第27話 水鉄砲
九度山駅周辺にも喫茶店や飲食店はいくつかあるけれど、私はたっぷり腹ごしらえしたい気分たったので、一駅だけだけど電車に乗ることにした。
本当なら高野口駅の方が近いそうだけど、私の定期は生憎と南海電車のみ。そのため、目的地まで正ヶ峯さん──と幽霊さんの計三人で二十分程歩くことになった。
「いやあ、それにしても信じられん程の暑さだな! 関空の辺りとはまた違う、青臭いじめっとした感じの猛暑だ!」
暑い暑いと言いながら、正ヶ峯さんは見ての通り元気いっぱいである。彼の言葉によれば、どうやら関西空港から来たらしい。あまり倹約のイメージはないから、特急にでも乗ってきたのかな。
そんな正ヶ峯さんは、事あるごとに私の日傘の中に入ろうとしてくる。折り畳み式の日傘は、一人入るので精一杯だ。あと二人で仲良く入るような間柄ではないので、私はその度に横に避けている。無言の攻防であった。
「なんだこいつは。見ているだけで暑苦しいな。くっついてくるな」
電車が苦手だという幽霊さんだが、ご指名されたからには付いていかない訳にもいかなかったようだ。私と正ヶ峯さんの間に浮かびつつ、割り込んでこようとする正ヶ峯さんにパンチを食らわせている。私の時とは違い、構えからして既に本気だ。どこかでシャドーボクシングでも習ったのか、と問いたくなる。
「いてててて、なんだ幽霊、君ってば焼きもちか? こっちは霊感あるんだから、地味に痛いんだよ。暴力反対だぞ」
「ちゃんと痛いんだ……」
「当たり前だろう。痛がらせようと思って殴っているからな」
そして意外と効果はあるらしい。霊感の強さが打たれ弱さに直結するとは、驚きだ。……いや、どの程度の痛みなのか、私にはわからないけれど。
幽霊さんはふん、といつになく不機嫌そうな顔をして正ヶ峯さんを睨む。
「焼きもち以前の問題だ。知り合いにやたら絡んでくる胡散臭くて信用ならん男がいるとなれば、追っ払うのが道理だろう。──梵、お前も流されてばかりなのはどうかと思う。いつ牙を剥いてくるかわからんぞ、こういった手合いは」
「牙って……」
「あっはっは、おじさんには何も聞こえないが悪口を言われていることはわかるぞ!」
悪口を言われても、正ヶ峯さんに堪えた様子はない。そういうところが胡乱に見えるんだろう。
「それはそうと、おじさんが興味を持っているのはどちらかと言えばそっちの幽霊なんだな。嬢ちゃん、おじさんが幽霊にいくつか質問をするから、相手が何を言っているか教えてくれないか? 嬢ちゃんは幽霊と会話もできるんだろう?」
「はあ、構いませんけど……でも、質問に答えてくれるんでしょうか」
「絶対に嫌だ」
「……嫌だって言ってますけど……」
正ヶ峯さんが答えるよりも早く拒否するんじゃない。反応に困る──主に私が。
しかし、正ヶ峯さんは動じない。不敵な笑みを浮かべつつ、懐から何か取り出した。
「これが何かわかるか」
そう言って見せてきたのは、百円ショップや駄菓子屋でも売っていそうなプラスチックの水鉄砲。非常にシンプルなデザインで、形としては自動式拳銃に近い。中には、既に水が溜め込まれている。
その水鉄砲をくるんと一回転させながら、妙に気取った調子で正ヶ峯さんはこちらを見る。答えを待っているのか。
「ええと……水鉄砲、ですよね」
「実弾が入っているようには見えないな」
私と幽霊さんの回答は概ね一致しているようだ。実弾が入っていたら、仲良く並んで歩いている場合ではない。
正ヶ峯さんは、空いている方の手でぱちん、と指を鳴らした。指パッチンできない私としては、どういう原理で音を鳴らしているのか地味に気になるところである。
「大正解だ! だが、こいつはただの水鉄砲じゃあない。霊能者向けの仕掛けが隠してあるのさ」
「仕掛け?」
「そうとも。まあ見てな」
