第13話 切手
「黒猫の箱でも、密林とやらでもない……。何の荷物なんだ、これは」
無事受け取って開封していると、相も変わらず入り浸っている幽霊さんが覗き込んできた。私はよく通販を利用するので、その段ボールから運送会社だったり通販サイトだったりを覚えたようだ。密林は私がそう呼んでいるだけなのだけれど、横文字が苦手な幽霊さんに訂正しても首をかしげるだろうから、そのまま突っ込まないでおく。
「従兄弟からです。仕事でドイツに行ってたので、そのお土産をまとめて送ってくれたみたいです」
「どいつ……」
幽霊さんが顎に手を添えて思案する。そうか、彼の時代には、まだドイツ帝国は成立していなかったのだっけ。
一応、幕末にドイツ帝国の前身──プロイセンと交流はあったはずだけど、日本史の中ではアメリカやイギリス辺りがよく目立つので、日本史では何となくその時代だと影が薄い印象がある。どちらかと言えば、ドイツは明治以降に出張ってくるイメージだ。
会津はお雇い外国人とかも少なそうだし、そもそも幽霊さんは外国の知識に乏しい。港町に行ったことがないようだから、仕方のないことなのかもしれない。
「プロイセンの後身って言ったらわかりますか? ヨーロッパ……欧州の国なんですけど」
「ぷろしあか。名前だけなら聞いたことがある。死後、蝦夷共和国がどうとか言ってる奴らの話に出てきた」
「そうそう、それです。というか幽霊さん、函館まで行ってたんですか?」
「いや、俺は行っていない。会津の戦で生き残り、その後函館に渡った知人が、薩摩での反乱の折に話していた」
幽霊さんのお友達が全員生存したのは知っていたけど、まさか函館戦争も乗り切った人がいるとは思わなかった。どこの誰だかは知らないけど、悪運が強すぎないか。何回かなら死んでも生き返る能力とか持っているんだろうか。
そこは驚いたけど、まずは荷物の開封を済ませなければ。どんなお土産を買ってきてくれたのだろう。素直に楽しみだ。
まずは手前にあった箱を開く。これがメインのお土産だろう。何が入っているかな。
「……これは、殺害予告か?」
そんな訳ないだろ。
入っていたのはペーパーナイフ。それから、爪切りとヤスリのセット。刃物ってだけで物々しい雰囲気にしないで欲しい。
ドイツで刃物と言えば、ゾーリンゲンにちがいない。日本の関市とも並ぶ刃物の名産地と聞いている。まだ使っていないけど、今使用している百均のあれこれよりも性能が良いことは予想できる。ありがたく使わせてもらおう。ありがたすぎて、お蔵入りにならないか心配だ。
「こんな小さい包丁で何を切るんだ」
そして幽霊さんは未だに気むずかしい顔をしている。幕末の人だし、刃物には一家言あるのだろうか。
「ペーパーナイフですよ。紙を切るんです。文房具の一種です」
「手でどうにかならないか? 鋏もあるだろうに」
「無粋なこと言わないでください。手間をかけるからこそ良いものもあるんですよ」
「俺にはわからないな。お前がそれで良いのなら何も言わないが」
絶対嘘だ。しばらくはペーパーナイフにぼそぼそ文句を言ってくる。幽霊さんとの付き合いで、彼の性分は大体理解したつもりだ。
これ以上突っ込むのは面倒なので、私は次の包みを手に取る。それほど重くないから、衣類だろうか。あれこれ予想しながら開いてみる。
「…………」
「洋装か。舞踏会用か?」
鹿鳴館には着ていかないよ。
私の予想を裏切って出てきたのは、まさかのディアンドル。ドイツ、というか中欧のゲルマン系諸国における民族衣装だ。
たしかに、現地なら安く買えるだろう。見ている分には可愛いと思う。お人形になら、着せて遊ぶのも良いかもしれない。
だが、これは明らかに人間用だ。そして宛名は私。この空間に、ディアンドルを着られる生身の人間は私しかいない。
どうしろというんだ。オクトーバーフェストにも着ていけと? 関西でもやってるけど、私がそういうお祭りのような賑やかしいイベントに一人で行くような性質でないことは従兄弟が一番わかっているはずだ。
「ふと思ったんだが、良いか」
ディアンドルを広げたまま考え込んでいる私に、幽霊さんが平坦な口調でそう問いかけてくる。こういう困惑した状況だと、むしろ平常運転なのは安心できる。断る理由もないので、どうぞ、と促した。
「この送り主、お前のことを好いているのではないか」
「それはない」
それはない。
たしかに従兄弟とは仲が良い。帰省した時、行き違いになってでもいなければ必ず会っている。私よりも五歳歳上の彼は、時々大人げないなと思うところもあるけれど、基本的に面白くて楽しい人だ。ムードメーカーという訳ではなく、私から見て面白いというだけで、人によっては感じが悪く見えるかもしれないけど。
そんな従兄弟ではあるが、さすがにそこまで悪趣味の酔狂ではない。幽霊さん、意外と恋愛脳なんだろうか。
「わからないぞ。女に服を贈るということは、つまりそういうことなんだろう。俺は詳しいんだ」
「幕末ならそうかもしれませんけど、今はあり得ませんって。それに、そういうのは脱がせたいとかどうこうって話でしょ? 着物ならともかく、ディアンドルはちょっと……」
「脱がせるとか、生々しいことを言うな」
「言い出したのはそっちですよ」
というか詳しいって何。ちょっと気になる。幽霊さん、ぬぼっとしているようで生前はモテていたんだろうか。
