初勝利

『セレン!』


 クエルは心の中で叫んだ。自分の意識が、セレンと見えない何かで結ばれたのが分かる。次の瞬間、時間の長さが引き延ばされ、クラウンの動きが線画のように見え始めた。セシルの言う通り、セレンの声は聞こえてこないが、そのつながりは維持できているらしい。


 クラウンの両手からナイフが放たれた。クエルは飛んでくるナイフへ意識を集中する。さらに時間が引き延ばされ、それがセレンの核へ向けて、ゆっくりと回転しながら飛んでくるのが見えた。


 クエルはセレンの体を横にして、紙一重でそれを避ける。同時に、自分の体がクラウンの射線の陰になる位置へセレンを動かした。


「悪いな、坊主。これが大人のやり方……」


 ジェームズの得意げにしゃべる声が聞こえてくる。だが帽子のつばを持ち上げて、セレンの方へ視線を向けると、その顔を一気にこわばらせた。


「おい、ちょっと待て!」


 ジェームズの口から驚きの声が上がる。


「今のは完璧な奇襲のはずだ。それに駆け出しの人形師だろう。格闘ならまだしも、飛び道具の相手なんて、まともに出来るはずない!」


 そう告げると、両手で頭を抱えて見せる。その拍子に、帽子が地面へ落ちたのにも気づいていない。クエルとしてはサンデーの相手をするのに比べたら、真っ直ぐ飛んでくるナイフを避けるぐらい、何の問題もなかった。


「偶然か? これならどうだ!」


 再びクラウンが腕を上げる。クラウンの手には四本のナイフが収められていた。両手を合わせれば八本だ。それが再び宙へ放たれる。今度は直線ではなく、回転しながら円を描いてセシルへと向かってきた。


 前後左右、どちらへ避けてもどれかが当たるだろう。上へ飛べば全てを避けることが出来そうだが、間違いなく相手の罠だ。次のナイフで着地の瞬間を狙われる。


 クエルは先手を打つべく、セレンの腕を振った。素早く動いた腕の起こす風が、ナイフの軌道を僅かに変える。続けてセレンが体を反らすと、全てのナイフはセレンに触れることなく、背後へと飛び去った。


 ガキン!


 的を失ったナイフが石壁へ当たり、耳障りな音を立てる。それを見たジェームズが、今度は呆気に取られた顔をした。


「坊主、お前はただのボンボンじゃないな。しかも実戦向けに鍛えられている。何者なんだ?」


 そう告げたジェームズが、クエルへ向かって両腕を無防備に上げた。背後にいるクラウンも、両手を天に向けて万歳の姿勢になる。


「降参、降参だ。本同期ができるやつ相手に勝てる訳がない。それにクラウンを壊されたりしたら、明日から飯が食えなくなっちまう!」


 ジェームズは万歳の姿勢のまま、辺りを見回した。


「おい、聞こえているだろう。降参だ。坊主の勝ちでいい。こちらからはもう仕掛けない。それに坊主は無抵抗の者をなんとかする玉じゃないから、単に時間の無駄だぞ!」


 ガラガラガラ!


 ジェームズの背後で扉の開く音がする。姿を見せない審判官はジェームズの降参と、クエルの勝ちを認めたらしい。ジェームズは地面へ落ちていた皮の帽子を拾うと、ついた砂埃を手で払った。


「坊主、あの子を大事にしろよ。その人形もだ」


 そう告げると、背中越しに手を振りつつ、クラウンと一緒に扉の向こうへと去っていく。クエルはその後ろ姿を呆然と見つめた。


 クエルの背後でも扉の開く音がする。振り返ると、石壁に偽装された扉が持ち上がっていくのが見えた。その通路の先に、王都守護隊の制服を着た女性が立っている。イフゲニアだ。木々の間から差し込む光に、オレンジ色の髪がまるで炎みたいに光り輝いている。


