第17話 その名前
『もしもし、あたしよ。今ちょっと……って、いきなり切ろうとしないでよ! 詐欺な訳ないでしょ、声でわからないの? 女の子は声変わりしないんだから、もう。姉の声くらい覚えておきなさいな。こら、面倒そうな声出さないの。あんたって、どうしていつもそうなのかしら。性格だけは、パパにもママにも似てないわよねえ。──いや、用件があるから電話したに決まってるでしょう、隙あらば切ろうとしないの。あのね、帰省だけど、九月の頭はどうかって。ちょうど法事もできるし、大学だって休みでしょう? その時期なら皆日本にいるだろうし、パパの仕事も落ち着くからって──あ、何、即決? スケジュールとか大丈夫なの? 基本的に暇? そ、そう、それなら良いんだけど……って、あんたサークルとか入ってないの? ほら、運動はともかく、今って文化系のもたくさん──いや、あのねえ。たしかにそういう、不健全なサークルもあるかもしれないけど、全部が全部そうって訳じゃないでしょう、偏見も甚だしいわ。まあ、たしかにテニスサークルとかはテニスやるというよりは乱痴気騒ぎしたいだけ、って感じよねえ。べ、別に私怨じゃないわよ! 本当だからね。テニスサークルにも良い子、きっといるわよ。あたしの周りはどうしようもない
──通話終了。
ふう、と息を吐き出してから、側に置いておいたスポーツドリンクを口に含んだ。長電話の後は、喉が渇く。
「賑やかな姉君だな」
ぷは、と息継ぎしたところで、幽霊さんがふわんと視界に入る。彼にしては珍しく、一定時間構ってもらえずとも拗ねた様子はない。
……というのも、先程まで私と姉との間で交わされていた電話を至近距離で聞いていたからだ。私がスマホを耳に当てている、すぐ傍にいたのである。通話内容もばっちり聞こえていたにちがいない。
これって完全に盗聴じゃない? と思わなくもないけれど、私以外に認知されていない幽霊さんに個人情報流出の危険性はない──今のところは。ただ、私の個人情報が彼に漏れるだけだ。損をするのは私一人だけ、しかも一般的には見えない相手に、という非常に狭い範囲内の話である。
「うるさかったですか?」
「是非を定めるなら、是だな。だが聞いていて楽しかった。お前とは正反対の方なのだな。はきはきとして朗らかで、喜怒哀楽がわかりやすい」
幽霊さんとも正反対だと思う、とは言わないでおく。嫌がられはしないだろうけど、しばらくは似た者同士だなんだといじられるだろう。この人は他人をからかうのが大好きなのだ。
たしかに、私と姉は正反対の性格をしている。姉は目立ちたがりで、やたら声が大きく、そして能動的。幽霊さんが言った通り喜怒哀楽もはっきりとしていて、何を考えているか一目でわかる。……その前に、口に出しているのが姉なのだけれども。
そんな姉は、私より七歳歳上。今は一人暮らしをしているが、実家にはすぐ帰れる距離で暮らしている。私の帰省について、両親ともいち早く話し合ったのだろう。
「ところで」
宙を漂っていた幽霊さんが、ずい、と顔を寄せてくる。彼はパーソナルスペースが狭い性分らしい。ここは私と対照的だ。
「そよぎ、というのはお前の名前か?」
出た、幽霊さんのクエスチョン。
今回取り上げられたのは、私の名前。そういえば名前とか教えてなかったっけ。
今更隠す必要もなさそうなので、はい、とうなずいておく。
「その名前、どんな字を書くんだ?」
「梵天の梵です」
「なるほど、強い」
うんうんうなずかれても、反応に困る。私は宇宙を支配する根元的な存在とは縁もゆかりもない──というか、繋がりがあったら普通に大学生として生きていないと思う。
「良い名前だな。お前らしい」
「……どの辺りが?」
「全体的に、だ。いずれお前にもわかる日が来るさ」
よくわからない伏線を張られた。私らしさがわかる日ってなんなんだ。
何故か満足げな顔をしている幽霊さんを他所に、私は飲み物のお代わりを取りに立ち上がる。エアコンの効いた室内であっても、こまめな水分補給は欠かせない。脱水症状が出てからでは手遅れだ。
……そういえば、幽霊さんの名前は何というのだろう。
ふとそう思って、テレビを眺めている彼の方を振り返ってみる。幽霊さんはバラエティー番組が好きなようで、今もクイズなんかを見てご機嫌だった。
まあ、私にとって幽霊さんは幽霊さんだ。それ以上でも、それ以下でもない。いつか気まぐれで話してくれたなら、その時に知れば良い。
ペットボトルを片手に、私はリビングに戻る。クイズ番組は幽霊さんと答えを競うのが日常だ。今日もまた、あれこれ議論──とまではいかないレベルの言い合い──を繰り広げることになるだろう。
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