第12話 すいか
お昼の電車は少ない。一応大学から駅までは歩くとそれなりの時間がかかるが、それでも余裕が残る日は度々ある。
そういう時、私は大抵学生交流室に行く。本部棟の奥まったところにある、意識しなければ気付かれないような部屋。そこは相談室よりも少しラフで、ラウンジ程砕けてはいない。私にとって、居心地の良い空間だ。
「お疲れ~、須恵ちゃん。今日も暑いなあ」
交流室の扉を開けると、間延びした関西弁が聞こえてくる。
キャスター付きの椅子に座ってにこにこと手を振るのは、事務員の
彼女はこの部屋専属……という訳ではないはずだが、私が行く時はいつもいる。事務員さんは暇なんやでー、と言っていたが、そんなことはないはずだ。きっと、タイミングが私と合いやすいのだろう。
花咲さんに促されて、私は近くのパイプ椅子に腰を下ろす。今のところ姿は見えないが、いつどこから幽霊さんが現れるかわからない。周囲に気を配りながら腰かけた。
「須恵ちゃん、ラッキーやで。今日はな、ええものもろてん」
この交流室には、そこそこ大きい冷蔵庫が設置してある。学生が談笑する時に飲み物を必要とするからだろうか。今ではほとんど花咲さんの私物のようになっていて、飲み物だけではなくお菓子やちょっとした料理なんかも入っている。咎められないのか心配だが、花咲さんは特にお叱りを受けている訳ではなさそうだ。彼女の人徳で許されているのだろうか。
そんな花咲さんは、えらくご機嫌な様子でお皿を二つ持ってきた。ひとつは私、もうひとつは自分で使う用だろう。
「園芸部の子がな、
「問答無用て」
「ふふ、でもなあ、この季節やろ? 拒否る子は今のところおらへんで。こないな暑さやもん、すいかを食べるにはうってつけやね~」
そう言って花咲さんが置いたお皿の上には、両手で持つのがベストと言いたげな大きさのすいか。しっかりスプーンも付いている。
本来なら、素手で持ってかぶり付くのが流儀なのかもしれないけど……私にその度胸はない。生憎と、今日は白のブラウスを着ているのだ。果汁が跳ねたら困る。スプーンを使わせてもらうことにしよう。
二人、向かい合ってスプーンですいかを掬いながら食べていると、そういえば、と花咲さんが切り出してきた。
「須恵ちゃん、夏休みはどないするん? 実家、帰る?」
「うーん、まだ決めてなくて……。八月は暑いので、戻るとしたら九月辺りだと思います」
「せやねえ。倒れたら元も子もあらへんよ。せやけど、就活生は皆夏場もスーツで大変そうやわあ。クールビズ、許されへんのかな」
他人事のように言う花咲さんは、夏に入る前には就活を終えていたのだろう。かつて苦しんだ猛者の目ではない。意図的に隠している……という線も考えられるけど、この人にそんな苛烈なバックボーンは似合わない。気にしないでおこう。
しかし、就活……就活か。関西以外の出身者向けのIターン就活に関するガイダンスなら一応聞いたけど、個人的にはこっちで就職したい。地元が物凄い田舎って訳ではないし、むしろこっちよりも栄えているけど、私としては関西の空気の方が心地いい。この三年間で、すっかり馴染みきってしまった。
何事もなければ、今暮らしている場所から通えそうなところで働きたい。電車一本で大阪にも行けるし、範囲は決して狭くないと思う。
地元が嫌いな訳じゃない。でも、あっちだと、私の望む生活は難しい。
そのために、私は遠く離れた関西までやって来た。大学で好成績を修めている訳じゃないし、関西でしかできないことを成し遂げる、なんて大それた目的もないけど……私は今、やりたいことをやれている。それが継続できるなら、まずは満足といったところか。
「須恵ちゃん、なーんか最近はええ顔やね~。にこりともせえへんのは変わらんけど、全体的な雰囲気が明るうなったわあ」
すいかの種をぷ、とお皿に戻していると、いつの間にか食べ終えたらしい花咲さんが目を細めていた。優しげなたれ目が、三日月みたいな形になる。
「明るいでしょうか。すごく嬉しいことがあったとか、そういう心当たりは皆無なんですけど……」
「須恵ちゃんはほんまに己に関しては無頓着やね~。難しいんやけどね、身の回りの空気がこう……ぽかぽかってしとるんよ。なあに、波長の合うお友達でもできたん?」
「友達……」
もしかして、幽霊さんのことだろうか。
たしかに、彼は私にとっての友人だ。それ以外の表現が思い付かない。でも、私のことを明るくしてくれるような存在かといえば、うーんと首を捻りたくなる。幽霊と明るさって、正反対の方向にありそうなものだけど。
何にせよ、最近になって初めて出会ったとあれば相手は幽霊さんしかいない。花咲さんに隠し事は通じないので、私はこくりとうなずいた。
「ちょっとした成り行きで、よく話すようになった方ならいます。そこまでムードメーカー、といった感じではないはずです」
むしろ無気力系です、とは言わなかった。お前もやろがい、とブーメランを返されたら恥ずかしい。
私の抑揚のない返答に、花咲さんはふふっ、と朗らかに笑った。自分のことのように嬉しそう。
「ええんよ、無理に言葉を重ねんでも、ぴったり合う子なら大体わかるものやで。どないな人でも、須恵ちゃんが話していて楽しいって思えるんなら、それに越したことはないんとちゃう」
「そういうものですかね」
「せやでー。人生ってな、重いようで軽くて、軽いようで重いものやねん」
「花咲さん、そこまでお年を召してはいないでしょう」
私より歳上なのは確実だけど、花咲さんはまだまだ若い。ふっくらとした頬の童顔ということもあるのだろうが、大学生と見ても差し支えない見た目をしている。男子学生の中には、同年代の女子よりも花咲さんの方がずっと良い、なんて言う人もいるらしい。浅倉君が頼んでもいないのに話していた。
良いことを言ったつもりらしい花咲さんは、どないかなあ、とはぐらかすように言ってからコップを取り出す。冷蔵庫で冷やされている麦茶。ここを訪れる人の救世主とも言える存在だ。
「まあ、大学生っちゅーのも期間限定やしなあ。今のうちにできること、たくさんやっとき。ずーっと変わらず続くものなんて、滅多にないんやから」
「はあ」
花咲さんの言っていることはわかる。わかるけど、幽霊さんは私の期間限定になってくれるのだろうか。
あの調子だと、成仏するまで私に纏わり付いてきそうな勢いだ。迷惑……とまではいかないが、幽霊さん的にそれで良いのかな、とは思う。私だって人間なのだし、いつかは彼が追い付けないところに行くかもしれない。私に構っているのも良いけれど、私以外の見える人も探した方が良いのではないか。
今ここに幽霊さんはいない。余計なお世話だとはわかっている。そういうのは、幽霊さん本人が決めることだ。
ざく、とスプーンをすいかに差し込む。アイスと違って、時間が経ってもすいかは溶けない。
先程よりも気持ち多めに盛ってから、私はスプーンを口に運んだ。
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