第21話 短夜
そういう季節だとわかっていても、夏は時間の感覚が狂う。まだ五時くらいかな、と思っていても、実は七時だったりする。夜の静けさは嫌いじゃないから、いつまでも沈まない太陽には辟易とさせられることも少なくはない。何せ暑いし。
期末考査も無事に終わり、私にも夏休みが訪れた。ずっと家にいると、時間に加えて曜日感覚もバグる。こういうの良くないなって思うけど、いちいち時計を確認する気にもなれない。面倒臭がりな性格は、どう頑張っても直る気がしないのだ。
だから、何も用事がないのを良いことに私は
貴重な時間を睡眠のみに費やしてしまった。そういう後悔はある。
だが、私が今最も後悔しているのは時間の浪費ではなかった。
「お前、そんなに長時間うんともすんとも言わず眠っているとは、健康を通り越して病なのではないか?」
いつ頃から入ってきたのかはわからないが、今の今まで眠る私を見守ってきた幽霊さん。彼はいつもよりそわそわとした様子で、忙しなく私の周りを右往左往していた。
彼はいつになく心配している。私がこれほどまでのロングスリーパーであるとは思わなかったのだろう。なんというか、いつになくしつこい。何度大丈夫だと言っても、堂々巡りである。
「私、気を抜くといつもこうなんです。一度寝たら一定時間は起きないんですよ。今日は私自身も予想外でしたけど……でも、体調に変なところはありませんし、いつも通りです」
「病人程そう言って余裕ぶるものだ。人間とは、己自身が思うよりも鈍感な生き物だからな。他者の助言を杞憂と受け流してはいけない」
「それはそうですけど、心配するところが違うと思います」
いつから幽霊さんは私の保護者になったのだろう。一方的に上がり込んでくるくせに、歳上だからというただひとつの理由からあれこれと口出しをしてくる。当たり前のことだが、彼は透けているのであらゆるアドバイスは私自身で果たさなくてはならない。
まあ、相手は本気で案じてくれているのだろうから、あまり無下にするものでもない……と思う。ただ、長時間の熟睡は私にとって日常茶飯事なので、幽霊さんの心配こそ杞憂のような気がしてならない。
「気を付けろ。お前は一人暮らし、周りにいつでも頼れる人はいない、そして言葉少なな性分だ。いざという時、よっぽどのお人好しでも現れない限り自力でどうにかしなくてはならない──要するに、孤独死の可能性が非常に高い。せめて自分の身くらいは気遣って欲しいものだな」
「孤独死って……そういうのはお年寄りの一人暮らしに多いものでは?」
「若くてもあり得ることだ。甘く見てはいけない」
「でも、私が死んだとして、幽霊さんに何かデメリットはありますか?」
「話相手が消える」
やっぱりそれか。自分から聞いておいて何だが、予想できていた答えだ。
一人は寂しい、などと言いながらも、最近の幽霊さんは見える人探しを怠っているようである。私がいるから良いか、とでも思っているのだろう。
「孤独死云々は置いておいて……幽霊さん、私がいなくなったらどうするつもりなんですか。前は他の見える人も探してる風だったのに、最近はめっきりじゃないですか」
「なんだ、お前……消えるのか?」
「発想が直球すぎます。消えるというよりも、ここを去る可能性がある、っていう話です。ほら、私の就職先って、どこになるかまだわからないでしょう? なるべく近場にしたいなーとは思ってますけど、そう上手く進むとも思えませんし」
「なるほど。引っ越しするかもしれないということだな」
ふむ、とひとつうなずいて、幽霊さんは顎に手を添える。そのままふうわりと漂った。
「この辺りなら俺の移動範囲だ。橋本か高野山までなら付いていける」
「いやめちゃくちゃ近所ですよ、それ。大阪とかはどうなんですか」
「…………山越えは、きつそうだな」
まだ大阪市内とも言っていないのに、県境を越えるだけで難しいのか。河内長野だったら、山は越えるけど地図上は橋本の隣だよ。
「だが、時間さえあればどうにかなるものだ。俺に住所を教えてくれれば、いつかはたどり着くぞ」
「どう足掻いても私から離れるつもりはないんですね」