言うや否や、正ヶ峯さんは幽霊さんに向けて水鉄砲を放つ。しかし彼は危険を察知したのか、ひょいと軽やかな身のこなしで容易く避ける。代わりに私が水を浴びることとなった。
「…………正ヶ峯さん」
「最低だな。腹切れ」
「待て待て、いや悪かったとは思ってるって! 大丈夫かい嬢ちゃん」
「介錯なら任せろ」
「なあ、避けといてこっちを睨むのやめてくれないかい? 姿は見えなくとも気配でわかるんだよ」
ノリなのか本気なのか、幽霊さんはすっかり腹切れBotと化している。その声は私にしか聞こえない訳だが、正ヶ峯さんは空気感ならわかるらしい。切腹コールの空気感ってなんなんだ、とは思わなくもないけれど、いちいち突っ込むのは面倒なので黙っておこう。
それよりも、正ヶ峯さんのせいで私の右肩はウェットな状態になってしまった。夏場だからすぐ乾くだろうけど、いきなり水をぶつけられたこちらとしては堪ったものではない。それに、何やら仕掛けがあるらしい代物を浴びて大丈夫なのだろうか。
「そんな心配そうな顔をしなくとも大丈夫さ。生きている人間には効果がないからね」
「効果……とは?」
「こいつは欧州のさる土地で仕入れてきた聖水でね。少しでも浴びれば、悪霊はたちまち浄化され、迷える魂は救済される代物さ。あの幽霊、悪霊ではないが祟りの力は真っ当に持っているようでねえ……とりあえず聖水をかけてやれば、その辺りも明らかになるとは思ったんだが。まあちょこまかとよく動く、死んでるくせに元気だな、あっはっは」
「何を言おうが構いませんけど、私もいるってことを念頭に置きながら水鉄砲を使ってくださいね」
喋っている間も、正ヶ峯さんはひっきりなしに幽霊さんを狙撃しようとする。しかし、伊達に武術を学んでいないということか。幽霊さんも幽霊さんで上へ行ったり下に行ったり、時に正ヶ峯さんにパンチを入れたりして抵抗している。間断なく狙撃されているはずなのに、余裕たっぷりと言わんばかりの涼しい顔だ。よく私の名前が強いとか何とか言うけれど、実力なら幽霊さんの方がずっと上だろう。
しかし、私はここで疑問を覚える。日傘で水を弾きながら、正ヶ峯さんに問いかける。
「その聖水って、キリスト教圏に伝わるものですか? ルルドみたいな」
「うん? そうだぞ、ルルドの泉のものではないがね。ただの水に見えるが、なかなかのプレミアらしくてなあ。手に入れるの、結構大変だったんだ」
「……あの、私は幽霊さんの信じる宗教とかわからないんですけど、クリスチャンじゃないなら効かないのでは?」
「ちなみに俺の家は曹洞宗だぞ」
禅宗の方だったか。座禅組んだらすぐ寝そうなイメージがあるけれども。
ここで、正ヶ峯さんははたと動きを止める。笑顔を維持したまま、がらんどうの瞳を私に向けた。
「…………じゃあ何だい、おじさんの攻撃は戯れにもならなかったと」
「いえ、そういうことでは……。でも、宗派の違う人はそもそも対象にならないんじゃないかと思って……」
「うん、全くもってその通りだ!」
直前までの静けさが嘘のように、正ヶ峯さんは突然ハイテンションになった。情緒不安定過ぎない?
「あーあ、これでプレミア聖水はだいぶ無駄遣いだ! カトリックのお偉いさんにバレたら大目玉だぞ、これ!」
「仕方ないでしょ、先に仕掛けたのは正ヶ峯さんなんですから」
「それはそう。でもなあ、おじさんとしては嬢ちゃんに格好いいところを見せてやりたかったんだよ」
「逆効果だったな。ざまあみろ」
「幽霊め、今絶対悪口言っただろう。今に見てろよ」
「俺に水鉄砲ひとつ当てられぬ坊主がよくほざく」
私を介して火花を散らさないで欲しい。できることなら正ヶ峯さんの水鉄砲を奪い取って見えない火花を消してやりたかったけど、彼の沽券にも関わりそうなのでやめておいた。
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