第26話 標本

 正ヶ峯さんはいつも神出鬼没な人で、ふとした時にふらりと家を訪れた。数日おきに来ることもあれば、年単位で姿を見せないこともある。本人いわく、仕事の都合だそうだ。

 そんな正ヶ峯さんを、姉さんはあまり信用していないようだった。どうやっても胡散臭いのだから、仕方のないことだと思う。何年経っても容姿は変わらないし、発言は大抵胡乱。あまり入れ込まない方が良いですよ、と体全体で体現しているようなものだった。従兄弟は正ヶ峯さんのことを「一種の妖怪だろ」と言っていた。さすがに人間ではある──はずだ。

 正ヶ峯さんの実家はどこなのかわからないけれど、全国各地に『隠れ家』を持っているらしく、私も一度連れていってもらったことがある。嬢ちゃんの親父さんにはナイショだぞ、と釘を刺されて。

 正直に言って、私はそこまで興味をそそられなかった。正ヶ峯さんのことは嫌いじゃないし、両親に内緒でジャンクフードやコンビニ弁当、皆が食べているようなお菓子を買って、こっそり食べさせてくれるところは何者にも代えがたかった。でも、彼の住まいに行くとなると、何だかなあという気持ちだった。変な勘のようなものもあったのかもしれない。

 正ヶ峯さんの隠れ家は、私の家からはずっと離れた、山の中にあった。通っている小学校の学区外、全く見知らぬ土地に連れてこられた私は、幼いながらに緊張したものだ。


「何、なりばかり大きいがただの家さ。それに、嬢ちゃんの家の方がずうっと広くて大きいだろ?」


 正ヶ峯さんはこう言ったし、それはあながち間違いではなかったと思う。

 通されたのは薄暗くて埃っぽい洋館だった。まるでヨーロッパのゴーストハウスのような雰囲気。それでも、須恵家よりはずっと小さい。

 しかし、隠れ家というには意味を成していないようにも思えた。隠れ家っていうのは、もっとこぢんまりしていて、人目を避けるためにあるものじゃないの?


「おじさんの場合、人は避けなくて良いのさ。それに、隠れ家というのも、そっちの方がわかりやすいからそう呼んでいるだけに過ぎない。もっと正確に表すのなら……ステージのようなものだよ」

「ステージ?」

「そうさ。おじさんのお仕事は、嬢ちゃんもようく知っているだろう?」


 たしかその時、私はうなずいたはずだ。お父さんから、正ヶ峯さんは胡散臭いお仕事をしているのだと聞かされていた。

 霊能者。心霊番組とかで、霊にあたったディレクターとかの背中を叩いて除霊してる、あれ。

 その時の私はひねくれた子供だったから、ああいうのは全部やらせだと思っていた。正ヶ峯さんなら、迫真の演技も得意なんだろうな、と。だから、全然怖いとは感じなかった。むしろ、一種のギャグのようでもあった。

 ふうん、と気のない返事をした私にも、正ヶ峯さんは落胆せずに続けた。


「おじさんは、悪いお化けたちを追い出すのがお仕事だ。そのためにはおじさんのところにお化けを引き寄せなきゃならんが、皆が暮らしている場所に連れてくるのは良くない。そのために、色んな隠れ家を持っているのさ」

「……それなら、私はお化けに捕まっちゃうの?」

「いいや、おじさんがいるから大丈夫だ。それにまだ、この辺りでは仕事を請け負っていないからな。お化けはいないよ」


 そう言って、正ヶ峯さんは私を洋館へと誘った。

 どこもかしこも何となくどんよりとしていて湿っぽい。土足のまま上がっているから、余計変な感じがした。実家は洋風だけど、靴は玄関で脱がなければならなかった。

 正ヶ峯さんは、陰気なロケーションには不釣り合いな程のハイテンションで屋敷を案内してくれた。一見古臭く見えたけど、一応電気やガス、水道は通っているらしい。もともとは廃墟だったのさ、と正ヶ峯さんは言っていたから、恐らく彼が購入するにあたって整備したのだろう。


「さて、ここから先はおじさんの仕事場だぞ。自分以外を入れるのは、嬢ちゃんが初めてだ」


 一通り案内をし終えると、正ヶ峯さんは悪巧みをしているような顔でにやりと笑いながら私にそう言った。私たちの立つ先には、どん詰まりの部屋がある。

 正ヶ峯さんの仕事場。お化けを相手にして、彼らを追い出す仕事をする場所。

 その頃の私は、人並みにお化けを怖いと思っていた。通っている学校に伝わる怪談を聞いては、語られる場所に一人で行くことを躊躇うこともあった。

 だから、正ヶ峯さんの言う『仕事場』に足を踏み入れるとなって、少なからず緊張感を覚えた。でも、やめておくという選択肢だけはなかった。いつまでも──小学校高学年になっても変わらず嬢ちゃんと呼んでくる正ヶ峯さんに、余計子供扱いされたくないという幼稚な反骨心ゆえであった。

 そんな私の心を知ってか知らずか、正ヶ峯さんはそれ以上の確認をしなかった。不敵に笑いながら、重苦しく扉を開ける。


「──え」


 意外と日の当たる、明るい部屋。だからこそ、私には真正面にあるを何よりも先に知覚した。

 一斉に見られているかのような感覚。だが、それらは目ではない。よく見てみれば、ひとつひとつが異なる模様であるとわかる。目のように感じられるのは、斑模様の一部だけだ。


「綺麗だろう。世界中からかき集めたのさ」


 硬直する私を前に、正ヶ峯さんは変わらぬ口調で言う。私よりも前に進み出て、壁一面に飾られているそれらを見上げる。


「精巧に保存されているから、生きているようにも見えるがね。こいつらは全部標本さ。今にもひらひら飛んでいきそうだが、どいつもとっくの昔に死んでいる」

「標、本……」

「おや、嬢ちゃん。蝶々は好きじゃないのかい? 蛾どもはともかく、あそこの青いの……ヘレナモルフォなんかは、女の子も好きそうだがなあ」


 私は全力で首を横に振った。色とかの問題じゃなかった。

 もともと虫は苦手だったし、いくら綺麗だからと言えども蝶もその中に入っていた。それをわかっているのか、蝶だの蜻蛉だのが肩にとまることも多くて、その度に私は絶叫しながら暴れていた。

 でも、今見ているこれは、叫び出したくなるようなものじゃない。もっと不気味でおぞましくて、見ているだけでくらくらするような代物だ。

 その時、自分がどのような発言をしたのか、正確に覚えてはいない。立っているだけでも必死な状態なのだ。記憶違いがあるかもしれないけど──恐らく、どうしてこんなものを飾っているのか、と聞いたのだと思う。

 これに対して、正ヶ峯さんはからからと笑った。陰湿な雰囲気の室内には、似合わない笑い声だった。


「そりゃあ、おじさんは死人を相手にする訳だからなあ。普段から、そっちの空気に慣れておかなきゃならんのさ。そのために、手っ取り早く置いておけるような死骸を側に飾っている。まあ、手っ取り早くとは言うが、こいつらは結構な値段だったがね。何せ、数百年保存されっぱなしの奴もいるくらいだ!」


 数百年。数百年も、ただ鑑賞されるために屍を晒さなければならない虫たち。

 たしかに、綺麗かもしれない。見映えはするかもしれない。

 でも、どうしたってこれは死骸のコレクションだ。死骸を壁に飾って、人のエゴだけで見せ物にしてる。

 私が本格的に虫嫌いになったのは──恐らく、このことが原因だ。

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