助言

 次官による午後の部開始の宣言に、クエルは身を固くした。ここからはフリーダたちを頼ることは出来ない。


「クエル、今度は顔が青いけど大丈夫?」


 フリーダが心配そうに声を掛けてきた。


「大丈夫だよ」


 クエルはフリーダの呼びかけに首を横に振ってみせた。だが冬だと言うのに、手のひらは汗でべっとりと濡れている。


「緊張するのは悪いことではないですが、緊張しすぎると、本来の力を出せませんよ」


 聞き慣れない声が聞こえてきた。意外な事に声の主はルドラだ。サファイア色の目で、クエルを興味深げに眺めている。


「あなたは人形師として十分に実力があります」


「ありがとうございます」


 クエルはルドラに頭を下げたが、ルドラはクエルに首を横に振って見せた。


「単なるお世辞で言っているのではありません。これでも私は人の相を見るのを得意としております」


 そう言うと、ルドラはクエルの方へゆっくりと近づいた。緑色の目がまるで美術品を品定めするみたいに、クエルの顔をじっと見つめている。


「私の知る限り、あなたは包容力に優れた人相をしている。人形師にとっては大事な要素です」


 ルドラの言葉にクエルは頷いて見せた。だが内心では決してそんな事はないとも思っている。ルドラはそれを見透かしたみたいに、口元に笑みを浮かべて見せた。そしてクエルを激励するつもりか、その肩に手を回してくる。


「ですが、女難の相も出ております。お気をつけください」


 クエルの耳元でそうつぶやくと、ルドラはムーグリィと話しをしている、ヒルダの隣へと戻っていく。


「流石ね。辛いものが大丈夫なだけじゃなくて、クエルの実力も見抜いているわよ」


 フリーダがウンウンと頷いて見せる。クエルはフリーダの納得した顔と、その向こうで背筋を伸ばして立っているセシルの姿を見ながら、ルドラの人相術に心の中で舌を巻く。


 フリーダはさらに言葉を続けようとしたが、口を閉じると背後を振り返った。その視線の先では、王都守護隊の制服を着た大勢の係員たちが、こちらへと歩いてくるのが見える。


「これより実技試験を行います。名前を呼ばれた人は人形を連れて、係員の後について移動してください」


 その中の一人、名簿を手にした明るいオレンジの髪の女性が声を上げた。そして手にした書類をめくって見せる。係員たちを前に、クエルは再び自分が緊張して来るのを感じた。


「あの者の言う通りだ。くつろげとは言わぬが、辺りを見る余裕ぐらいは持て」


 いつの間にかクエルの隣に来たセシルが、小声で告げた。


「誰と誰を連れ出しているのか、どこへ向かっているのか? 確認すべきことは色々とあるぞ」


「そうだな」


 クエルは素直に同意した。


「セシルさん!」


 名簿を指でなぞった係員が、いきなりセシルの名を読み上げる。


「はい」


 セシルは係員へ手を上げた。だがそれを押しのけるように、ムーグリィが係員の前へと進み出る。


「ムーグリィはおなかいっぱいで眠いのです。さっさと試合をして昼寝をするのです!」


「順番にお呼びしますので、少々お待ち下さい」


 係員の答えに、ムーグリィが不満気に足をタンタンと踏み鳴らす。それを見た係員の顔がひきつった。


「ムーグリィ殿はすぐに試合を終わらせられるでしょうから、順番が少々後になっても問題ないのでは?」


 ヒルダの台詞を聞いたムーグリィが、フンと鼻を鳴らしつつも、しょうがないという顔をする。どうやらヒルダはムーグリィの扱い方をよく心得ているらしい。


 その間に係員の一人がセシルの手を引いて、練兵場の奥へと向かっていく。それを見たクエルは、セシルが自分に告げた通り、自分の意識だけで戦う事を覚悟した。


「ジェームズさん!」


 続けて係員が名前を告げた。


「こちらにおります」


 名前を呼ばれたジェームズが、いつの間にか係員の前へ膝まづいて、その手を握っている。


「あの、何をされているのでしょうか?」

 

「あまりのお美しさに、思わず膝まづいてしまいました」


 そう告げると、手の甲へ口づけしようとする。係員は慌ててジェームズの手をはねのけると、上着の裾で手を拭いて見せた。


「名前の確認だけで結構です。人形をつれて、あちらの係員と移動をお願いします」


「では、皆様お先に」


 ジェームズは帽子を胸にあてて、気障な礼をして見せると、係員の後を追った。その方向はセシルが移動した先とは別だ。どうやら実技試験とやらは、ここから離れた場所で個別に行われるらしい。