 その手招きに、クエルはまるで糸で引き寄せられるが如く、通路へ向けて歩き出した。


「お疲れ様。それに初試合での初勝利おめでとう」


 目の前に立つクエルへ、イフゲニアが声を掛けてくる。だがクエルの表情を見ると、わずかに小首をかしげて見せた。


「どうしたの? あまりうれしそうには見えないけど?」


「僕は本当に勝ったのでしょうか?」


「フフフフ――」


 クエルの台詞を聞いたイフゲニアが、口に手を当てて笑って見せる。


「相手が万歳して降参したのよ。それを勝ちと言わずに、何を勝ちと言うの?」


「譲られただけな気がします」


「ハハハハ!」


 クエルの答えに、イフゲニアが今度は遠慮なく笑い声をあげた。


「それに――」


「それに何?」

 

 途中で口ごもったクエルへ、イフゲニアが興味深そうに問いかける。


「見ていたなら分かると思います」


 クエルは少し後悔しつつも、イフゲニアへ答えた。その口ぶりを聞く限り、彼女が試合をどこかから見ていたのは間違いない。ジェームズは見世物だと言っていた。彼女以外にも試合を見ていた人はいるのだろうか?


 イフゲニアはクエルの顔をじっとのぞき込むと、口元へ意味深な笑みを浮かべて見せる。


「勝ちを譲ったと言う点ではその通りね。でも彼としてはそうせざる負えなかったのだから、勝ちは勝ちよ。むしろ兵法で言えば、一番理想的な勝ち方かしら。強者の勝利ですもの」


「どういう意味でしょうか?」


「どんな手段を取ろうとも、相手に勝てないことを理解させる。それが強者の勝利よ。血も流れないし効率もいい。私たち軍の理想もそれ」


 そう言うと、イフゲニアは自分の制服の胸元にある、盾を模した軍章を指さした。


「勝てない。そう思わせることが大事なの。もっともそれが全く理解できない、理解する気のない狂信者たちはいるけどね」


 イフゲニアは東領の流民たちの事を言っているのだろうか? そんな事を考えながら、クエルは口を開いた。


「僕のどこが――」


「本同期が出来る。流石はお父さんの血を引いているわね。あなたにとっては特別なことではないのかもしれないけど、私たち人形師の中で、それが出来る人はほとんどいないの」


 そう告げたイフゲニアが、少し怪訝そうな顔をして見せた。


「それを理解している人がほとんどいない、と言うのが正しい言い方かしら。そう言う意味では、彼もあなた同様にではないわね。本同期の事を知っているし、それにあなたが本同期を使えることもすぐに分かった」


「本同期って――」


「人形との間の真の信頼関係、そう言われている。正直なところ、それが普通にやっているあなたがとてもうらやましいわ」


「二つにして一つ……」


 クエルの口から思わず言葉が漏れた。同時に、クエルはセレンが別の場所で、セシルとして試合をしていることを思い出す。


『セレン……』


 クエルは心の中でセレンへ呼びかけた。何も答えは帰ってこないが、セレンとの繋がりはまだ感じられる。やはりセシルとして、セレンはサラスバティと共に誰かと戦っているらしい。


『むしろセレンの邪魔になるのでは?』


 一瞬、そんな考えが頭に浮かんだ。クエルはその考えをすぐに振り払う。自分たちは二つで一つ、お互いがお互いの半身だ。自分が自分へ遠慮してどうする?


『セレン! 答えろ、セレン!』


 クエルは何かを語るイフゲニアへ頷いて見せながらも、意識をセレンへ集中させた。




「フウ……」


 イフゲニアは急に無口になった少年を眺めながら、小さくため息をついた。視線の先にある少年の目は何も捉えていない。


「本同期はできるのに、並行思考はまだ出来ないのね。でもあなたもお父さんそっくり。永遠に消せない誰かを心に住まわせている」


 そうつぶやくと、イフゲニアは夕刻の気配が漂いはじめた林の中を、クエルを先導するように歩き始めた。その口からは少し調子はずれの鼻歌が響いてくる。


 ホ――!


 その歌に答える様に、木々の合間からフクロウの鳴き声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る