第3話 謎


須恵すえさんってさ、私生活とか全然話してくれないよね」


 授業が終わったと思ったら、何の脈絡もなく隣からそう話しかけられた。

 三回生に進級してから振り分けられたゼミ。少人数での授業になるから、よっぽど他人に無関心でもない限り受講生の名前は大体覚えられる。必要最低限の会話しかせず、授業が終わればさっさと帰ってしまう私の名前が呼ばれたのも、覚えずにはいられない環境だからだろう。

 ファイルやらペンケースやらをリュックサックに詰め込みつつ声のした方向を見れば、頬杖をつきながらじっとこっちを見つめている男子と目が合った。

 明るめの金髪。耳にいくつも刺さったピアス。授業の度に髪型は違うけど、今日はハーフアップだ。黒地に金色の水玉が散ったシュシュで結んでいる。

 ぱっと目に入るだけでも派手な彼は、同じゼミの浅倉あさくら君。たまに隣の席になる。男の子にこんな表現使うのどうかと思うけど、どことなくギャルっぽい。シンプルイズベストな私とは対極を行く存在だ。

 そんな彼は人見知りしない性格ということもあってか、ゼミの皆に分け隔てなく話しかけている印象が強い。その中から私が外されることはなく、お隣になる度こうしてちょくちょく声をかけられる。私と話して何が楽しいのかよくわからないけど、物凄い距離の詰め方や絡み方をされる訳ではないので、不快感はない。不思議だなあ、とは、よく思う。


「別に普通だよ」


 ただ、友人関係にない浅倉君に私生活のあれこれを話す気にはなれないので、当たり障りのない返答を用意しておいた。彼にとっての普通が私のそれと同じだとは思えないけど、それはそれ。これ以上の追及はちょっぴり困る。

 しかし、私のそっけない回答で折れる程浅倉君もやわじゃない。えー、と不満げに唇を尖らせる。私よりもツヤツヤでぷるぷる。多分、ちゃんとケアしてるんだろう。無香料のリップクリームだけで済ませている私とは違う。


「それだけじゃわかんないよ。普通って何? もっと具体的に話してくれないと」

「具体的って……特に話すこともない、普通に寝起きして普通にご飯食べて普通に学校行くだけの生活だよ。その繰り返し。一般的な大学生と大差ないよ」


……家に度々幽霊さんが来ることを除けば。

 荷物を全て片付けたので、今から帰るよと言わんばかりにリュックサックを背負う。すると、浅倉君もサコッシュを掴んで立ち上がった。


「そういうところが謎なんだよな、須恵さんは。構外活動ん時も、飲みに行くってなったら消えてるし。徹底的にプライベートを見せないよね」

「見せる程の仲じゃないからね。あとお酒はそんなに好きじゃない」

「そんなにってことは、嫌いって訳じゃないんだ」

「種類による。皆が飲むようなのは好きじゃない」


 自分で言うのも何だけど、愛想がないにも程がある。よくこれで諦めずに話しかけてくれるものだ。

 私が歩き出しても、浅倉君は飽きずに後ろを付いてくる。教室に残っている他の生徒が、えって顔をして私たちの方を見ていた。そりゃそうだよね、よく目立つ派手な男の子が、無愛想ですぐ帰る、いるのかいないのかよくわからない私といっしょに教室を出ていくんだから。

 これが少女漫画や恋愛小説の世界だったら、私はそのうち浅倉君のことが気になって仕方なくなるんだろう。でも残念、私にはその気がない。自分でもどうかと思うくらい、惚れた腫れたとは無縁の生活を送っている。そんなごく普通の日常が、私にとっては一等心地よいという訳。


「須恵さん、電車だよね? どっち方向?」


 大学から二十分くらい歩いた先に駅がある。雨の日はバスを使う人もいるけれど、私は基本的に徒歩だ。

 浅倉君も隣を歩いてるけど、普段はどうしているんだろう。こういう見た目の人ってバイク通学が似合いそうだな、と誰にでもなく思う。完全に偏見が入っている。

 極楽橋方面、とそっけなく言うと、浅倉君はあちゃー、と眉毛をハの字にした。


「俺、JR。そっか、須恵さんは南海かー。じゃあ乗り場別々か」

「うん。JRっていうと……和歌山の方?」

「ううん、王寺方面。五条で乗り換え」


 乗り換えがあるなら、結構な距離を乗っていくんだろう。最寄り駅まで数駅の私とはえらい違いだ。ということは、実家から通っているんだろうか。

 少し気になりはしたものの、大して仲良くもないのに根掘り葉堀り聞くのは良くないかなと思ってやめた。こっちが聞いたら、等価交換で私について答えるのが当然、とか言われたら困る。

