第14話 幽暗

 変な夢を見た。悪夢とまではいかないけど、何となく気持ち悪くて、続きを見るよりも早めに覚醒することを体が選ぶような夢だった。

 じんわりと汗ばんだ体の感覚が戻ってくる。徐々に鮮明さを取り戻していく視界をぼうっと眺めながら、私は気だるげに寝返りを打つ。


「早いな」


 ひゅっ、と息が止まる。声を上げなかったことを褒めて欲しいくらいだ。

 私が寝返りを打った目と鼻の先、真っ正面の壁から幽霊さんの顔が生えていた。最近になって彼の存在そのものに慣れつつあったけれど、こういう薄暗い中で目にするのはやっぱり不気味だ。

 下手すればショックで彼の仲間になりかねない事態だが、私だって大学生。バクバク言っている心臓を悟られないように一度深呼吸をしてから、幽霊さんを睨む。


「何してるんですか。夜は出ていってって言ってますよね」

「見ての通り観察だ。あと、時刻を鑑みればもう朝だぞ。ちょうど日の出間近といったところか」

「そういうことではなくてですね……」


 寝起きだと舌が回らない。頭も痛くなってきた。

 このままでは幽霊さんと至近距離で会話し続けなくてはならないので、私はもぞもぞと起き上がる。エアコンを付け直して、何か飲もうとベッドから降りた。当然のように、幽霊さんはぬるりと壁を通り抜けて付いてくる。体は隣の部屋──みつるさんとは逆方向の、まだ人の住んでいない空き部屋にいたのだろう。

 コップに麦茶を注ぎ、一息に飲み干す。体内に潤いが戻るような感覚が心地よい。

 電気をつける気にはなれなかったので、スマホで時刻を確認してみる。午前四時。たしかに朝は朝だけど、普段起床する時間帯ではない。アラームはまだずっと先だ。


「ところで、だ」


 こんな時間に起きてるのなんて、よっぽど早い朝練のある学生か老人くらいだな、と思っていると、幽霊さんから声をかけられた。恐らく百年以上存在し続けている、老人とかいうレベルではない相手である。


「静かだったが、わかったぞ。俺は先程、お前を驚かせることができた」

「だからなんですか」

「そう怒るな。俺だって、お前を起こすつもりはなかった」


 寝ている相手を堂々と観察している時点でどうかと思うけど。そう言い返すと、唇を尖らせてけち、と言った。幽霊さんはすぐ私をけちにしたがる。

 やたら話したがりでダル絡みしてくる幽霊さんではあるが、そんな人臭さとは別として幽霊としての矜持プライドも少なからず持ち合わせているらしい。私の驚いた姿を見ると、今のように嬉しそうな反応を見せる。

 もともと他人にいたずらをしかけるのが好きだったようだから、今に始まったことではないのかもしれない。でも、幽霊が身に纏っている悲壮感よりも、お化け屋敷のお化け役のような心持ちでいられるのはある意味すごいと思う。黙っていればしっとりとした幽霊画のようなのに、どことなく親しみやすいのも彼の性分あってのものだろう。良いんだか悪いんだか、私には判断がつかない。

 ただ、暗がりの中に浮かぶ幽霊さんは様になる。いつもは昼間とか、電気の下で見ることが多いから、あまり意識することはないけれど……こうして見ると、典型的な幽霊の特徴を備えているんだな、と思う。中身を知っているから、そんなに怖くはないけどね。


「なんだ、じっと見て。さては全然怖がっていないな」

「そりゃ、こんなぺらぺら話す幽霊が相手じゃ、怖がる気も失せますよ」

「なら無口になれば良いのか。無理だな」

「諦めが早すぎる……」


 なんというか……潔い人なんだろう。最期も、負傷したからお荷物にならないようにと切腹した訳だし。


「なんか、残念ですね。もっと物静かでおどろおどろしい感じなら、いかにも幽霊、って感じで怖かったと思うのに」

「どうだかな。少なくともお前は、俺が無口でも大して変わらぬ反応をしていただろうよ。お前に怖いものがないのか、それとも精神的に欠落しているのか……不思議な人間もいたものだ」

「私をアンドロイドみたいに言わないでくださいよ。怖いものは人並みにあります」

「あんどろ……?」

「人造人間のことです。學天則とか見たことあります?」

「知らんな。聞いたこともない」


 幽霊さん、昭和にもいたはずなんだけど……私と出会うまで、本当に何をしていたんだろう。いくら何でも世間知らずすぎない?

 しかし、私が怖いもの知らずと思われているのは意外だ。私だって、恐怖心を捨ててはいない。たまたま幽霊さんが怖くなかったというだけで、普通に幽霊という存在に出会ったら嫌だなあ、とは思う。まあ、どちらかと言えば心霊よりもでかい虫とかの方が怖い。怖いというか気持ち悪い。見ていられない。滅べとは思わないが、私の前に姿を現さないで欲しい。

 そういった訳で、私は虫全般が苦手な訳だが、何となく幽霊さんに弱みを晒したくはないので黙っておく。この人、すぐいじってきそうだし。


「でもまあ、良かったんじゃないですか、怖くなくて。もしそうだったら、幽霊さん、私と話すどころじゃなかったと思いますよ」


 話相手が欲しいという幽霊さんの願いには、応えられているのではないか。怖いものとして避けられるよりも、幽霊さんにとってはこうしてゆるく絡んでいられる方が良い気がする。あくまでも私の憶測、だけど。

 白み始めてきた空が、カーテンの隙間から覗く。すり抜けることはせず、その場に浮かんだままそちらを見遣り、幽霊さんはそうだな、と幽かに呟いた。


「ということで私は二度寝します。今日の講義、午後からなので」

「…………は?」


 喉も潤したところで、再びベッドに戻る。すぐに納得いかない、といった顔をした幽霊さんが真上に飛んできた。


「今の流れで寝るか、普通? こういう時は、改めてよろしく、とか……そういう、しみじみした良い空気になるんじゃないのか」

「眠いので。おやすみなさい」

「ふざけるな。俺のちょっとした感動を返せ」

「静かにしててくださいね」


 すぐさまイヤホンを耳に突っ込み、穏やかなクラシックで幽霊さんの文句を遮断する。これでぐっすり眠れそうだ。

……ちょっと感動してくれたのか、とは指摘しなかった。

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