穢れ
「試験会場はこちらです」
「ありがとうございます」
係員に対して、セシルは侍従らしく丁寧に頭を下げると、サラスバティと共に、少し錆が出た鉄の扉をくぐった。目の前には高い頑丈な石の壁に囲まれた、円形の広場のような空間が広がっている。中には誰もいない。
「見世物と言う訳か……」
セシルはそうつぶやくと、不機嫌そうにフンと鼻を鳴らして見せた。
「マスターの側へいるためとはいえ、一番大事な時に共におられぬとは本末転倒だな。それに向こうがつないでくれないと、こちらからは勝手には繋げん」
『それがマスターのマスターたる
セレンの意識に、サラスバティの言葉が響く。
『我らが出来ることは、マスターを信じることだけか……』
『はい、尊きお方……、失礼いたしました。セシルさん』
「それでよい」
セシルの声に合わせたように、反対側の扉が開いた。そこから簡礼服に身を包んだ男が、見覚えのある人形と共に入ってくる。
「ここでお前に会えるとは何たる幸運! 今度こそ、お前を俺のペットの一人にしてやる!」
簡礼服の男がいかにも嬉しそうな声を上げた。その姿を見たセシルが、いかにもうっとうしいと言う顔をする。あろうことか、声の主はフリーダの誕生日会の帰りに、クルトを襲ってきたミゲルだ。
「ミゲル様。失礼ですが、しつこい男は嫌われると言うのをご存じでしょうか?」
そう告げると、セシルは気持ち悪そうに体を震わせた。
「やはり調教しがいのあるやつだな。俺のペットになるのを想像しただけで感じたのか?」
「ふふふ」
それを聞いたセシルの口から含み笑いが漏れる。
「私が何かを感じるとすれば、ご主人様にたいしてのみです」
「今日から俺がお前の主人だ。アマリア!」
ミゲルは人形の方を振り向くと、気障な仕草で前髪を掻き上げて見せた。
それを合図に、ミゲルの背後からサラスバティが封じられていた大蛇の人形と、瓜二つの姿が進み出る。だがその人形からは、サラスバティから聞こえてきた叫び声は聞こえない。
『何かが違う……』
セレンは首をひねった。かつての自分の姿を見たサラスバティからは、激しい怒りが感じられるが、ミゲルがまとう妙な違和感には気づいていない。だが見えない糸がピンと張り詰めたのを感じると、セシルはその疑問を頭の隅へ追いやった。
『どうやらマスターの方も始まったらしい。こちらの力は削がれるが、さっさと片づけてマスターの元へ行くぞ!』
『はい。セシルさん!』
サラスバティは一気に加速すると、大蛇を模した人形へ跳躍した。それを向かい打つべく、蛇が体をぐるりと回すのが見える。
その動きにセシルは焦った。何気ない動きだが、前のただ突っ込んでくる動きとは全く違う。明らかにこちらを誘い込んでいる。
『待て。不用意に突っ込むな!』
セシルの叫びに、サラスバティは急停止すると、体を回転させ背後へ飛びのいた。その鼻先を蛇の尾に備えられた鉈の切っ先が通り過ぎる。
『ウァアアァアァ――!』
次の瞬間、セシルの意識にサラスバティの上げる雄たけびが聞こえてきた。サラスバティがセシルの目の前へ迫った鉈を、一組の腕で押さえつけながら、もう一組の腕で蛇の頭を押し戻している。
クエルへ力を向けていたとはいえ、大蛇の動きはセシルが捉えきれないほど速い。それだけではない。サラスバティの二組の腕は大蛇を抑えきれずに、じりじりと後退していた。
「どうした? 今なら地面に頭をついて、お前の主人が誰かを口にすれば、許してやらぬこともないぞ」
ミゲルの嘲笑する声が耳に響く。
『力比べではこちらが不利だ。
サラスバティはセシルの体を抱くと、素早く横へ飛びのく。腰布に見える装甲の下から、幅広の剣を取り出し、四つの腕で大蛇へ襲いかかった。
四本の剣と蛇の尾が、目にも止まらぬ速さで打ち合う。セシルの目に、サラスバティの剣が放つ数多の火花が飛び込んできた。
しかし大蛇は一本の尾だけで、サラスバティの斬撃を全て払いのけている。いや、サラスバティの方が、蛇の攻撃を四本の腕で必死に躱していた。
『間違いない。人形も人形師も、前とは全くの別物だ!』
『はい。尊きお方』
聞こえてくるサラスバティの声にも焦りがある。突き、斬撃、フェイントといったあらゆる組み合わせを試みても、全く隙をつけていない。
それどころか、相手の攻撃を避けきれずに、装甲を削られている。アルツ工房の試作品である可変装甲がなければ、とうに戦闘不能に陥っていただろう。
「これだけか? たったこれだけなのか?」
ミゲルがつぶやく。その声はこれまでのあざけた口調とは全くの別物だ。冷静と言うより、まるで瓶に閉じ込めた虫を観察するみたいに聞こえる。
「つまらない……」
ミゲルの口から再び声が漏れた。同時に大蛇の動きも変わる。今まではサラスバティに合わせていた大蛇の尾が、向こうから大きく振り上げられた。
『一度退いて――』
セシルはサラスバティへ警告の声を上げたが、それを言い終わる前に、風圧によって吹き飛ばされた。サラスバティの体も宙を舞う。それでもサラスバティは空中で体をひねると、セシルを受け止めて着地した。
ドン!
空から何かがセシルたちの前へと落ちてくる。サラスバティの四本ある腕の一本だ。
「まずは一本目だ。どうだ?
再びあざけるような口調で、ミゲルがセシルへ問いかけた。無言でサラスバティの背後へ動いたセシルに対し、ミゲルが含み笑いをして見せる。
『大丈夫か?』
セシルはミゲルの台詞を無視すると、自分を庇うように立つ、サラスバティへ声を掛けた。
『はい。動作に支障はありません。それよりも私はまだまだ未熟です。あの男を前に冷静さを失っていました』
『それは我も同じだ。マスターを信頼すべきなのに焦った。それにこれは実技試験などではない。やはり見世物のようだな。我々の相手は目の前にいる男ではないぞ。背後であれを操っている者だ』
『気配は感じられませんが、あれはミゲルの振りをした化身でしょうか?』
『言葉通りだ。何かがあのミゲルと言う男を操っている』
『人の意識を我ら人形の様に操るなんてことが、可能なのですか?』
サラスバティが当惑した声を上げた。
『穢れだ……。それが何かは思い出せぬ。だが出来るのだ』
「どうした? もう降参か?」
動かぬセシルとサラスバティへ、ミゲルが肩をすくめて見せる。
「今さら土下座して許しを請うても遅いぞ。まずは残り三本の腕をもらう。そして二本の足だ。お前の人形を這いつくばせたら……」
そう言うと、ミゲルはセシルへ指を向けた。
「次はお前の両腕と両足を切り落とす。その姿で飽きるまで俺のペットとして飼ってやろう。二度と立つことなく、
ミゲルの高笑いと共に、大蛇が鎌首を持ち上げながら、ゆっくりとセシルたちへ近づいてきた。
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