「クエル・ワーズワイスさん!」


「はい!」


 そう答えたクエルは、そこで始めて名簿を持つ係員の左耳に、水色の水晶が輝いているのに気がついた。それはその女性が高位の人形師であることを示している。


 クエルの知る限り、水色の水晶を持つ人形師の序列は紫の導師、紺色及び、青色の宮廷人形師に続く4番目で、指揮官クラスのはずだ。もちろんクエルよりは年上だが、それでもかなり若く見える。


「クエル・ワーズワイス君ね。一応つづりを確認してもらってもいいかしら?」


 女性はクエルの方へ歩み寄ると、そう声をかけてきた。確かにジェームズの言う通りに、ヒルダと似た感じのする相当な美人だ。ただ彼女の方が、どこか女性を意識させるところがある。


「はい。間違いありません」


「では、人形と一緒に私の後に続いてください」


 そう告げると、名簿を別の係員へ渡して、練兵場を横切って歩き始める。クエルは背後にいるフリーダとスヴェンへ軽く手を振った。フリーダの口が「がんばって」と動くのが見える。クエルはフリーダに頷き返すと、係員の後に続いた。


 係員はクエルの方を振り返ることなく、まっすぐに練兵場の奥にある林へと向かう。その方向はセシルとは反対側、ジェームズが向かった先に近い。


 やがて行く先々で、T字路や十字路が次々と現れた。係員は迷うことなく、道を右へ、左へと折れながら足早に歩いていく。


 クエルは道を覚えようと、目印になるものを探しながら後を追ったが、あまりに複雑な経路に、前をいく女性に遅れそうになる。それに気づいたのか、係員の女性は不意に立ち止まると、クエルの方を振り返った。


「あたりを見るのはいいけど、迷子になりますよ」


 女性はそう告げると、さらにクエルの方へ近づいてくる。ヒール付きのブーツを着た女性の顔が、さほど背が高くないクエルの顔の目の前に来た。薔薇を思わせる、頭がクラクラしそうな香りにクエルはドキリとする。


「あなたはお父様よりかわいい顔をしているのね。お会いしたことがないけど、お母様に似たのかしら?」


「父をご存知なんですか?」


 クエルの問いかけに女性がうなずいた。


「ええ、もちろんよ。私はあなたのお父様にとても近いところに居たの」


「近いって……」


 当惑するクエルに、女性が意味深げに口の端を上げて見せる。


「あなたも17で大人なのでしょう? なら私の言葉の意味ぐらい分かるわよね。だからこんなところで、選抜の手伝いなんてやらされているわけ」


 女性がクエルに肩をすくめて見せた。


「でもどちらかと言えば、あなたの方が私の好みよ」


 女性の言葉にクエルは思いっきりうろたえた。それを見た女性がカラカラと笑って見せる。


「私の名前はイフゲニア。覚えておいて」


 そう告げると、イフゲニアと名乗った女性は、クエルのほほに小さく口づけをした。同時に森の一部だと思ったところが動き始める。それはツタで偽装した扉だった。それがゆっくりと開いていく。


 イフゲニアと名乗った女性は、頬に手を当てたまま、あっけにとられているクエルに対して、扉の先を指さした。


「そこが入口よ。試合がんばってね」


 クエルはいまだにぼっとした気分のまま、言われるままにその扉をくぐり抜けた。




「珍しいこともあるのね。彼に何の助言をしてあげたの?」


 ヒルダの言葉に、人がまばらになってきた練兵場で、係員の案内を待つルドラは苦笑いを浮べてみせた。


「助言? 単なるお世辞だよ。それと現状の追認というやつだ」


「どうでもいいけど、私達の立場を忘れないでね」


 ヒルダの台詞に、ルドラが今度は小さくため息をついて見せる。


「それでも今回の件は、あまり気分のいいものではないな……」


「あら、私達に気分のいい役目なんてあるのかしら?」


「そうだったな」


「ルドラ・インバースさん!」


 係員の呼び声に、ルドラが小さく手を上げて見せる。


「ではストレスの解消に行かせてもらうよ」


 そう告げると、ルドラは係員へ向かってゆっくりと進み出た。

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