第25話 キラキラ

 私は髪の毛をいじっていない。生来の黒髪だし、癖毛の矯正もしていないから日によってよくうねる。全て天然由来だ。

 別に、髪型ヘアスタイルを細かくいじることに反対している訳じゃない。私は頭皮を痛めたり余計なことにお金を使ったりするのが嫌なだけなので、こだわりのある人は好きにすれば良いんじゃない、と思う。公序良俗に反していなければ、人の見た目は自由であるべきだ。時と場合にもよるけれど、まあそれはそれ。何にせよ、好みを否定するつもりは全然ない。

 だが──インターホンの画面に映ったその髪の毛を見たら、好き嫌いを除いてもうげえ、と苦々しい声を出すしかなかった。


『嬢ちゃん、嬢ちゃ~ん。なんだ、居留守かい? おじさんが来てやったぞ』


 夏の日差しを浴びて、キラキラ輝く銀髪。地毛なのか染めているのか、私にはわからない。地毛なら相当苦労してきたんだな、と思う。まだ全ての髪の毛が白髪になる年齢としではあるまい。

 おじさん、と自称してはいるが、実年齢は不明。見た目だけなら私と同い年にも、父さんと同年代くらいにも見える。不思議な男性だ。顔立ちは非常に整っているから、髪色とも相まってよく目立つ容貌と言える。

 そんな彼はアロハシャツにカンカン帽といった出で立ちで、私の部屋の前に立っている。嬢ちゃん、というのは紛れもなく私のことだ。そんな呼び方をしてくる人は彼以外にいない。


「なんだ、こいつは。通報した方が良いんじゃないか?」


 例によって私の後ろから覗き込んできた幽霊さんは、いつになく眉を潜めてそんな提案を持ちかけてきた。この人に通報の概念があったことには驚きだ。

 しかし、通報はしたくてもできない。この人は知り合いだし、まだ通報されるような行動には及んでいないのだから。


「胡散臭くて信用ならなさそうなのはわかりますけど、まだ通報はできません。一応知り合いです、この人」

「知り合い? これほど若い男が叔父なのか?」

「おじさんって、そういう意味じゃありません。あくまでも自称です。おじさんって言える年齢なのかは私にもわかりません」

「では他人じゃないか。やはりおまわりに任せるべきなのでは」


 警察のことを不躾にお巡りと呼ぶんじゃない。せめてさんを付けなさい。

 それはさておき、この人は本当に親族ではないが他人でもない。変なリズムでノックをしてくる彼に嘆息しつつ、私は説明を続ける。


「父の友人だそうで、幼い頃からの付き合いなんです。無下にしたら父に告げ口されます。……まあ、鬱陶しいのは誰に対してもですから、告げ口されたところで私は同情されるだけなんですけどね」

「なるほど。はた迷惑な知人か」

「もう少しオブラートに包んでくださいよ」

「お……おぶ……?」

「説明なら後でしますね。この人、正ヶ峯さんっていうんですけど、本業が少々特殊な方で……幽霊さんとは、相性が良くないかもしれません」

「相性? どういうことだ」


 幽霊さんの問いに答えたいのは山々だけど、そろそろノックが三三七拍子から既存の曲に変わりそうな頃合いだ。このタイミングで開けないと、騒音被害でご近所さんにも迷惑がかかりかねない。

 はあ、と溜め息をこぼして、私はドアチェーンはつけたまま扉を開ける。もわっとした外気が、体の半分を押してきた。


「やあやあ、やっと開けてくれたな嬢ちゃん! おじさんは溶けてスライムになるところだったぞ」

「メタルスライムになってくれるなら嬉しいんですけどね」

「ははは、髪色だけで判断するものじゃあないさ! あと、割と本気の顔で返されるとは意外だったなあ。レベル上げ中かい?」

「そんなことより用件をお願いできますか」

「ああ、勿論だとも。それはそうと、何故チェーンを外してくれないんだい? おじさんとは見知った仲だろうに」

「一人暮らししてると、警戒心が鍛えられるんですよ」


 この辺りは本当にのどかで平和だから、今のところ犯罪の気配はないけどね。

 後ろでスライムとは何ぞやと首を捻っている幽霊さんはさておき、私は正ヶ峯さんを急かす。いつまでも扉を開けていたくはない。大事な冷気が無駄になる。


「いやあ、嬢ちゃんは相変わらず素っ気ないねえ。一体誰に似たんだか。ま、いつまでも引き伸ばしていればそのうち本気で愛想を尽かされそうだからな。ここは嬢ちゃんに免じて本題に入るとしようか」

「前置きは巻きでお願いしますね」

「あっはっは、せっかちだなあ。そんな嬢ちゃんも可愛いぞ」


 それはさておきチェーンは外してくれよ、と正ヶ峯さんは肩を竦める。無言で返すことで、断固として拒否した。

 これで正ヶ峯さんもある程度は懲りたのだろう。自分が悪いくせにやれやれ、と苦笑した。チェーンをかけて侵入を拒否する私より、事前連絡もなしにいきなり押し掛けてきた彼の方に否があると思う。


「ちょっと前に、澄香すみかの嬢ちゃんに会ってなあ。嬢ちゃんのところに遊びに行ったって聞いたから、その時の写真を見せてもらったのさ」

「どうせ無理矢理見せろとせがんだんでしょう」

「まさか! そんな大人げないことはしないさ。澄香の嬢ちゃんが折れるまで粘っただけだよ」

「ほとんど変わらないな」


 幽霊さんの言う通りである。げっそりやつれた姉さんの顔が目に浮かぶようだ。

 アラサーである姉さんを嬢ちゃん呼ばわりする程度には大人──のはずの正ヶ峯さんは、私と幽霊さんの冷ややかな視線はものともせずに続ける。


「そこに映る嬢ちゃんを見て、ふと思ったんだよ。前に会った時の嬢ちゃんと、明らかに違う部分がある──ってなあ。おじさんの仕事柄、気付かずにはいられなかったのさ」


 ドアの隙間へ突っ込むようにして、正ヶ峯さんが指差す。


「嬢ちゃん、最近霊に付きまとわれちゃいないかい?」


 一瞬、その場が静まり返る。

 ややあってから、なるほど、と幽霊さんが納得したような声を上げた。そのままにゅ、と扉に上半身を突っ込み、私にお尻を向けた姿勢で問いかける。


「もしやこいつ──俺のことが見えるのか?」


 その辺りは私にもわからない。だが、ひとつだけ──確信して言えることならある。


「……わかるんですか」

「ははは、当然だろう! さすがに姿は見えないがね。だが、気配ならばっちり感じられるとも。百年以上、二百年未満……ってところかな、ここにいる奴は。何たっておじさんは、霊能者だからなあ。このくらいは朝飯前だとも!」


 に、と年甲斐もなく無垢な笑顔を向ける正ヶ峯さん。

 いつも真剣なんだかふざけているんだかわからない人だけど──少なくとも、嘘は言っていない。彼が言うからには、本当に幽霊さんの気配を感じ取っているのだろう。私が何も言わずとも、一発で幽霊さんの年代を言い当てた。

 幽霊さんが、私の部屋側に戻る。そして、僅かに開いた隙間から顔を覗かせ、正ヶ峯さんを真っ直ぐに見据えた。


「お前は、俺を成仏させられるのか?」


 その問いは、聞こえなかったのだろう。正ヶ峯さんは答えずに、にやりと私に向けて笑う。


「そこの幽霊も含めて、まずは茶でも飲むとしようか。この辺りの喫茶店、案内してくれるかい?」


 是とうなずく以外、私には選択肢がなかった。

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