第8話 さらさら

 雨の日はあまり好きじゃない。涼しくなるのはありがたいし、自然環境や生活を維持していくために必要なことはよくよく理解している。むしろ最近は、猛暑を和らげてくれてありがたいとさえ思っている。

 でも、それはそれとして許せないことは多々ある。洗濯物が干せない、登下校が億劫になる、眼鏡に雨水が飛んで視界が悪くなる──など、挙げればきりがない。

 そんな中で、今ピックアップすべき雨の日のデメリットは、鏡の向こうで明らかにされていた。


「もじゃもじゃだな」

「うるさい」


 そう。湿気による髪の毛のうねり、広がり、跳ねである。

 今日も我が家のように入り浸る幽霊さんは、ドライヤーをかける私を興味深そうに眺めていた。その髪の毛はいつでも真っ直ぐでさらさら。癖なんてひとつも見当たらない。

……羨ましい。

 口には出さないけど、バレているとは思う。そうでなければ、わざわざ私のところに留まり続ける理由は──なくもないな。幽霊さん、かまちょのがあるし。


「気にするな。俺の友人にも、もじゃもじゃの奴がいた。今は文明の利器があるだけ、だいぶ抑えられている」

「そのもじゃもじゃって言い方やめてくださいよ。ダイレクトで嫌です」

「だい……?」

「直球ってことです」


 なるほど、と幽霊さんはうなずく。わかっているのかいないのか、不明瞭なのが腹立たしい。

 うちの一族──特に母方の家系は皆癖毛だ。ふわふわで可愛いじゃない、と比較的おとなしめな髪質の姉は言うけれど、私からしたら嫌味にしか聞こえない。私だって、なれるのならゆるふわカールになりたかった。

 じっとり睨む私を前にしても、幽霊さんの顔色は変わらない。死んでいるのだから、いちいち赤くなったり青くなったりされるのも変なことではあるけれども。


「すまないな。俺は生まれた時からこういう髪質なんだ。故にもじゃ……癖のある髪の毛を気にせずにはいられない」

「何ともまあ、贅沢なことですね」

「そう言うな。元気があって良いと思うぞ。どちらかと言えばぴょんぴょんしている。わかりやすくて良いじゃないか」

「ぴょんぴょん……」


 その言い方だと浮かれポンチみたいだ。たしかに、私の髪の毛は寝癖みたいに跳ねてはいるけれど……幽霊さんはなにかとオノマトペで表さないと気が済まないんだろうか。

 言い訳のように聞こえるかもしれないが、これでもまだましな方なのだ。小さい頃は可愛い髪型なんかに憧れて、肩口を越えるまで髪を伸ばしていた。その時の夏場なんて、まるで鳥の巣のようになってしまい、それ以降私はずっとショートカットを貫いている。一定の長さに到達すると、より暴れる性質のようだった。

 それはさておき、幽霊さんは現代でも羨ましがられそうなストレートだ。シャンプーやリンスのコマーシャルに出られそうなくらいには、理想的な黒髪と言える。

 しかし、現代人の私からすると、髪質はともかくこの長さで生活している男性というのはなかなかイメージしづらいものがある。長髪の男性にとやかく言う気はないけど、幽霊さんレベルの長さの人はなかなか見かけない。彼の生前──幕末には、これくらいの長さの人がいるのは普通だったのだろうか。

 とまあ、そのように考えているうちにだいぶ髪の毛が落ち着いてきたので、ドライヤーを止める。あとはブラッシングで整えれば、少しはましになるはずだ。


「お前は、髪の毛の長短ならどちらが好ましいと思う?」


 出た。脈絡のない、唐突な問いかけ。

 ドライヤーの音が止まった頃合いでも見計らったのだろうか。幽霊さんは鏡に触れようとしながら、私にそう尋ねた。当然、触ることはできず、彼の両手はすり抜けてしまう。


「長い方が好きって言えば、何か良いことでもあるんですか」


 ちょっぴり皮肉混じりに言えば、幽霊さんは目に見えて不満げな顔をした。むう、と唸り、私の方へ首を傾ける。だいぶ不気味なポーズだ。


「個人的に気になっただけだ。俺におもねる必要はない」

「でも、短い方が良いって言ったら、幽霊さんは拗ねるでしょう」

「…………」


 図星っぽい。幽霊さんの口がへの字になった。

 面倒臭い彼女ってこんな感じなのかな、とぼんやり考える。偏見が入っているので、世の中の面倒臭い彼女の皆さんの実像とは若干の差異があるかもしれない。その点、ご了承いただきたい。


「私としてはどっちでも良いと思います。人にはそれぞれ、似合う髪型があるので」


 幽霊さんへの配慮とかではなく、どちらでも良いというのが私の本音だ。髪型ひとつでその人柄がわかる訳ではないし、よっぽどよろしくない見た目でもなければとやかく言うつもりはない。結局のところ、人間とは性根が大事だ。それひとつで何もかも決まる、という訳ではないので、時と場合によって見るところも変わってくるけれど。

 私の髪の毛に指を突っ込もうとする──結局貫通するが──幽霊さんは、ふうん、と興味なさげを装っているのがバレバレの声で相槌を打った。基本的に無表情なのに、考えていることがわかりやすい。矛盾していると言われたら肯定も否定もできないが、そういう幽霊なのだ、幽霊さんは。


