道化
扉をくぐった先にあったのは、固められた砂が引き詰められた運動場のような場所だった。周囲は大きな石の壁で円形に囲まれており、競技場と言うより、囚人の檻を思い起こさせる。
バン!
背後で大きな音が響いた。振り返ると、クエルが入ってきた石に隠された扉は既に閉まっている。他に出口らしいものは見えなかった。どうやらここで、実技試験と言う名の試合をさせられるらしい。
クエルは白く見える砂の所々に、黒い染みがあるのに気がついた。
『なんだろう?』
手を伸ばして染みに触れると、それは砂というより、粘土みたいな塊になっている。クエルはすぐにそれが何かを理解した。機械油が落ちて出来た染みだ。この地面の上で、幾多の人形が人の血に相当するそれを、ぬぐい切れぬほどこぼした証拠だ。
ギギギギギ――!
反対側から大きな金属音が響いた。クエルが入ってきた入口同様に、石の壁が持ち上がっていくのが見える。その先にある暗い通路から、大小二つの影がこちらへ向かってくるのが見えた。
「おいおい、あの組分けには何の意味もなかったのかい?」
小さな影が額に手を当てながらぼやいて見せる。その背後に立つ道化を模した人形の仮面が、午後の日差しを浴びて銀色に輝やいた。先に呼び出されたはずのジェームズだ。
「ここのお偉さん方は俺たちD組の参加者を、なんとしてでも振るい落としたいみたいだな」
そう告げると、ジェームズは頭に被っていた皮の帽子のつば先を、クエルへはじいて見せた。
「坊主。虫も殺せない顔をして、これだけ手の込んだ扱いを受けるだなんて、お前は一体何をやらかしたんだ?」
ジェームズの言葉にクエルは思わずドキリとした。何かあるとすれば、フリーダの誕生日の帰りの件しか思いつかない。それとも父のせいだろうか? それなら最初から開放などしないはずだ。
だがジェームズは、クエルの顔色が変わったのに気付いたのか、気付かないのか、不思議そうに首を傾げて見せる。
「坊主でないとしたら、原因はあの赤毛のお嬢さんか……」
クエルを見ながらジェームズがつぶやく。
「坊主、お前はあの赤毛のお嬢さんと、結婚を約束した仲か?」
「違います。フリーダとは生まれた時からの幼なじみです。それだけです」
「マジでそれだけか?」
「はい」
クエルの返事に、ジェームズが思いっきり呆れた顔をする。
「どんだけ奥手なんだ? 俺だったらすぐに手を出して、もうガキの二人ぐらいは作っているぞ! こちらはそのとばっちりという訳だ……」
ジェームズは胸に帽子を当てると、芝居かかった仕草で天を仰いだ。
「どういう意味です?」
「あの子は美人というだけじゃない。気だてが良くて、気っ風もいい。男が夢に描く理想の女そのものだ。まさに宝物みたいな存在だよ」
「フリーダがですか?」
「おいおい。近すぎて、それがどれほど貴重なものか分かっていないな。いや、そう思わせないあの子が偉いのか……」
ジェームズは自分の台詞に、自分で頷いて見せる。
「だが坊主は嫉妬の怖さをまだ分かっていないな。あんな子が側にいたら、閥族の連中含め、世の男たち全員から嫉妬されまくりだ。気をつけろ。嫉妬は自分がどうなろうとも、相手を破滅させたいと願う程の負の感情だぞ」
そう告げると、ジェームズは表情を真剣なものへと変えた。
「それで男をめった刺しにした女も見たし、男の家へ火をつけて、嫁さんから子供まで焼き殺した女も知っている。そうだ、せっかくの機会だ。おれが坊主に、大人の事情というやつを教えてやろう」
「あの、実技試験は……」
「心配するな。何も文句が来ないと言う事は、このやり取りを含めて、全て問題なしと言う事だ。上が見たいのは俺たちがどれだけ人形を繰れるかだけじゃない。指示がなくても、自分で命令通りに出来るか含めて全部だ」
ジェームズの台詞に、クエルは恐る恐る辺りを見回した。確かにここへ入ってからと言うもの、試合について何の指示もない。
「それならすぐに試合を――」
そう声を上げたクエルに、ジェームズが肩をすくめて見せた。
「そうすべきかどうか確かめもせずにか? 先ずは自分たちの置かれた状況を観察してから行動する方が、よほど理にかなっていないか?」
クエルはジェームズの冷静さに驚いた。どうやらこのくだけた調子の人物は、単なる女たらしなんかではないらしい。いや、間違いなくそのフリをしているだけだ。
