところににきびできたり、足の指をよくぶつけたりって感じですけど」

「十分有害じゃないか! 小さいが地味に辛い不幸を呼び寄せるなんて、嬢ちゃんてば一体何をしたんだい」

「良い感じに構ってくれなかった。大罪だ」


 正ヶ峯さん側のソフトクリームにずぼずぼ指を突っ込みながら、幽霊さんは半目でこちらを睨む。いつ聞いてもしょうもない理由である。私のクロネージュには触ろうとしないでね。

 あっちが勝手に拗ねただけです、と私は正直に伝える。幽霊さんが首をアンバランスに曲げてこちらを白眼視してきたが、気にせずソフトクリームをすくった。


「しかしなあ、そいつは成仏したいんだろう? それならおじさんの攻撃は甘んじて受け入れた方が良いっていうのに、何故全て避けたんだろうなあ。本当は成仏なんてしたくないんじゃないか?」


 しっしっと幽霊さんの気配を追い払いつつ、正ヶ峯さんは首を捻る。尤も、少し追い払う仕草を見せただけで怯む幽霊さんではない。正ヶ峯さんの背後に回ると、ヘッドロックを仕掛け始めた。いきなり目の前で一方的なプロレスを始めないで欲しい。


「そんな訳ないだろう。無理矢理消滅させられるのと成仏するのとでは勝手が違う。俺は強引に退去させられたいのではなく、気分的にも満足して成仏したいんだ。お前も一度成仏させてやろうか?」

「他人から無理に消滅させられるのは、解釈違いだそうです」

「おお、なるほど。それで怒っているのか、こいつは。さっきから何となく息が苦しいが、今どうなってる?」

「ヘッドロック決められてます」

「ははは、やるなあ! だがおじさんも簡単にやられる程柔じゃあないさ。普通に飲み食いだってできるぞ。ああ美味い美味い、生きてるって素晴らしいなあ!」

「ぐぬぬぬぬぬ」


 生者の活動を羨ましがっている幽霊さんにとって、これ以上の煽りはないだろう。

 様子を窺ってみれば、幽霊さんは今まで見たことがないくらい悔しそうな顔をして、空中でじたばたとのたうち回っていた。いつも私の食事に付き合っていた時は、いくらか我慢していたのだろうか。デパートでやだやだと反抗する子供じみた動きに、私は遠い目をするしかなかった。成人男性二人が妙な張り合い方をするな。

 それにしても、だ。正ヶ峯さんは、幽霊さんのことを祓いたいのだろうか。私が映った写真から、私の周辺に霊の気配があることを察したのだと言っていたけれど……幽霊さんが無害な霊だったら、どうするつもりなのだろう。

 そんな私の疑問を察したのか、正ヶ峯さんは美味そうにコーヒーを飲み下してから切り出した。


「そう心配しなさんな。今のところは側にいてどうにかなるような悪霊じゃあないし、上手く付き合えているのならそれに越したことはない。霊どもにも、QOLってのがあるみたいでね。満ち足りた日々を送っていれば、自然に成仏する可能性も高まるんだそうだ」

「おい、とはなんだ。日本語で話せ」

「生活の質ってことです。──それで正ヶ峯さん、成仏って、他に条件とかあったりするんでしょうか」

「条件? うーん、そいつは難しいな。一般的には未練を晴らすことが決め手になるが……そいつはもう、未練らしい未練なんてないんだろ? 自覚してないって線もなくはないが、だとしてもそれで百うん十年さ迷ってるなら永遠に見付からなさそうだし……ここは気分よく過ごして、ああもう良いかなって感じで還ってもらうのが一番手っ取り早いと思うがね。ほら、もうすぐ盆だろう? 他の祖霊もいることだし、その流れに乗って成仏……ってのもあり得るんじゃないかい」

「たしかに。皆で成仏すれば怖くないな」


 赤信号みたいに言うのはどうかと思うけど、その手のプロである正ヶ峯さんが言うのだ。あり得ない話ではない、のかもしれない。

 成仏したい幽霊さんとしても、なかなか興味深い話だったのだろう。正ヶ峯さんの後頭部で頬杖をついては、彼のつむじを機嫌良さそうに見下ろす。


「やるな、お前。インチキ霊能者かと思っていたが、それなりに道理にかなったことを言う」

「おや、これは見直されているのかな。態度はあまりよろしくないが、反省できる性分なら最悪じゃあない。おじさんの側からどいてくれたら、もっと評価できるんだがね」

「それは断る。しばらく肩こりに悩まされると良い」


 幽霊さん名物プチ祟りは、皮膚だけではなく体の内部にも効くらしい。正ヶ峯さんには好きにして良いけれど、霊障に関して素人の私にはやめて欲しいところだ。そんなことをされたら出禁にするしかない。


「まあ、なんだ。本音を言えば、この幽霊が成仏するまで嬢ちゃんのところに居座ろうかとも思っていたが、そこまで悪質じゃあないようだしな。いつ成仏するかはわからんが、当面は今まで通りで構わんよ。要するにおじさんの杞憂だったというだけさ」

「ちょっと安心しました。あと居座るのは本当にやばくてもやめて欲しいです」

「つれないことを言いなさんな、これでも嬢ちゃんのことは色々心配なんでね。就活で困ったら、いつでも言いなさい。おじさんが雇ってあげるから」

「お気持ちだけいただいておきます」


 正ヶ峯さんの手伝いとなれば、例の標本まみれの部屋にもう一度行くことになりかねない。それだけはいくら賃金があろうとも受け入れられないし、受け入れるつもりも皆無だ。

 私に断られることはわかっていたのだろう。正ヶ峯さんは目を細めながら、そうかい、とうなずくだけだった。


「…………ところで、おじさんは嬢ちゃんの電話番号を知らないんだが、そっちは」

「教えませんからね」

「うう、冷たい。おじさん泣いちゃうぞ」

「一人になった時でお願いしますね」


 この後、正ヶ峯さんと駅で別れるまで何度も電話番号を教えろとせがまれたが、どうにか堅守することができた。正ヶ峯さんのテンションで何度も電話がかかってくるのは本当にやめて欲しい。しばらく姉さんに絡むんだろうな、と予想して、今のうちに心の中で謝っておいた。

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