予定変更

 初冬の木漏れ日の中、フリーダは先導する係員の後ろについて歩いていた。辺りは深い森になっており、どこにも人の気配は感じられない。


 フリーダの背後にはギガンティスもその巨体を揺らしつつ続いている。道の幅は十分にあったが、垂れ下がった枝がギガンティスの頭に触れそうな時があり、その都度、大きな体を屈めないといけない。


 広いところで試合をやらせてもらえるならいいけど、もしこの森の中でやれと言われたら、かなり面倒なことになる。そんなことを考えながら、フリーダは迷子にならぬよう係員の背中を見つめた。


 フリーダを先導する係員はまだ若い女性で、そう年が離れているようにも思えない。だけどピンを使って巧みに結い上げた髪型や、その下の白いうなじを見ていると、自分よりはるかに大人の女性に思えてしまう。


 フリーダはポニーテールにまとめただけの自分の髪へ手をやった。これはこれで動きやすくて好きなのだけど、やはり子供っぽい気がする。自分もそろそろ髪を結い上げるべきだろうか?


『クエルは何と言うかな?』


 フリーダはそれを見た時のクエルの顔を想像する。少しは大人の女性に見えるぐらい、言ってくれるだろうか?


 いや、きっとクエルのことだ。単に、「髪型を変えたね」ぐらいしか言わない。フリーダはその場面を想像して頬を膨らませた。そう言えば、クエルは大丈夫だろうか……。


 どこかで迷子になっていないか心配になってくる。クエルは基本的には慎重な質なのだが、興味があるものに出会うと、何かとそれに気を取られ易い。


「何か気になることでも?」


 前を行く係官がフリーダの方を振り返った。考え事をしているうちに、少し距離が開いてしまったらしい。フリーダは慌てて先を急いだ。


「申し訳ありません!」


 女性は追いついたフリーダに小さく頷いて見せると、森の奥へ向かって再び歩き始めた。


「試験会場は少し遠い場所ですが、もう少しですので――」


 係員が前を歩きながら、フリーダへ声を掛けてきた時だ。急に言葉を切ると、背後を振り返った。フリーダの耳にも、誰かがこちらへ近づいてくるのが聞こえる。


「ちょ、ちょっと待って」


 フリーダがギガンティスの横から背後を覗くと、係員とそう年の変わらない若い女性が、こちらへ走ってくるのが見えた。


 フリーダ同様にポニーテールにまとめた黒髪が、本物の馬の尻尾みたいに揺れている。だがその姿を見た係員は、背筋を伸ばすといきなり敬礼をして見せた。


「はい、副団長!」


 その台詞に、フリーダも慌てて敬礼をする。


「忙しいから堅苦しいのは抜きよ。それよりも、試合予定の変更があるの」


 相当に急いで駆けてきたらしく、女性は係官の前で大きく息を吐きながら告げた。そして敬礼するフリーダの方を薄い紫の目でちらりと見る。その左側で水色の水晶が午後の日差しを受けて光った。


 水色は父親のギュスターヴよりは下だが、宮廷人形師の一歩手前の階級だ。こんな若い女性がその階級にいることに、フリーダは驚いた。


「どのような変更でしょうか?」

 

 係官が敬礼をしたまま女性にたずねた。


「フリーダさんの対戦相手の変更よ。合わせて試合会場も変更になります」


「了解しました!」


「午前中に誰かが暴れたせいで、途中棄権が相次いでいるのよね。おかげで組み合わせを決めるだけでも、それはもう大変な騒ぎよ」


 その冷たい視線に、フリーダは思わず数歩下がりそうになる。


「それとフリーダ・イベールさんの先導と判定は私が担当します。なのであなたは本部へ帰還してください」


「あ、あの、副団長自らでしょうか?」


「そうよ。何か問題でも?」


「し、失礼いたしました!」


 係官は手にした書類ばさみを女性へ差し出すと、全速力で去っていく。


「もう、やっとイフゲニアから奪ってやったのに、こんな面倒事を押し付けられるだなんて……」


 フリーダの耳に、新たに係官になった女性のブツブツとつぶやく声が聞こえてくる。


「結局、やっていることは同じじゃないの。あのエロガキのわがままも大概に……」


 そこまで口にしてから、女性は書類から顔を上げた。そこで敬礼をしたままずっと立っているフリーダを見ると、きまり悪そうに「コホン!」と小さく咳をして見せる。


 自分同様、心の声が漏れるタイプなのかもしれない。フリーダの中で、この女性指揮官への親近感がわいてくる。


「楽にして。私は王都守護隊で副団長の一人を務めています、アイラ・ディエスです。今回、あなたの先導役と判定官を務めます」


 その言葉に、フリーダは彼女が若くても指揮官の地位にいる理由の一つが分かった。ディエスはチェスター家に連なる分家の一つで、御三家に準じる家柄だ。


「フリーダ・イベールです。どうかよろしくお願いします」


 フリーダはアイラに対し、深々と頭を下げた。顔を上げると、アイラがフリーダの頭のてっぺんから足の先までをじっと眺めている。理由はよく分からないが、何かを値踏みしている感じだ。


「では、時間がありません。急ぎますよ」


 そう言うと、森の間の小道をかなりの速度で走り始める。フリーダは前をいくアイラのポニーテールが揺れるのを見ながら、自分のポニーテールも揺らしつつ、その後姿を必死に追いかけた。


 かなりの距離を走ったのち、前を行くアイラがやっと足を止めた。フリーダも足を止めると、肩で息をしつつ額から流れ落ちる汗をぬぐう。アイラはと言うと、ハンカチで軽く汗を拭いてみせただけだ。


「では試合会場に入ります」


 顔を上げたフリーダに、アイラが告げる。


「あ、あの?」


 フリーダは思わずアイラに問いただした。フリーダの目の前には、背の高さの二倍ほどもある薔薇の藪がそびえているだけだ。そのところどころで、秋バラの名残の赤い花がわずかに咲いている。


 アイラはフリーダの問いかけを無視すると、藪へ向かって近づいた。そして地面に隠れるように置いてあった小さなハンドルに手を伸ばす。


「もう、ほんと面倒……」


 そうぼやくと、ハンドルをぐるぐると回し始めた。


「分かっているとは思うけど、私からの指示は絶対です。それはこの試合の間だけではありません。試合が終わった後もです。なお、この件について例外はないと思ってください」


 立ち上がったアイラがフリーダに告げる。指揮官らしく、有無を言わさぬ口調だ。


「はい、副団長閣下!」


 フリーダがそう答えた時だった。


 ザワザワザワザワ――。


 目の前の藪から、まるで小人たちのささやき声のような音が聞こえた。同時に藪がまるで生き物みたいに動き出す。


「こ、これは!?」


フリーダがそう声を上げている間にも藪は動き続け、その中にギガンティスでも通れるくらいの一本のトンネルが姿を現した。


「面倒な質問は後にしてください。この先が実技試験の会場になります」


 そう言うと、アイラは薔薇のトンネルの先へと進んで行く。フリーダもアイラに続いて通路を進んでいくと、砂を固めて作ったらしい運動場のような場所に出た。


 その周囲は薔薇のツタがはった石壁で囲まれており、古い神殿みたいな趣すら感じられる。


「お待たせしました。これから試合について――」


「フリーダお嬢様、再びお会いできて光栄です」


 アイラの声を遮って、よく通る男性の声がフリーダの耳に響き渡った。

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