余興

『なぜ動ける!』


 人形師の意識は奪ったはずだ。だが大蛇は動き続けている。クエルはその動きに戸惑った。


『思い出せ。やつを動かしているのは、そこに倒れている男ではないぞ!』


 夕刻の黄色い光を浴びながら、巨大な鉈が迫ってくる。しかしセシルはじっと大蛇を見つめるだけで、動こうとしない。


 ドン!


 その時だ。空から何かが降ってきた。サラスバティの幅広の剣だ。剣は大蛇の尾の先端へ突き刺さると、鉈の動きを止めた。


 ドン、ドン、ドン!


 剣は次々と大蛇へ突き刺さり、丸太みたいな体を地面へ縫い付けていく。最後に踊り子の姿を模した人形がセシルの前へ舞い降りた。


 剣を手にしたサラスバティが、素早く体を回転させる。次の瞬間、大蛇の尾から巨大な鉈が千切れ飛んだ。


『これで終わりだ――』


 セレンの声が頭に響く。クエルはそれに同意しながらも、心の中に焦りを感じていた。


 セレンはサラスバティの舞で相手の注意を奪い、セシルの身を使って隙をついた。さらにまだ相手が動く事を予測して、今度はセシルを囮にし、サラスバティの速攻でとどめを刺している。


 見事としか言いようのない作戦だ。自分は人形師として、人形のセレンの足元にも及んでいない。クエルが自分へのため息をついた時だ。不意に言い様のないおぞましさが、心の底から湧き上がって来た。


 それに視界の中で、何かが赤く光った気もする。慌てて周囲に注意を向けると、大蛇の左目がぼんやりと赤く光っていた。人形の核はまだ動いている。その反応だろうか? いや、違う!


『やつだ!』


 そこから黒い霧が吹き出して来るのを見て、クエルは叫び声を上げた。その光はセレンと融合した日に見た、ピエロの右目の光と色こそ似ていたが、全くの別物だ。あの日に感じた温かさなどではなく、妬み、恨み、怒り、人の抱く負の感情の全てに満ちている。


『マスター、穢れがくるぞ。己の意識をしっかり保て!』


 セレンの警告が頭に響く。大蛇は黒い霧に引きずられるように体を動かすと、突き刺さった剣をはじき飛ばした。


 サラスバティが手にした剣でそれを払いのけようとする。だが大蛇の突進に、剣だけでなく、サラスバティの体までもが跳ね飛ばされた。


『セシル、逃げろ!』


 クエルはそう声を上げたが、大蛇の体が壁になり、逃げる場所などなかった。体を起こしたサラスバティが、蛇へ追いすがろうとするが、その頭へは届かない。


 大蛇は口を大きく開くと、そのままセシルを飲み込もうとする。しかしセシルは身をかわす事なく、大蛇へ向けて右の拳を差し出した。


『逃げろ!』


 そんな拳一つでどうにか出来る相手ではない。クエルは無意味と知りつつ、侍従服姿の少女に向けて、この場にない手を必死に伸ばした。


 バタン!


 不意に大きな音とともに、辺りに土埃が舞う。茶色く見える視界の先で、大蛇の体が力なく地面へ横たわっていた。あの黒い霧はどこかへ消えており、左目に見えていた不気味な赤い光も見えない。


『なにが起こったんだ……』


『向こうがやめたのだ』


 セレンが答えた。その声はどことなくつまらなさそうに聞こえる。


『やめた?』


『目的を達したのだろう。そんな事はどうでもいい。今はマスターの精神力の回復こそが最優先だ。マスター自身は気が付いていないだろうが、お前の精神力は相当に消耗しているぞ』


『僕が?』


 クエルは心の中で首をひねった。先程の黒い霧への恐怖感は残っているが、森で襲われた時のような虚脱感は特に感じられない。


『距離が離れていることで、我とのつながりを維持するのに使う精神力は常の比ではない。それは我も同じだ。加えて今はサラスバティとのつながりも維持している』


 セレンの言葉に、クエルはさらに首をひねった。調子はと聞かれれば、今が一番問題ない気がするぐらいだ。


『何も感じない? そう思っているだろう。それこそが駆け出しの人形師が陥る罠だ。お前の中の興奮がお前自身を狂わせている。それにこれは見世物だ。相手があそこでやめたのも、見物人たちに見られたくなかっただけなのかもしれぬ』


