第22話 メッセージ

 私は態度をあまり表に出さない性分である。しかし、この時ばかりは盛大な舌打ちを響かせずにはいられなかった。

 明日に迫った就職セミナー。この暑い中、Googleが示したサイトのほとんどが、上下黒のリクルートスーツで来るべし、上着を脱いだ時に半袖ではいけない、就活生に季節など関係ない──とのこと。

 ついでにセミナーを主催している就職アプリの何でも質問箱にも問い合わせたが、返ってきたメッセージは前述のサイトとほとんど変わらなかった。当日はリクルートスーツでお越し下さい。

 ふざけるな、何がマナーだ。私たちを殺す気か。明日の最高気温は三十九度だぞ。近場ならともかく、私は電車を乗り継いで大阪まで行かなければならない。丸一日スーツでいろということか。何の拷問を強いられているんだ、一体。


「凄まじい顔だ。大丈夫か?」


 私が不機嫌でも、幽霊さんは絡むのをやめない。ふわふわこっちにやって来たかと思うと、後ろからスマホの画面を覗き込み──目がちかちかする、などと言ってまた離れた。読む気すらないんかい。


「お前がそこまで機嫌を損ねるとは珍しいな。指名手配でもされていたか?」

「指名手配されて苛立つだけの強者とは違います。幽霊さんからしてみれば、取るに足らない小さな問題ですよ」

「俺にまで噛み付くな。八つ当たりは良くない」


 それはわかっているが、じゃあこの苛立ちは一体どこにぶつければ良いのだろう。今すぐにでもスマホをぶん投げたいけど、後から困るのは私だ。ぐっと怒りを押し殺してスマホをテーブルに置く。


「私ね、明日、出かけるんですよ」


 もう夜だから、あまり大きな声は出せない。一言一句噛み締めるように、ゆっくりと伝える。


「明日の気温、三十九度なんですよ。猛暑通り越して酷暑です。それなのに、私はわざわざ秒下黒の長袖スーツを着なくちゃならないんです。どう思います?」

「溶けそうだな」

「本ッッッッ当にそうなんですよ。本音を言えばオンラインで参加したいんですよ。なのに学校が直接ブースまで来いって言うからさあ……大阪までどれだけかかると思ってるんだ、南海電車の運賃結構高いのに……」

「ところで、というのは、疲れた顔をした男が着ているあれか?」


 偏見がすごい。スーツ着用者が皆疲れきっている訳ではないと思う。

 でも、現代日本の社会人にスーツは欠かせない。幽霊さんも、全く知らないのではなさそうだ。

 私は立ち上がり、クローゼットからハンガーにかけたスーツを持ってきてカーテンレールに引っかけた。案の定、幽霊さんは興味津々といった様子で近付いていく。


「なるほど、よく見るやつだな。そうか、お前もこれを着るのか」


 うんうんとうなずき、幽霊さんはこちらを見る。両の瞳が一瞬煌めいた。


「俺も着てみたい」

「舐めたこと言ってくれますね」

「なんだ、今日は本当に不機嫌だな」


 スーツに悩まされる人間の前で、呑気にスーツ着てみたい、などと口走るのもどうかと思う。こっちは外にすら出たくないというのに。

 幽霊さんが生身の人間なら、スーツでも何でも着せて身代わりとして送り込んでいるかもしれないが、生憎と彼は既に死んだ身の幽霊である。公共交通機関も使えず、スーツも着せられず、人にも見えない。身代わりには不適切だ。

 幽霊さんにその気はないのだろうけど、私からしてみれば喧嘩を売られたも同然。少しは空気を読め、との意を込めて睨んでみるが、彼は軽く肩を竦めるばかり。


「別に、お前を煽っているのではないさ。ただ、生前は会津での戦以外、ほとんど和装で過ごしてきた。今の人々が着こなす着物には、自然と興味が湧くものだ」

「……それでスーツに憧れている、と?」

「うん。結構似合うと思うんだが、どうだろうか」


 たしかに幽霊さんは手足が長く、いわゆるモデル体型に近い。顔立ちもそれなりに──いや、それなり以上に整っている。

 しかし何故だろう、私が想像してみたスーツの幽霊さんは裏社会の人間か胡散臭い霊能力者じみた印象になってしまう。長髪だからかな、とも思ったけど、どうしたってサラリーマンや公務員とは程遠いルックスに落ち着く。浮世離れした雰囲気がそうさせるのだろうか。

 だが、わざわざ本人の夢を壊す程私は悪趣味じゃない。脳内に思い浮かんだものは、私の中だけに留めておくとしよう。


「おい、何故渋い顔をする。今何を考えた、なあ」


 口には出さなかったが、表情でバレたようだ。私が黙っていると、なあなあなあ、としつこく周囲を回りはじめた。私を軸に浮遊するんじゃない。


「洋装の幽霊はいないのか。いるなら服を剥ぎ取りたい。幽霊の服なら触れられるはずだ」

奪衣婆だつえばじみた発言はやめてください。まあ、最近死んだ方なら、洋装なんじゃないですか。今は法外な労働条件の企業が社会問題になってたりしますから」

「俺は別にスーツでなければならん訳ではない。現代の洋装──特に制服に憧れている」


 私のスーツに手を入れたり出したりしながら、幽霊さんは続ける。


「ほら、お前、よく行くだろう。何だったか、低くて横に長い店なんだが」

「コンビニですか?」

「多分それだ。そこの店員は、皆揃いの制服を着ている。ああいうのを見ると、胸がときめく」

「心臓止まってますよね」

「野暮なことを言うな。比喩だ」


 ふわーっと私のところに戻ってきた幽霊さんは、生者ばかり羨ましい、とぼやく。羨望と嫉妬の対象が大きすぎる。

 多分、幽霊さんは皆でお揃いの服を着たいのだ。だったら会津戦争の時の軍服があるのではないか、と突っ込みたい気持ちはあるものの、皆が皆同じ服装だったという訳ではないのかもしれない。前に、洋装なんてけしからんと言う奴がいた──みたいなことを、幽霊さんは口にしていたし。幽霊さんは、伝統よりも合理を取る人だったそうだけど、今となっては純粋な好奇心から着替えたいと言っているのだろう。

 白装束を着ても良いよ、という元社畜の幽霊がいたのなら、是非九度山まで来て欲しい。幕末生まれの幽霊さんが、スーツを今か今かと待ちかねているぞ。

…………それよりも、クールビズを許されない私が幽霊さんの仲間入りをしないよう、しっかり暑さ対策をしなければ。最終的に就活への憎しみが戻ってきたから、人はそう簡単に全てを許せる生き物ではない。絶対許さないからな。

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