「俺の生きていた頃は、洋装と共に短髪が流行り出してな。今まで伸ばしていた奴等が、次々と髪の毛を切り出した。俺としては、それがなんとなく納得いかなかった」

「別にいいじゃないですか、個人の自由ですよ」

「それは俺もわかっている。だが、皆やっているのだからお前も切るよな、といった空気がどうにもいけ好かない。そういった同調圧力に屈するまいと、俺は髪の毛を伸ばし続けた訳だ」

「じゃあ、死んだ時もその長さだった……ってことですか?」

「介錯された時、ぶつ切りになったかとは思ったんだが……不思議だな。その辺りは反映されなかった。まあ、介錯後の状態が反映されたら今頃俺はおかっぱだ。それでは恐ろしさが半減してしまうだろう。故にこれで良かったと思っている」

「たしかに、幽霊と言えば黒髪ストレート、みたいなところありますもんね」


 それが適用されるのは大体が女幽霊なのだけれど……幽霊さんが満足そうならそれで良いか。機嫌を損ねて、またにきびでも生やされたら大変だ。あまり肌が強くないから、顔の出来物は治りにくくて困る。

 ただ、おかっぱでも怖がられているお化けならいくつか知っている。トイレの花子さんとかまんまおかっぱだし、呪いの人形の中には肩口辺りで切り揃えているものもある。恐ろしさに髪型は関係ないと思う。

 しかし、だ。ここで私は疑問を覚える。


「ところで、幽霊さん。服装の方は和装だったんですか?」

「うん? 命日のか?」

「自分で命日とか言っちゃうんですね……」


 なんというか、シュールだ。笑い事でないことは理解しているけれども、ご本人に言われると何とも言えないおかしさがある。

 その通りだと首肯すると、幽霊さんはううむ、と首をひねった。


「俺は洋風の軍服を着ていたはずだ。幕府側も、外つ国に頼る部分があったからな。そのようなもの着られるかと反対する者もいたが、俺は特に抵抗がなかったので洋装を選んだ。……のだが、何故かそこは反映されなかったな」

「軍服の下に白装束を着ていた訳ではないんですよね」

「当たり前だ。覚悟を決めて戦に臨むとしても動きにくいだろう、さすがに。その辺りの合理性まで捨てるつもりはないぞ」

「でも、現に幽霊さんは白装束ですよ。後から着替えさせられた……って線はないんですか?」

「ないな。介錯後は衣服をどうこうする余裕なんてなさそうだったし、首はともかく胴体は恐らく野ざらしだ。持っていくのも大変だろうから、当時の対応に不満はない。首がどこに隠されたか、もしくは供養されたのか確認しそびれたのだけが悔やまれるな」

「それって未練じゃないですか?」

「いや、俺としては別にどうなっていても構わないんだ。一応ありそうなところは一通り回って満足したし、今更首が見つかってもとうに白骨化しているだろうからな。そういえばわからないままだな、くらいの感慨だ」


 淡々と語るけど、結構えげつない話だ。むしろ幽霊さんが平坦に話してくれて、いくらかマイルドになっている感じさえある。当時の人って、皆これくらい死に対してドライだったんだろうか。従軍していたというから、ある程度血だの殺生だのには慣れていたんだろうけれど、それにしても血なまぐさい話題である。

 結論として、幽霊さんが白装束を身に付けている理由は不明。幽霊になったら、見えない力で自動的にこういう格好にされるのだろうか。そもそも幽霊が服を着ているのだとして、その服も霊体なのか、生者の目にそう見えているだけなのか、そこら辺も曖昧だ。幽霊の特性について専攻している人がいたら、是非ご教授願いたい。


「俺はお前が羨ましい。昔はそうでもなかったが、いざできなくなると無性に髪をいじったり衣服を替えたりしたくなる。どうにかできないのか」


 そして私は何故か羨望の目を向けられていた。さすがに理不尽じゃないかと思う。さっきから私の頭に指を貫通させるのはやめて欲しい。鏡でばっちり見えるから、なんとなく気分が悪くなる。


「自分の身は触れるんでしょう。だったら幽霊なりに打開策を見付けたらどうですか」

「結ぶものも他に着るものも触れないのでは意味がないだろう。お前、俺がいきなり全裸になって飛び回っても良いのか」

「そんなことしたら出禁ですよ。すり抜けても構ってあげませんから」

「むむむ」


 なにがむむむだ。

 実際に口に出して言う人──正確には幽霊だが──は、初めて見た。お前は馬超か。いや、馬超以外もむむむと言うけれど。

 とにかく、私の髪の毛は雑談している間にだいぶ落ち着いた。この程度なら、外に出てもひんしゅくを買うことはないだろう。


「まだ跳ねているぞ。直さないのか」

「世の中にはどうにもならないことがあるんです。来世のために学んでおいてください」


 いくら頑張っても反抗してくる毛に言及しないで欲しい。私だって、それなりに努力はしているのだ。……本当に努力している人はもっとヘアケアに力を入れているのだろうけど、私にそこまでの熱量はないので自分にできる最善を尽くすだけ。決して面倒なので諦めている訳ではない。

 幽霊さんが成仏して生まれ変わる時が来るのなら、見た目を整える不便さを一度は感じて欲しいものだ。目の前を横切る憧れの直毛を睨みつつ、私は内心で幽霊さんを軽く呪ったのだった。

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