 「見世物」、その言葉にクエルはハッとした。


『ジェームズさんもそう言っていた。一体どういうことなんだ?』


『娯楽、刺激。まあ、そんなところだろう。マスター、お前もそれを感じているはずだ』


『感じる? 僕が!』


 クエルはセレンの言葉に戸惑った。


『今は怖さの方が上だろう。だが次第にこの刺激が快楽となり、それ無しではいられなくなってくる。力ある人形師ほど、強い相手を求めたがる理由だ』


 セシルは地面へ落ちていたサラスバティの腕を拾い上げた。それを空へ掲げて見せる。


『我ら人形の手足がどれほど吹き飛ぼうが、人形師自体の命には何の関係もない。これを最高の娯楽と呼ばずに、何を娯楽と呼ぶのだ? さらに人形が壊れる姿だけで満足できなくなれば……』


『僕ら駆け出しの人形師が倒れる姿を見たくなる……』


 クエルはセシルが頭に映し出す視界の中で、周囲を見回した。人形の目をもってしても、どこからこちらを見ているのか分からない。だが自分の試合の時に感じたのと同じ気配を感じる。


『それが自分たちの目の上のたんこぶだった者の息子なら、なおさらだろう』


『ふざけるな!』


 自分の心の奥底からどす黒い何かが湧き上がってきた。でも何かがクエルの心をそっと抱きしめる。


『セレン……』


『そう思うのなら、まずは己の力をつけろ』


『分かった』


「ふう――」


 セシルはクエルの意識が去ったのを確認すると、大きくため息をついた。背後では扉を上げる鎖の立てる、ガチャガチャと言う耳障りな音も響いてくる。


『せっかくお前の舞の結界で、正体を確かめられると思ったのに残念だ。あそこで引くとは、相手の人形師はなかなかに手強い』


『はい。セシルさん。ですが、私が直接にマスターとつながっても良かったのですか? 前に――』


『あれは我のわがままに過ぎない。マスター自身の事柄と、どちらを優先すべきかは明らかだ。だがなぜだ? マスターのお前をみる目は間違いなく男の視線だったぞ』


 そう告げると、セシルは自分の侍従服へ顔を向けた。


『おかしい。これが一番だったはずだ。どこで間違えた?』


 そう告げると、今度は背後に立つサラスバティを忌々しそうに眺める。


『少しでもマスターを誘惑してみろ。お前の核を石臼で惹いて、庭の雑草の肥料にしてやる』


『はい。セシルさん。肝に命じておきます』


 セシルはサラスバティの返事に頷くと、足元に倒れるミゲルを見ながら、フンと鼻を鳴らして見せる。逸れに答えるように何処かでふくろうが「ホー」と小さく鳴いた。




 天幕の中に敷かれた黒い敷物の上に、小柄な少女がひざまずいている。その髪と肌は骨の様に白い。


「おのれ!」


 少女の口から低く重い声が響いた。その見かけとは異なり、気の弱い者が聞いたら、それだけで気絶しそうなほどの殺気に満ちた声だ。その手が真っ白な額へと当てられる。


 当てた手の細く長い指の隙間から、一筋の真っ赤な血が流れ落ちていった。それは色のない世界へ、一本の赤い線を引いたみたいに見える。


「許さぬ!」


 再び声が漏れ、その左目が大きく見開かれた。そこに見えるのは血の色よりも赤い瞳だ。その赤い瞳で、どこか遠くを見つめながら、少女がその顔をニヤリとゆがめた時だった。


「不知火」


 天幕の中に男性の声が響いた。その声に、少女はどこか遠くから、目の前に座る人物へ視線を向けた。


「我が君……」


「不知火、よくやった」


 男性は立ち上がると、少女の体をその腕へと抱き上げた。そして血のついた手へ口づけをする。


「ああ我が君――」


 その顔を、少女がうっとりとした表情で眺める。


「これはちょっとしたにすぎない。それに兄上も十分に満足したことだろう」


「ですが、このままにしておくわけにはいきません」


 そう声を上げると、少女は忌々しそうに唇の端を噛んで見せる。


「あれの力がお前の足元に及ばぬこともはっきりした。お前のかけら相手ですらあの程度なのだ。それにあの場にいたものへ、お前の力を示すのは得策ではない。お前の力は私の為にあるのだからな」


「はい、我が君。不知火は我が君に、この世界を捧げるためにここにおります」


 不知火が自分に添えられたマクシミリアンの手を、さも愛しそうに頬ずりしながら答えた。


「それでよい。それにやっと出番のようだ」


 そう言うと、マクシミリアンは少女を地面へ下して、天幕の外へと視線を向けた。布越しに、誰かがこちらへと近づいてくるのが見える。


「マクシミリアン・ローレンツさん。お待たせしました。試合会場へご案内いたします」


「では自分の試合とやらに戻るとしよう」


 そう告げると、マクシミリアンは三つ指をついて頭を地面につける不知火を背に、天幕の外へと出ていった。

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