合流
セシルの視界の中で空と大地が入れ替わった。青く澄んだ初冬の空が目の前に現れる。次の瞬間、それは地面から舞い上がった砂埃に茶色く染まった。
ドン!
大蛇の尻尾の風圧に跳ね飛ばされた体が、背中から大地へ打ち付けられる。セシルはその衝撃に顔をしかめたが、素早く体を回転させると立ち上がった。
地面に転がってなどいれば、すぐに体を真っ二つにされる。妖艶な女神の姿をした人形が、セシルの身を庇うように前へ立ちはだかった。
その四本ある腕の一本は肘から先が失われており、もう一本はワイヤーで繋がってはいたが、まるで時計の振り子のように肘の先で揺れている。
サラスバティは握っていた幅広の剣を振り上げると、ただぶら下がっているだけの腕を切り落とした。
「二本目だ!」
砂埃の向こうから声が上がる。木枯らしが砂埃を吹き払うと、その向こうから金髪の簡礼服姿の男と、大蛇を模した人形が姿を現した。
「もう逃げ場はないぞ!」
ミゲルの声が背後の石壁へ反響する。男の言う通り、数歩後ろにはセシルの身の丈より遥かに高い石壁が続いている。しかしセシルはミゲルの台詞に動揺することなく、侍従服の砂埃を払うと、その裾をピンと伸ばして見せた。
「どうした、今更ながらの命乞いか?」
「侍従にとって、身だしなみは大事です」
「何をいっている?」
「掃除も大事な仕事です。それを生業とするものから言わしていただければ、ミゲル様の心はだいぶ曇っていらっしゃるようです」
「恐怖におかしくなったか? 興ざめだぞ」
「おかしくなったのはミゲル様の方かと思います。いや、別の何かに変わられたと言った方がよろしいでしょうか?」
セシルの台詞に、ミゲルがニヤリと笑って見せる。
「アマリア!」
ミゲルの声に、大蛇が長い体をぐるりと回転させた。同時に尾の鋭い一閃が、サラスバティとセシルへ向かって放たれる。
ガキン!
再び舞い上がった砂埃の先で、大きな金属音が上がった。セシルは大蛇によって砕かれた石片の雨の中を、サラスバティの腕に抱かれながら移動する。その動きは先程までとは違い、飛び交う石片が止まって見えるほどに早い。
『サラスバティ、よく耐えた。もう何も遠慮はいらぬ』
セレンは石壁に沿って移動するサラスバティへ声を掛けた。
『はい。セシルさん。ここからですね』
『そうだ。彼がきた。我らのマスターだ!』
『セレン、答えろ、セレン!』
クエルは繰り返しセレンへ呼びかけた。
『どうしたマスター、我がいなくてさみしくなったか?』
セレンの声が頭に響く。そのいつもの口調にクエルは安堵した。
『ああ、そういうことにしておくよ。僕らは二つにして一つだ』
『ふふふ、少しは人形師らしくなってきたな』
不意にクエルの意識の中へ、土埃の舞う競技場が現れた。
『ここは?』
『我を通じて繋がっているサラスバティの視界だ』
その言葉に辺りを見回すと、サラスバティの腕に抱かれているセシルの姿が見える。だが何かがおかしい。腕の二本の肘から先が失われている。
『う、腕がない!』
『マスター、全てはお前のせいだぞ!』
『僕のせい!?』
『そうだ。マスターが並行思考を少しでも操れれば、何の問題もなかったのだ』
『そ、それは……』
『まあ、相手が少しばかりやっかいなのも事実だがな』
「アマリア!」
どこかで聞いた名前が耳に響いた。引き延ばされた時間の中、ゆっくりと動く土埃の先で、黒く太い管が動いている。それが鎌首を持ち上げるのが見えた。もちろん管などではない。人形だ。
『これは一体!?』
クエルは思わず叫んだ。どう見ても、サラスバティを封印していた大蛇の人形と瓜二つの姿をしている。大蛇は砂埃の中を高速に移動するサラスバティを捉えきれずにいるらしく、円を描く様に動いていた。その中心に、簡礼服を身に着けた金髪の男が立っている。
『そうだ。森で襲ってきた
『でも、あの人形は――』
間違いなくセレンによってバラバラにされたはず。セレンは術で融合することなく、世界樹の実を支配していると言っていたが、別の世界樹の実で似た人形を用意したのだろうか?
クエルは耳を澄ました。だが前には聞こえていた世界樹の実の悲痛な叫びは、この人形からは何も聞こえてこない。その代わりに、何とも言えない違和感を感じる。
『今度の人形は本物なのか?』
クエルはセレンに問いかけた。
『分からぬ……』
セレンの口ぶりがいつもと違って歯切れが悪い。きっと何かある。クエルは大蛇の人形へ意識を集中した。
『あ、あれはなんなんだ!?』
クエルは自分の意識に浮かび上がってきたものに当惑した。人形全体に黒い靄が渦巻いているのが見える。
『閥族の使う術か?』
クエルは最初そう思った。その靄はミゲルの方へも渦を巻きつつ伸びている。だがどう見ても、靄は操り人形の糸の如くミゲルの手足にからみついており、ミゲルの方が操られているようにしか見えない。
『マスター、お前にもあれが見えるのか?』
セレンの問いかけに、クエルは心の中で頷いた。この場に自分の体は存在しないはずなのに、得体のしれない悪寒に体が震えてくる。
『穢れだ。それがあのミゲルと言う男を操っている』
『操るって、人形が人を操っているのか!?』
どうやらこちらを見つけたらしいミゲルが、口の端を持ち上げた。その姿は森の中で出会った時の傲慢な態度と同じだ。だがサラスバティの意識を通じて見ると、その全てが芝居かかっているように思える。
『つまり、人形に取り込まれているのか?』
『そうだな。そうとも言える』
『ならば、助けないと!』
『マスター、お前は何を言っているのだ?』
『どんな人間だろうが、あんなものに支配されていい道理はない』
『それは不可能だ。あの男の魂はもうこの世界には存在しない。あるのはただの抜け殻だ』
『手遅れなのか……。穢れと言ったな、あれはいったい何なんだ?』
『思い出せぬ……』
『はあ?』
『思い出せぬのだ!』
『いつもの世界樹の実の深淵たるとか言う台詞は何なんだ?』
『マスター、お前は世界樹の化身たる我を馬鹿にしているな? お前が真剣に同期をすれば、この程度のことはすぐに思い出す!』
『僕はいつだって真剣だぞ!』
『そうか? マスター、お前ももう大人なのだろう。ならば男女の親密さの先には何があるかぐらい、既に知っているはずだ』
『ちょっと待て、それと同期の真剣さと何の関係が――』
『まあよい。いずれマスターが力を蓄えれば、我の力も増す。それよりも今は――』
『そうだ。サラスバティと共にあれを倒す!』
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