 幸い、浅倉君から等価交換を命じられることはなかった。後はずっと、取り留めのない雑談。バイトやってるの、とか、夏休みどうするの、とか、そんな感じ。無論、首を横に振るかわからない、といった愛想の欠片もない受け答えで応じた。バイトは本当にやってないし、夏休みにゼミの皆と遊ぶ気もない。親からは帰省するように言われてるけど、今のところは考え中。


「じゃね、須恵さん。話せて楽しかった。次はもっと色々聞かせてよ」


 さぞ味気ない帰り道だったろうに、浅倉君は最後までフレンドリーだった。うんともいいえとも言わず、それじゃ、とだけ返して、私は改札を潜ってホームに向かう。

 他人ひととの会話で苦しみ悶える程ではないけど、やっぱり普段それほど関わりのない人と話すのは疲れる。家族や親戚とは頻繁に電話することもできるのに、同級生になると疲労感を覚えるのは何故だろう。


「見~た~ぞ~」


 はあ、とため息を吐いた私の前に現れたのは、逆さまの顔。髪の毛が長すぎて毛先が地面に埋まっているところは見ないようにしよう。ちょっと面白い。

 何はともあれ、ついに幽霊さんが外にまで出てくるようになった。地縛霊ではなさそうだから不思議なことではないのだろうけど、つい最近遠出するのは疲れるって言ってなかったっけ。

 いくら人が少ないとはいえ、変人扱いはされたくない。私はスマホのメモ帳アプリを開いて、そこに文字を打ち込む。


『何してるんですか』

「おお、入力が早いな。どんな指をしているんだ」


 いや普通の指だよ。フリック入力の速度は平均的、だと思う。機械に弱い人が多いうちの家系の中では、かなり早い部類に入るけど。

 それよりも、質問に答えて欲しい。じっ、と思いを込めて凝視すると、幽霊さんは相変わらずのポーカーフェイスのまま口を開いた。


「暇だったのでな。少し頑張ってみた、という訳だ。お前以外構ってくれないから、昼間は退屈で仕方ない」

『それにしても、よくわかりましたね』

「この辺りで大学といったら、大体の目星はつく。ただ、敷地を全て見て回るのは面倒だから、駅で待ち伏せしていたんだ。そうしたら案の定、お前を見つけた」


 待ち伏せって言い方は良くないと思う。ストーカーじみていて気味が悪い。……幽霊という時点で、不気味ではあるけれども。


「それよりも、俺は見てしまったぞ。俺以外と話すお前を」

『同級生ですよ』

「同輩か。しかし、不思議な男だったな。大和言葉を操るが、髪色は異邦人のようだった。たまにああいう人間を見かける。どういうことなんだ。面妖だ」

『髪の毛の色を好きに変えられる染料があるんですよ。ご存知でなかったんですか』

「俺がなんでも知っていると思うなよ。正直、話し相手を探すことに精一杯で当世のあれこれは二の次にせざるをえない。つまり、お前からの情報が全てだ」


 この人、もう百五十年近く幽霊として漂ってるはずだけど……本当に何も知らないんだろうか。だとすれば、人と話したい一心だけで何もかもを疎かにしすぎだと思う。幽霊さんにとんでもない寂しがりや疑惑が生まれてしまった。

──と、そろそろ電車が近づいてくる頃合いだ。私は周囲をくるくる回っている幽霊さんを見上げる。


『そろそろ電車来るんですけど、この後どうするんですか』

「俺か?」

『そうです』

「本音を言えば、共に乗って帰りたいが……前にも言った通り、乗り物に留まり続けるのは至難の業だ。長時間座標を固定するのは精神に来る。ここまでだって、徒歩で来た」


 いや歩けないじゃん、とは突っ込まない。浮遊することが、彼にとっての徒歩なのだろう。


「ということで、一旦ここでお別れだ。俺はまた自力で戻らねばならない。お前は寂しいだろうが、辛抱してくれ」

『寂しいのはそっちでしょう』

「ばれたか。薄情者め。祟ってやる」

『縁起でもないこと言わないでください』

「冗談だ。祟ると言っても、せいぜい顔の目立つ部分におできが出来る程度だろう。心配するな」


 それもかなり困る。ただでさえこれから暑くなって、汗で顔がどろどろになるというのに。

 頼むから祟るのはやめてくれ、と思いつつ、私はやって来た電車に乗り込む。やがて走り出す電車の窓から、真剣な顔で追いかけてくる幽霊さんが見えたけど、すぐに置いていかれた。

 今生の別れじみたシチュエーションだけど、どうせすぐに会えるだろう。私は特に後方を見ることなく、スマートフォンを取り出した。

 尚、翌日おでこの結構目立つ部分に大きめのにきびが出来ていた。あの野郎。

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