第10話 くらげ


「こいつ……俺に似ているな」


 やけに神妙な顔をしているので何かと思えば、テレビでくらげ特集が組まれているらしい。

 空中で正座してじっと画面を凝視する幽霊さん。その目線の先には、ふよふよ漂うミズクラゲの群れがいる。

……たしかに、わからなくはない。実際、ユウレイクラゲと呼ばれる種もあるし。ふんわりと自由に漂う姿は幽霊さんと似通っているし、何となく雰囲気も共通している……かもしれない。くらげはあれこれ質問してはこないけれど。


「お気に召しましたか?」


 食洗機のつまみを捻ってからそう問いかけると、幽霊さんは空中で正座したままこちらを向いた。


「いや、別に。こいつらには癒し効果なるものがあるらしいが、俺にはさっぱりわからん」

「のんびりマイペースな感じが可愛いのかもしれません。ミズクラゲはまん丸でもっちりした外見ですし」

「しかし顔がないぞ。俺を見た方が癒されないか」

「それはないです」


 くらげが空中を漂っているなら、まだ幻想的で見映えする。ゆるキャラのような感じはあるだろう。

 しかし、幽霊さんは完全に人型だ。本来なら浮遊すべきでない形状である。癒し効果は期待できない。何故くらげに張り合えると思ったのか、その自信はどこから来るのか、是非とも知りたいところだ。

 私から速攻で否定された幽霊さんは、むっとした顔で睨んできた。いまいち覇気のない顔だ。これで戦に従事していたというのだから、幕末とは相当追い詰められた時代だったのだろう。──尤も、かつての幽霊さんは今よりも血の気が多いかもしれないので、意外と様になっていた可能性も否定できない。今ではすっかりマイペースな自由人幽霊になってしまったようだが。

 そんな幽霊さんは、むくれたまますーっと私のところに飛んで来た。くらげみたいに上下運動はしない。


「お前はくらげを見慣れているのか? あんな面妖な生き物を見ても、涼しい顔をして……顔の筋肉が死滅しているのではないか」

「幽霊さんには言われたくないです。でも、そうですね……水族館が割と近場にあったので、見慣れた方ではあると思います」


 私の実家は海沿いの街にある。臨海部には水族館があって、子供の頃は家族や親戚とよく行った。そこでクリオネの捕食シーンを見てしまい、予想以上にえげつなくてクリオネになる夢を諦めた。苦い思い出だ。

 そうか、と相槌を打って、幽霊さんは横向きになる。涅槃像のような姿勢である。


「俺は内陸の生まれなのでな。食えるとは聞いていたが、生前にはついぞ本物のくらげを見ることはなかった。木耳きくらげなら大好物なんだが……ああも奇妙な造形をしているとは。いやはや、驚きだ。俺なら食う気にはなれん」

「そういえば会津生まれでしたね。むしろくらげが食用なことをご存知なのが意外でした」

「何も会津の人間ばかりが駆り出された訳ではない。江戸や京都からやって来た者もいたし、奥羽越州の人間も山ほどいた。海に近い生まれの者から聞いただけだ」

「なるほど……旧幕府軍揃い踏み、って感じですか」


 そういうことだ、と幽霊さんは首肯した。

 旧幕府軍。そう言われると、自然と有名な新選組や彰義隊を連想してしまう。現代で色んなコンテンツになってるから、意識していなくてもぱっと思い付く。

 今や賊軍からは程遠い、いわゆる偉人として扱われている旧幕府軍のスターたち。幽霊さんは彼らとも交流があったのだろうか。未だに肖像画や顔写真が残っていない人もいるし、実在そのものを疑われている人だって少なくはない。彼らの真実を、幽霊さんはどのくらい知っているんだろう。


「どうした。会津に興味が湧いたか」


 思考を巡らせる私を前に、幽霊さんの憶測はやたらと前向きだ。いや、間違ってはいないのだけれども、幽霊さんが考えているのとはだいぶ違う。彼が心なしか嬉しそうなのが心に来る。


「それもあるんですけど、江戸や京都からやって来た人たち、っていうのが気になって。新選組とか、今やすごくメジャー……有名ですから」

「ああ、あの浪士組か。いたな、そういえば」

「お会いすることはなかったんですか?」

「あるにはあったが、そもそも自分は新選組所属でした、と大々的に触れ回るような奴なんてそうそういなかったからな。俺としてはあまり気にせずに行動していた。人伝ひとづてに聞くことならあった。もしかしたら、俺が知らないだけで元新選組の知人は割といたかもしれない」


