第19話 氷

 幽霊さんは横文字が苦手である。いつも私が発言すると首をかしげ、ぎこちない発音で反芻するのが常だ。

 その単語は前にも言いましたよ、と指摘することも少なくはないが、それはそれとして覚える気が皆無という訳ではないらしい。たまに自分から横文字を遣うこともある。覚える単語に何か法則があるのか、と問われれば、上手く答えられないが──恐らく、幽霊さんにとって都合の良いものは記憶されている。


「俺はなる言葉が好きだ」


 私が夕ごはんを食べようとしていると、すーっと寄ってきてそんなことを言った。

 今日の夕ごはんは冷やしうどん。夏にぴったりの、涼しげなメニューである。……とはいえ、そういう風情を考えて作ったのではない。たまたまスーパーで讃岐うどんが安かったので、まとめ買いしたものを消費しているだけだ。

 要するに、自分も食べたい、ということなのだろう。物欲しそうな視線でバレバレだ。基本的に無表情の幽霊さんだが、感情が眼差しに乗っていることが多いので非常にわかりやすい。


「生まれ変わった時に食べられると良いですね」


 だが、幽霊さんはものを食べられない。すり抜けてしまうのがオチだ。だから私は、彼の来世を祈るだけ。下手に同情とかしたら、さらに面倒臭いことになるのが目に見えている。

 案の定、幽霊さんはじっとりと白眼視してきた。不満を表す表情はいくらでもあるはずだけど、彼は総じて子供っぽい。


「他人事のように言ってくれるな。お前だって将来どうなるかわからないぞ。覚えていろ」

「小物みたいな発言ですね……」

「たしかに、俺は大物ではないな。できたとしてもせいぜい三十人斬りくらいだし……」

「十分ですって」


 むしろよく刀が持ったな、と変なところで感心する。一度にそれだけ斬り伏せていたら、さすがに刃こぼれしそうだ。というか三十人でせいぜいって、会津のレベルどうなってるんだ。

 色々突っ込みたかったけど、深追いしてご飯がまずくなったら困るのでやめておく。今はうどんのことだけ考えよう。うどん美味しい。


「その麺、やたら太いが、どうなんだ?」


 至近距離で私の食事風景を観察していた幽霊さんから、恒例の質問が飛んで来る。彼と出会ったばかりの頃は反射的に身を引いてしまうことも多かったけれど、今ではすっかり慣れた。相手は幽霊なのだから、視線を感じても気まずく思わない──ただし時と場合による。


「讃岐うどんですよ。幽霊さん、見るの初めてですか?」

「無論だ。俺は細い麺しか知らない。あと蕎麦の方が好きだ」

「うどん食べてる人の前でうどんを下げるのやめてくれませんか?」

「そうぴりぴりするな、七味もわさびも入れていないだろう。俺はうどんが嫌いな訳じゃない。気が向いたら食べるさ」


 自分はすぐ拗ねるくせに、私にはこんな調子である。いくら何でも己を棚に上げすぎではなかろうか。

 それはさておき、たしかに東北のうどんは細めな印象がある。秋田の稲庭うどんとか、ほとんどそうめんみたいな感じだし。それから、蕎麦処という印象が強いから、やはり当時は蕎麦屋の方が多かったのかもしれない。ちなみに私は太めの麺が好きだ。


「む、つゆに氷が入っている。これでは味が薄くなるのではないか?」


 新しい麺をつけると、中に入れた氷がからから鳴る。汁がぬるくならないようにと入れておいたのだ。


「そんなに気にする程の変化はありませんよ。汁がぬるくなる方が困ります」

「そこはほら、速さが勝負だ。それに、濃いめの汁に勝るものはない。一度畿内出身の者が作った蕎麦を食ったことがあったんだが、物足りないとかそういう問題ではなかった。味覚がいかれたかと思った」

「たしかに、京風の麺ものはお出汁メインのお汁ですよね。あれはあれで美味しいと思いますけど、あっさりし過ぎてるなあ、と感じることはあります」


 学食で麺類を頼んだ時、初めはそのあっさりとした味わいに驚いたものだった。今では慣れたけど、もう一息ガツンと来てほしいな、と思うことはないでもない。味覚異常を疑う程ではないけれど。余談だが、味覚の異常には亜鉛が効くらしいので、心配な方はサプリメントを買ってみると良いだろう。

 とりあえず、幽霊さんは濃いめの味付けが好きらしい。寒い地域の人だからだろうか。


「でも幽霊さん、濃い味が好きなら塩ラーメンとかも苦手かもですね。お店によってスープも違うだろうから、一概にこう、とは言えないけど」

「らあめん……あの黄色い麺か。お前がよく食べている」

「そうそう、それです」


 ラーメンは江戸時代からあったって聞いてるし、これまで幽霊さんの前で度々食べてたけど……気にしないと本当に何も覚えないんだな、この人は。そういう部分が、不真面目なところに繋がっているのかもしれない。


「そのらあめんとやらは美味いのか? 妙に麺が縮れていて飲みにくそうだが」

「食べ物ですよ。普通に噛んで食べます」

「蕎麦はほぼ飲み物だろう」

「それは幽霊さんの持論じゃないですか……」

「うん、それはそう。生前、蕎麦は飲み物か食い物かで同僚と揉めたことがあった」


 何そのカレーみたいな争い。私としては、圧倒的に食べ物派である。


「最終的にどうなったんですか」

「対立する俺たちに挟まれていた三人目から、業を煮やして美味いなら良いだろ良い大人が外でごちゃごちゃ揉めるんじゃない、と叱られた。つまり引き分けだ」


 うーん、正論。

 たしかに、他所のお店で妙な持論を展開して言い争うのは見苦しい。引き分けというか、巻き込まれた被害者こと三人目の圧勝な気がする。

 幽霊さんにとっては、細い麺類は総じて飲み物なのだろうか。それを思うと、太めの讃岐うどんを食べていて良かったな、と思わずにはいられない。


「ところで、俺はネギを入れた方が倍美味いと思う」


……どう足掻いても、食べ物談義から逃れる方法はないらしい。

 この後、ネギが苦手な私と対する幽霊さんで静かな戦いの火蓋が切って落とされた。当然ながら氷は溶けきって、幽霊さんは不満げだった。

 ひとつ言えることがあるとするならば、他人が食べているものにいちいち口出しするのは良くない、ということだろうか。食べ物への意欲とは、かくも厄介なものである。改めて私は実感したし、今後も思い知らされると考えるとちょっぴりげんなりした。

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