嫉妬
「失礼します」
クエルはそう一言あいさつすると、講堂の中へと足を踏み入れた。いきなり天井近くにある、巨大なステンドグラスが目に飛び込んでくる。そこには世界を覆う世界樹と、その下に集う大勢の人々、王とその臣民が鮮やかな色で描かれている。
その七色の光を浴びながら、黒を基調に、金の刺繍をあしらった制服を身にまとった男女が、並べられた椅子に座っていた。席は最前列の一部を除いて、ほぼ埋まっている。
クエルは手と足が同時に出そうになりながら、自分の席を探した。それはすぐに見つかる。最後列の、それも端から二番目の席だ。この学校における、クエルの立ち位置を見事に表している。セシルとフリーダも、同様に最後列で足を止めた。
二人が隣であることに胸をなでおろしつつ、クエルはフリーダの為に椅子を引こうとするが、フリーダはフンと鼻を鳴らすと、自分で椅子を引いて腰をおろした。どうやらまだ相当に怒っているらしい。
セシルもクエルを無視して席に着く。クエルは心の中でため息をつきつつ、自分の席へ腰を下ろした。横に座ったフリーダが、胸ポケットから手帳を出すと、それに何かを書き始める。
「式が終わったら、色々と聞きたいことがあるから、逃げないでね」
クエルの方を見ないで差し出された手帳には、フリーダらしいきれいな字で、そう書かれてある。クエルが冷や汗をかきつつ前を向くと、そこには席が置かれておらず、ぽっかりと間が空いていた。
『どうしてだろう?』
クエルがそう思った時だ。背後から低い機械音が響いてくる。見れば、車いすに座った麻色の髪の少女が、そのぽっかりと開いた場所へ進もうとしていた。
「フローラさん?」
フリーダの呼びかけに、車いすを操作していた少女が顔を上げる。
「フリーダさん?」
「やっぱり、フローラさんよね!」
少女が顔をほころばせた。
「は、はい。人形省では大変お世話になりました」
「こちらこそお世話になりました。でも、フローラさんも選抜を受けていただなんて、ちっとも知りませんでした」
フリーダの問いかけに、フローラが首を横に振って見せる。
「いえ、選抜は受けておりません」
「では、どうしてここへ?」
「はい。兄が選抜の補欠合格の連絡を受けたのですが、試合で負った怪我がまだ癒えておりません。代理で私が出席させて頂くことになりました」
「代理と言うのはもったいない話ですね」
不意に凛とした男性の声が響く。同時にフローラの車いすが、少し癖のある黒髪の男性の手によって、席の位置へと進められた。
「マクシミリアン様……」
フローラの口から当惑の声が漏れる。少し癖のある黒髪に、黒い瞳を持つ長身の男性が、フローラへ笑みを浮かべた。その制服の着こなしはクエルとは段違いで、貴公子たる威厳に満ちている。
「フローラ嬢、ここは学校ですので、『様』は不要です。それにあなたのお手伝いをするよう、兄から言付かってもおります」
マクシミリアンはフローラの手を取って、その甲に口づけをする。
「ちなみに先ほどの言葉は、嘘偽りのない本心ですよ。個人的にはここに座っている大多数より、あなたの方が、人形師としての才能があると思っています」
そう告げると、マクシミリアンは立ち上がって、クエルたちの方を振り返った。その屈託のない笑顔のあまりのまぶしさに、男性のクエルでさえ、耳の後ろが熱くなりそうになる。
「フリーダさんに、クエル君もお久しぶりですね。こうして共に国家人形師を目指せることを、とてもうれしく思います」
今度はフリーダの前に膝まづいて、その手を取ろうとした時だ。フリーダとマクシミリアンの間に、一人の男性が進み出た。
「マクシミリアン殿、今日は誕生日会ではありませんよ」
金髪の少し童顔の男性が、にこやかな笑みを浮かべて見せる。クエルはその男性に見覚えがあった。フリーダの誕生日会に来ていた貴公子の一人だ。
「おや、フィリップ殿も遅刻ですか?」
立ち上がったマクシミリアンが、金髪の男性へわざとらしく首を傾げて見せた。会場にいる新入生の全員が、二人の貴公子に囲まれるフリーダを、じっとガン見しているのも見える。
「はい。マクシミリアン殿が兄上から色々とお話があったように、私も祖父から細々と注意を聞かされましてね。それで遅れそうになってしまいました」