「当然だ。考えてもみろ、他に見える者がいたとして、お前のように幽霊という存在をすんなり受け入れられると決まった訳ではないだろう」
「私だって、初めは戸惑いましたよ……」
その場の流れに逆らいにくい性格だったというだけの話だ。幽霊という非科学的な存在に対するあれこれは、人並みに持ち合わせている……つもりである。
「それに、お前は若いからな。不慮の事態にでも陥らない限り、そこそこの期間付き合うことができる。俺の孤独を埋めてくれるにはぴったりだ」
「もしかして、一生を通して付きまとうつもりなんですか? 嫌だなあ……」
「ずっといっしょという訳ではないよ。物理的な距離が空けば、一定期間はお前とも離れなければならない」
「でも、また会いに来るんでしょう?」
「うん」
即答だ。曇りのない目だった。
たしかに、幽霊さんは私にとって不快に感じない相手だ。パーソナルスペースとしてある程度の距離を取ってくれれば、私生活に支障をきたすこともない。たまに機嫌を損ねて低レベルの祟りを受ける以外のデメリットもないし、いっしょにいて辛い相手ではないと思う。
でも、いつまでも私に固執されるのもどうかなあ、というのが本音だ。一生非日常と隣り合わせというのも、なかなかきついものがある。
「そういえば、お前はいくつだ? ちゃんとした
さすがに私離れさせた方が良いのでは、と悩んでいると、幽霊さんから唐突に問いかけられた。見れば、すぐ目の前に彼がいる。
「女性に年齢を気安く聞くものではないと思います」
「そうつれないことを言うな。唯一の話相手なのだから、大目に見てくれ。別に減るものじゃないだろう」
「減っても増えても大問題ですよ。二十一歳です」
積極的に飲酒喫煙をする性質ではないから、端から見れば未成年に見えるかもしれない。髪の毛も染めてないし、メイクも面倒でそんなにしていない。童顔という訳ではないと思うから、そこまで子供っぽくはないはずだ。
さて、どんな反応を示すだろうか。そんな期待を込めて幽霊さんを見れば、彼はあんぐりと口を開けていた。
「…………若すぎないか?」
「大学三回生なら普通ですよ。というか、幽霊さんの時代ならもう十分大人でしょう」
「それはそうだが……達観ぶりからもっといっているものかと」
「失礼ですね、人並みですよ。そういう幽霊さんはおいくつなんですか」
「俺か……ええと、生まれたのがたしか天保十四年だから……そこに百五十と少し足して……」
「享年で良いですよ」
生まれてから現在までを暗算で導き出すのは無理がある。私が知りたいのは外見年齢だ。
そうか、と相槌を打つ幽霊さんは少し安心した様子である。計算はあまり得意ではないのだろうか。詩経に通じているようだし、彼は文系なのかもしれない。もしそうなら私と同じだ。
「享年なら、数えで二十六歳だ」
「…………早死にが過ぎませんか?」
そして見た目からある程度予想できたことではあったが、幽霊さんは若かった。数え……ということは、現代風に換算すると二十五歳か。若い、若すぎる。どうしたって先程の幽霊さんと似たような反応に落ち着いてしまう。
「そうでもないと思うがな。白虎隊が良い例だが、元服したかしてないかという年頃の者も普通に出撃していたぞ」
「でも、人間五十年のこれまた半分ですよ。人生百年時代の人間としてはそうでもなくありません」
「平敦盛なら十六、七とかではなかったか。俺より若い」
何を張り合っているのだろう。というか幽霊さん、能にも通じているのか。
生者かつ若者の私から言えることがあるとすれば、長生きしやすい世の中になった、ということくらいだ。長生きしすぎるのもどうかと思うけれど、畳の上で平穏無事に生涯を終えられる確率がぐんと上がったことに関しては、先人たちの努力に感謝である。……今となっては病院のベッドの方が多くないか、という指摘はご勘弁願いたい。
「お前は長生きしてくれよ。走馬灯の良い場面で俺が花吹雪をまいてやるから」
「いらない……」
そもそも花吹雪持てないでしょ、とは言わないでおいた。せめて幽霊さんの二倍くらいは生きられるよう、努力していきたい。
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