 たしかに、会津戦争の時期には新選組という組織はほぼ解散したようなものだ。隊員が分散した状態で名乗る人は少ないか。いたとすれば、余程京都での功績に自信か誇りを持っている人にちがいない。

 幽霊さんが悪い、という訳ではないけれど、私としては少し残念な気持ちだ。もしかしたら、有名人の話が聞けるかもしれなかったのに。


「そんなに連中のことが気になるか」


 あ、まずい。また拗ねてる。

 見れば、幽霊さんが眉根を寄せて私を白眼視している。ちょっと気に食わないことがあると、いつもこうだ。以前の発言からして、享年は三十歳以下とのことだけど……それにしても厄介すぎないか。百五十年も浮遊しているなら、ある程度精神的に老成していても良さそうなものだけど。

 そういう訳じゃないですけど、とまず否定から入る。余計に機嫌を損ねて、より面倒な方向に進んだら困る。


「今はすごく有名なんですよ。小説にもドラマにも映画にも漫画にもアニメにもゲームにもなってるんですから。メディア総なめですよ」

「横文字ばかり使わないでくれ。意志疎通ができない」

「端から諦めないでください。とにかく、私は幽霊さんがどうでもいいっていう訳じゃなくて、単に自分でも知っているような著名人のお話が聞けたら嬉しいな、くらいの気持ちで質問したんです。気を悪くしないでください」

「どうだかな。口では何とでも言えるものな」

「……いい加減にしないと、お話ししてあげませんからね」


 私にも幽霊さんの考えていることがだいぶわかるようになってきた。拗ねているふりをしてはいるが、これはもっとこちらを持ち上げる台詞が欲しいという催促である。この人、本当に成人──当時なら元服の方が適切か──しているのだろうか。

 ばれたか、と幽霊さんは首を竦める。その仕草は少し、くらげっぽかった。


「まあ、俺の知り合いに関しては期待できないと思うぞ。大方、お前のような若い娘は悲劇的な結末を迎える高潔な男が好きなのだろう? 残念ながら、いつだか話したは、俺以外全員会津での戦を生き残り、それなりに長生きして床の上で死んだ。ついでに皆妻子持ちだ。お前が入る余地はない」

「いや、そこまで夢見てはいませんけど……というか、偏見が入りすぎです。各方面に怒られますよ」

「怒れるのはお前だけだろう」

「それはそうだけど……。まあでも、なんというか、皆さん最終的には穏やかな最期を迎えられたんですね。波乱万丈な半生だったでしょうに」

「それは俺も同感だ。あとすごく気まずい。全滅するとは思っていなかったが、中には激戦へ向かうと思われた奴もいたから、別れ際に死ぬなよ、と妙に格好つけて送り出してしまった。結果、俺だけ死んだ」

「一人だけフラグを回収してしまったんですね」

「ふらぐ……とやらはわからないが……それはともかく、薩摩での反乱、あっただろう。知っているか」

「西南戦争ですね。大まかな概要ならわかります」

「なら良い。俺はせっかくなので飛んで見に行ったんだが、その時、俺以外のいつめんが拠点で合流してな。あいつだけ死んだのか、みたいな空気が流れていたたまれなかった。目の前でしんみりされるとこう……心に来る。俺は祟りを成功させてすっきりしていたから、余計に」

「うわあ……」


 うわあ、としか言い様がない話だ。何があっても霊体で同窓会に参加はしたくないな、と強く思い知らされた。……いや、同窓会ではなく西南戦争だけれども。

 それにしても、幽霊さんのお友達って強すぎないか。いや、腕っぷしだけじゃなくて、世渡りの力とか、生きていく上での強かさとか……もう少し、幽霊さんは彼らを見習えなかったのだろうか。巡り合わせって、不思議。


「……そう露骨に憐れまれると、きつい」


 そして幽霊さんはちょっと引いていた。物理的にも、精神的にも。

 これは相手が私でなくても仕方ないことだ。多分皆、大半の人が私と似たような反応をするにちがいない。


「あの……来世では、気まずい思い、しないと良いですね……」


 私にかけられる言葉なんて、これくらいだ。幽霊さんの今後に期待するしかない。

 物憂げに嘆息し、幽霊さんは空中に寝転がる。そして、恨めしげにテレビを再度見遣った。


「俺も連中のように、何も考えず生きられたら良いのに」

「生前が人間の時点で難しいと思います」

「この世は理不尽だ」


 全くもってその通りである。

 うー、と唸りながらごろんごろん回転する幽霊さんを前に、私は何も言わなかった。今日くらいは、好きにさせてあげよう。

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