変な憶測ばかりを広げて手を止める訳にはいかないので、私はひとまず箱の中身を全て出してしまうことにした。それほど大きくはないが、隙間は少なくみっちりと収められている。これは従兄弟が収納上手という訳ではなく、人に頼んだものだろう。
結論として、お土産として入っていたのは前述のものに加えて、謎のきのこのオブジェ、ハンドベル、焼き菓子など保存の効くお菓子、それから現地のアンティーク切手多数、といった様相だった。
オブジェやハンドベルには困惑したが、その他は普通に嬉しい。特にアンティーク切手は、各国のものをコレクションするくらいには好きだ。前に収集していると言ったのを、従兄弟は覚えていてくれたのだろう。直接指摘したら、なにがなんでも偶然だと言うだろうから、ここは特に言及せずありがたく頂戴するとしよう。
「なんだ、この紙切れは」
紙袋に入った切手を分けていると、幽霊さんにそう問われた。紙切れって、アバウトにも程がある。仮にこの人と印刷所のホームページを見るとして、遊び紙のページは絶対いっしょに見たくない。全部ただの紙、で済ませられそうだ。
「外国の切手です。切手ってご存知ですか?」
「馬鹿にするなよ。それくらい俺にだってわかる。だが、そんなものを集めてどうするんだ。この国では使えないぞ」
「集めて、眺めるんですよ。ほら、お花に、風景に、動物……ちょっぴりデフォルメされた、可愛い絵もあります。こういった、日本ではなかなか見られない意匠の切手を収集するのが好きなんです。何かの役に立つとか、そういう話じゃありません」
この後全コレクターを敵に回すような発言が来てもおかしくはなかった──のだが、幽霊さんはふむ、とひとつうなずいただけだった。彼なりに、納得ができたのだろうか。
ばらばらになったら困るので、切手を保管しているファイルを取り出して丁寧にしまっていく。慎重さが求められるが、私にとっては楽しい作業だ。
「実はな、俺も特定のものを集めていたことがあるぞ」
黙々と作業を続けていたら、空中から観察してくる幽霊さんがふとそんなことを言った。手元が狂ってはいけないので、そうなんですか、と姿勢を変えずに相槌を打つ。
「さては聞く気がないな。冷たい奴め。乞われずとも俺は勝手に喋るぞ。あと祟る」
「はいはい、聞いてますから祟るのはやめてください。そんな、大安売りするものじゃないでしょう。言う程ポンポン祟れるものなんですか」
「実を言うと、少し疲れる」
幽霊に体力消費とかあるんだ。初耳である。
それはさておき、幽霊さんは一体何を集めていたというのだろう。有象無象に頓着のなさそうな人だから、気にならないと言えば嘘になる。聞き逃さないよう、じっと耳を澄ませて待つ。
「折り紙だ」
「え、折り紙って、あの?」
「他にどの折り紙があるんだ。そのままの意味で受け取ってくれて構わない」
「さっきの紙切れ発言をかました人の言葉とは思えません」
折り紙だって、色や模様が違うはずだ。ならば、紙を好く者として先程の発言は謝罪するべきではなかろうか。
私が睨むと、幽霊さんはそういうことではない、と険しい顔をした。
「紙の柄や質を理由に集めていたのではない。何か、ちょっとした伝言を伝えたい時、中身が見えないようにと折ることがあるだろう」
「ああ……ありますね。今時だと、こっそり回し読みする時とかにやる奴です」
ノートの切れ端とかルーズリーフを、ハートやセーラー服の形に折る奴、あったなあ。特に中学生くらいの頃に、よく見かけた気がする。誰々ちゃんに回してね、って、こそこそ授業中に回ってくる手紙。ちなみに、私が宛先になったことは一度もない。
そういうのが幕末にもあったと聞くと、なんだか微笑ましく思ってしまう。クラスに一人は、やたら折り方のバリエーションが豊富な人がいたけれど、幽霊さんのところにもそういった手先の器用なお手紙名人がいたのだろうか。
予想が当たっていると良いな、なんて期待を込めながら幽霊さんを見る。彼はいつになく落ち着かない様子で、髪の毛をいじりながらぼそぼそ答えた。
「……その、好いた女が折った手紙を、捨てられずに集めていた」
一瞬の、静寂。
その後に目が合った幽霊さんは、凄まじい勢いで天井に上半身を突っ込んだ。腰から下が垂直に伸びる。
なんというか、不気味なのは勿論だが、感情表現がダイナミックすぎて反応に困る。透けているからアパートに影響はないのだけれど、一瞬天井が落ちてしまうのでは、などと要らぬ心配をしてしまう。
「照れるくらいなら言わなくても良いのに」
「お前、さては俺を憐れんでいるな。何故色恋だなんだと突っ掛かってこない。お前は本当に若い女なのか」
「皆が皆恋バナ好きって訳じゃないんですから、偏見まみれの発言はやめましょうよ。むしろ、幽霊さんに恋愛感情の概念があったこと自体に驚きです」
「あるよ、人の子なのだから。ああ、まったく、思い出したら腹の奥がむず痒くなってきた。帰る」
帰るってどこに、と突っ込む前に、幽霊さんの下半身も天井に吸い込まれていった。不利になると逃げ出すのはどうにかならないのか。
ふう、と息を吐き出して荷物の整理に戻る。幽霊さんの好きな女の子のことは気になるけど、それはまた後日聞いてみることにしよう。
尚、従兄弟に何故ディアンドルを贈ったのか聞いてみたら、たまたま目に留まったから、とのことだった。なんという雑な理由だろう。当てつけも兼ねて、帰省して彼に会う時にでも着ようと思った。
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