「話は変わるが、坊主はどうやって人形を手に入れた?」
「父が人形師で、私に残してくれました」
「お前の父親は導師だったな。赤毛の子の父親も宮廷人形師だろう? 閥族までとはいかないが、それでも関係者という訳だ。因みに俺がこいつを、クラウンを手に入れられたのは、一世一代の賭けに勝ったおかげだ」
そう言うと、ジェームズは背後に立つ道化姿の人形を振り返った。
「人形を、何より世界樹の実を手に入れられるのは、この世界を支配するやんごとなき人たちだけだ。だがごく僅かだが、世界樹の実はそれ以外にも出回る。なぜだか分かるか?」
無言のクエルへ、ジェームズが頷いて見せる。
「そうだ。独占して嫉妬を買うのを避けるためだ。上も嫉妬と言うやつがどれだけ怖いか、よく分かっている。この選抜も、宮廷人形師を独占していると思われないための仕組みだ」
そこでジェームズは再び肩をすくめて見せた。
「もっとも御覧の通り、そう簡単に通してくれるつもりはないがな。それでも俺らパンピーを、ちょっとだけなら通すつもりはあるのさ」
ジェームズの言葉にクエルは唸った。午前中の件も含め、その通りとしか言いようがない。S組こそが、閥族以外の例外を集めた組だったのだ。
「それと、俺の人形がなぜ道化の姿をしているのか、坊主は分かるか?」
いきなりの質問に、クエルは首を横に振った。
「閥族でもない俺たちが人形師をやると言うのは、まさに道化そのものだからだ。もっとも坊主の侍従人形には負けるな」
「なぜです?」
「自分で自分をやんごとなき方々の侍従だと宣言しているんだ。お前の父親は相当に洒落が効いた人物か、よほどの現実主義者かのどちらかだな」
クエルは心の中で首を横に振った。父のエンリケは技術者ではあったが、どこか夢見がちな、自分の理想だけを追い求めるところがある人物だ。しかしなぜ父は侍従人形などを残したのだろう。
いや、首の後ろに張られていた工房証を信じるなら、これを作ったのは父ではない。人形どころか、道具を持った姿すら見たことがない母と言う事になる。
「今度は別の質問だ。国家人形師が使う人形は、どうして神話の中の神々や怪物の姿なんだ?」
母のことを考えていたクエルへ、ジェームズが再び問いかけた。
「強そうだからですか?」
クエルは首をひねりつつ答えた。でもそんな簡単な理由だろうか? しかしジェームズはクエルの答えに満足そうに頷く。
「そうだ。見かけが大事なんだよ。いかがわしい場所の用心棒の腕っぷしが太いのと同じさ。それに腕や足を使って戦うのも、その方が相手に恐怖心を植え付けられるからだ」
確かに言われてみればその通りだ。フリーダのギガンティスも、神話に出てくる伝説の巨人を模して造られている。森の中で閥族の人形師が、いきなりこちらの命を狙わなかったのも、ジェームズの言う芝居かかった戦い方のせいなのかもしれない。
「俺のクラウンはそんな見栄とは無関係な道化だ。でもどうして道化が人を笑わせる存在なのか、知っているか?」
「えっ?」
「道化は人が見たくない、知りたくもない真実を語る。人はそれを皮肉として笑うほかないのさ」
そう告げたジェームズが、にやりと口の端を持ち上げて見せた。
「だから坊主にも、道化としてある真実を語ってやろう。ここに審判員がいない理由だ」
「対戦数が多くて、人手が足りない――」
ジェームズは手を横に振ると、クエルの言葉をさえぎった。
「案内役はいるのにか? 違うな。俺たちD組以外にはもちろんいるさ。俺たちは人形師の生死を含めて、やりたいようにやれと言う事なんだよ。つまり俺たちは見世物なんだ」
見世物!? クエルはその言葉に驚いた。だが同時に納得もする。ここへ入った時から感じていた違和感の正体はそれだ。姿こそ見えないが、間違いなく誰かにじっと見つめられている。
「どうした? 道化が真実を告げてやったんだぞ。笑わないのか?」
ジェームズが声を張り上げた。その声に合わせて背後のクラウンが動く。その手にはナイフ、いや、への字に曲がった、鉈のようなものが握られているのが見えた。
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