「逃げ足だけは早いな」


 ミゲルはそう声を上げると、セシルを見ながらニヤリと笑って見せた。その周りを大蛇が円を描く様にぐるぐると回っている。その動きに合わせて、尾に備えられた巨大な鉈が、午後の日差しを浴びて光り輝やいた。


『どうやって攻める?』


 その姿を見ながらクエルは考えた。あの鉈の一撃を食らえば、サラスバティの体は真っ二つだ。その牙に捉えられても同じことだろう。


『マスター、向こうが守勢を保っている限り、こちらから攻めるのは難しいぞ』


 セレンの言葉にクエルも同意した。森で襲われた時の様に、こちらへ突っ込んできてくれればまだ隙を狙うことが出来る。だけどこのように守勢を取られると、全く持って攻め手が思い浮かばない。


 サラスバティの強みは素早さと柔軟性だ。だが全方位に防御ができる相手だと、その強みを発揮するのは難しい。


『こちらで隙を作って誘い込むか? ともかく動いて相手の隙を――』


『マスター、お前はサラスバティを、単に動きが速いだけの人形だと思っていないか?』


 セレンの声がクエルの思考を遮った。


『お前は友人が人形に込めた力の本質を、全くもって理解できていないようだな』


『えっ!?』


『あの人形技師もマスター同様、まだまだ駆け出しだが筋は悪くない』


『速さや、柔軟性じゃないの?』


『もちろんだ。お前はサラスバティをなんだと思っている。サラスバティの本質は祈りだ』


『祈り?』


 セレンの台詞にクエルは戸惑った。だけどすぐに、スヴェンがサラスバティを見せてくれた時の言葉を思い出す。


『大人の仲間入りが出来たことを、天国の母さんへ見せたかったんだ』


 そうだった。セレンの言う通り、スヴェンがこの人形に込めたのは母親への祈りだ。人であり、親友でもある自分が、それに気づかずにいたなんて……。


『それがサラスバティのもっとも強力な属性、舞に通じている』


「どうした? 黙って見ているだけか?」


 クエルがセレンへ舞とは何かを問いかける前に、ミゲルの声が聞こえた。見ればミゲルは大蛇の描く円の中心で、うんざりしたように肩をすくめている。


 その表情は前と同じように、軽薄な笑いを浮かべてはいたが、こちらを見る目は全く違う。濁った目がセシルを冷静に眺めている。


『行くぞ!』


 クエルはセレンに頷いた。セレンやサラスバティと共にこれを倒すには、先ずは自分がサラスバティを信じないといけない。そう決意すると、クエルは己のすべきこと、サラスバティとのつながりに精神を集中した。


 次の瞬間、クエルの意識が暗闇に包まれる。やがて小さく淡い光が目の前に現れた。その中で小柄な少女がこちらへ頭を下げて、ひざまずいているのが見える。


『サラスバティ……』


 クエルの呼びかけに少女が顔を上げた。黒い肌に漆黒の目。まるでそれ自体が黒曜石で出来ているみたいな黒髪が、どこかから吹き込んでくる風に僅かに揺れている。


『僕らのために、そしてスベェンのために舞ってくれ』


『はい。マスター、仰せの通りに――』


 クエルの意識に視界が戻ってきた。今度のそれはサラスバティのものではなく、セシルの視界だ。その先でサラスバティの指先が、ゆっくりと動き出した。続いて衣装を風になびかせながら、その腰を回し始める。


 その繊細な動きに、クエルはいきなり目を奪われた。生きた本物の女性と同じ、いや、それよりもはるかに妖艶に見える。


「娼婦の人形はやはり娼婦か……」


 相手のこちらを侮る声が聞こえてきた。だが言葉とは裏腹に、その目はまっすぐにサラスバティを見つめている。


 シャリーン!


 クエルの耳に、サラスバティが腕にする金属の輪の奏でる音も響いてくる。その響きに合わせて舞うサラスバティの姿が、先ほど見た黒髪の少女と重なった。


 それはまだ幼く見える少女の姿ではあったが、艶めかしいとしか言いようのない舞に、クエルは思わず自分の中の男を意識してしまう。


『マスター、お前が魅了されてどうする?』


 セレンのあきれた声に、クエルは我に返った。


『ぼ、僕は――』


『舞の力をなめるな。それは相手の意識を奪うものだぞ』


 セレンの言葉にクエルはうなずいた。その通りだ。いつの間にかその動きから目が離せなくなっていた。


『でも人形相手に通じるのか?』


『もちろんだ。我ら人形にも意識はある』


 そう告げたセシルの視界が動いた。驚いたことに、明らかに相手の人形へと向かっている。


『セレン、何をするつもりだ!』


『我ら人形にとって、最大の弱点は何だ?』


『僕ら人形師?』


『そうだ。我の化身で相手の隙をつく』


 クエルの目の前に大蛇の人形が迫る。激しく円を描いて動くそれは、まるで壁のようにしか見えない。しかもその周囲を、大きな鉈が高速に回っているのだ。


『ちょっと待て、いくらなんでも無茶すぎる!』


 しかしセレンはクエルの叫びを無視すると、セシルの体を大蛇へ向かって飛び込ませた。


『まずい!』


 横から刃が迫ってくるのが見える。思わず目をつむりそうになったが、セシルの体は刃を飛び越えて宙を舞った。その手にはいつの間にか棒のようなものが握られている。どうやらそれを杖代わりに使って飛んだらしい。セシルの体は小鳥のようにミゲルの前へと舞い降りた。


「ミゲル様――」


 セシルの声に、やっとその存在に気が付いたらしいミゲルが、慌てて顔を上げる。


「貴様!」


 ミゲルは何か言葉を続けようとしたが、セシルは手にした棒のようなものを下からミゲルめがけて振り上げた。よく見れば、それは切り落とされたサラスバティの腕だ。それが低く鈍い音と共に、ミゲルのあごへ激突した。


 金髪の長髪を揺らしながら、ミゲルの体が崩れ落ちていく。それに合わせて、周囲を回る大蛇もその動きを止めた。


『勝った……』


 クエルの口から安堵のため息が漏れる。そしてサラスバティの方へ意識を向けた時だった。


『マスター、まだだ!』


 セレンの叫び声が聞こえた。慌ててセシルの視界へ意識を戻す。その目の前で、大蛇がゆっくりと鎌首を持ち上げるのが見えた。

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