そう告げると、フリーダに差し出されたマクシミリアンの手を見て、顔をしかめて見せる。
「それと露骨な点数稼ぎは止めてください。誕生日会ではクエル殿に、フリーダ嬢のエスコート役を譲りましたが、お二人にお譲りするつもりは、毛ほどもありませんからね」
「あ、あの……」
それを聞いたフリーダが、顔を思いっきり引きつらせる。だがそんなことはお構いなしに、フィリップは胸に手を当てると、フリーダへ淑女に対する紳士の礼をした。
「フリーダ嬢、本日はそのお美しいお姿を拝見できて、とても光栄です。国学の制服もよくお似合いですね」
「フィリップ殿、私の方が先にあいさつをしたので、私に優先権があると思うのだが?」
「基本的にここは競争の場ですよ。それとお連れの方が、お困りの様にお見受けしますが?」
フィリップはそう答えると、マクシミリアンの背後を指さした。そこには真っ黒な服を着た小柄な女性が立っている。その肌は日に当たった事がないと思えるほどに白かった。黒く長い髪と目に、そこだけ色がなくなってしまったようにすら思える。
少女はうつむいていた顔を上げると、フィリップに向かってゆっくりと首を横に振った。
「フィリップ殿、ご心配なく。彼女は決して何かに困ったりはしないよ。それよりも君の方こそ、とある方が困っているように思うのだけど、私の勘違いだろうか?」
マクシミリアンはおもむろに片手を上げると、講堂の後方を指さした。書類挟みを手にした、王都守護隊の制服を着た女性が、明らかに怒った顔で、こちらを睨みつけている。それを見たフィリップが苦笑いを浮かべた。
「確かに貴殿の言う通りですね。やっと解放されたと言うのに、おじい様からすぐに呼び出しを食らっては面倒です。残念ですが、自分の席へ着くことにしますか……」
そう告げると、フィリップはマクシミリアンと肩を並べながら、前列に置かれた椅子の方へと歩き出した。その横をマクシミリアンの後ろで、目立たぬように立っていた少女も通りすぎる。少女がちらりとクエルと、その横に座るセシルの方へ視線を向けた。
ゾク!
その瞬間、クエルの背中に何とも言えない、悪寒のようなものが走った。ステンドグラスの光のせいか、その目が一瞬だけ赤く光った気もする。
『気のせいだろうか?』
クエルは頭を振った。だが気のせいとも思えない。それにこの心臓を誰かの手でつかまれた様な気分は、前にも感じたことがある。
『マスター……』
不意に頭の中に声が響く。
「セシル?」
『マスター、声を出すな。我はマスターの人形だぞ。マスターが考えるだけで我に伝わる』
『ちょっと待て。僕の考えは全てお見通しと言う事か!?』
『マスターが
『あのな!』
『冗談だ。我とてマスターの思考の全てが読めるわけではない。まだ読めないのだ』
『永遠に読まなくていい!』
隣に座るセシルがため息をついた。
『マスター、それでは生き残れない。精進するのだ。それよりもマスターも感じたか?』
『さっきの女の子か?』
『女の子? 何を言っている。あれは我と同じだ』
その言葉にクエルは驚いた。
『と言う事は、あの子も人形なのか!?』
『間違いなくそうだ。人形師にどんなに力があろうとも、化身を定着するのは無理なはず。我とてこの器があってこそだが……』
セシルの問いかけに、クエルは心の中で頷いた。
『人間そっくりに動く人形を作れたのは、父さんだけのはずだ。と言う事は、彼女を作ったのは父さんなのか?』
『分からぬ。マスターの
『なぜだ? どうしてそれが分かるんだ?』
『我を何だと思っている。世界樹の……』
『世界樹の化身たる深淵さだろう? でも見ず知らずの僕らに悪意を持つ理由は?』
『あれは我に嫉妬しているのだ』
『はあ? もし彼女が人形だとすれば、マスターはあのマクシミリアンだぞ。どうして僕らに嫉妬なんてするんだ?』
『我には分かる。マスター、気をつけろ。人形の嫉妬は人のそれよりも深いぞ。それについては我とて同じだ』
そう告げると、セシルはじっとクエルを見つめた。そして隣に座るフリーダへそれを向ける。クエルはその視線の冷たさに恐れおののきつつ、大きくため息をついた。
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