御曹司
競技場へ響き渡った声に、フリーダは周囲を見回した。壁から崩れた石の上に、簡礼服を来た金髪の男性が腰を掛けている。
いや、岩ではない。いくつかの節足が、その脇から生えているのが見えた。その手には一輪のバラがあり、それをくるくると指で回している。
「フィリップ様?」
「はい。ここでいらっしゃるのをお待ちしておりました。お誕生日会にご招待いただいて以来ですね。」
そう告げると、父親のギュスターブの招待客の一人、フィリップ・チェスターはバラを胸に抱くと、フリーダへ淑女に対する紳士の礼をして見せた。
フリーダは大きなため息が出そうになるのを必死にこらえる。国家人形師試験に臨む者の態度には、到底思えない。
「フィリップ様。先日はお忙しいところ、私の誕生日会にご参加いただきまして、ありがとうございました。本日の
そう言って頭を下げたフリーダへ、フィリップが金髪を手で掻き上げながら、童顔の顔に笑みを浮かべて見せる。その姿はまさに御三家の御曹司そのものだ。
「そう急がれなくてもよいかと。誕生日会の際には、あなたのご両親をはじめ多くの方々がいましたが、今日は私とあなたの二人で、ゆっくりとお話ができます。出来ればお茶でも飲みながらと言いたいところですが、流石にそれは無理ですね」
フィリップの言葉に、フリーダは面食らった。
「あの、フィリップ様?」
フリーダはそう問い返しつつ、広場の中央横に立つアイラの方へ視線を向けた。アイラはまるで苦虫をかみつぶしたような顔をしているが、フィリップをたしなめることなく無言で立っている。
「アイ姉、出来れば後ろを向いていてくれないかな。君は聞いていなかったことにした方がいいと思うんだ」
「アイ姉?」
その台詞に、フリーダは思わずアイラをガン見してしまう。
「アイラは長くうちの屋敷に住んでいて、私から見れば姉みたいなものなんです。いや、僕のお目付け役とでも言うべきかな?」
そう言うと、フィリップはまるで急げでも言わんばかりにアイラへ手を振って見せた。フリーダが恐る恐るアイラの方を見ると、驚いたことに、アイラはフィリップの言いつけ通り後ろを向いている。
「フリーダお嬢様はこの国家人形師選抜をどう思われますか?」
フィリップの意外な問いかけに、フリーダは首をひねった。
「完全な茶番ですよ。すでに合格者は決まっています。選抜を行ったふりをしているだけ。試合なんて形ばかりのものをするより、お茶でも飲んで帰った方がマシなくらいです」
「私にとっては違います。これは自分の人生を、国家人形師になるという一歩を踏み出すための場です」
そう告げたフリーダへ、フィリップが満面の笑みを浮かべて見せた。
「流石は王都の
「薔薇!?」
「そうです。フリーダお嬢様は――」
「フィリップ様、どうかフリーダとお呼びください。庶民なもので、そのような呼ばれ方には慣れていないんです」
「では、私のこともフィリップとお呼びください」
「はい、フィリップさん」
「フリーダさんは王都の人形師の子弟の間では、『赤い薔薇』と呼ばれていて、憧れのまとなんですよ」
「へっ!?」
その言葉に、フリーダは思わず首筋が熱くなるのを感じた。いくら何でも盛りすぎだ。
「もしかして、本当に知らなかったんですか? あなたの17歳の誕生日会には、それはもうたくさんの申し出があって、お父様が相当に苦労されたと聞きましたけど?」
「はあ……」
フリーダは生返事をしつつ、大きくため息をついた。どうしてこんな時に、こんな所でそんな話を聞かされないといけないのだろう。
「そこでです。フリーダさんにご提案があります。この試合ですが、フリーダさんの勝ちと言う事で結構です」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
フィリップの言葉に、フリーダは慌てた。
「もっとも、フリーダさんは合格組の名簿に名前がのっていますから、それ自体は決定事項の追認のようなものです。それともう一つ――」
そう言うと、フィリップは口元に怪しげな笑みを浮かべた。
「誕生日会の付添人をされていた、ワーズワイス殿ですが……」
「クエルですか?」
「そうです。クエルさんです。彼の合格も私の方で請け負います」
「どう言う意味です?」
「今回は
そこでフィリップは顔をうつむかせると、少し考えるような顔をする。
「そうですね。私の方で世界樹の実と、人形の用意もお手伝いさせて頂きます」
「フィリップさん、一つ質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
フリーダの問いかけに、フィリップが顔を上げる。
「何でしょうか?」
「私にこの様なご提案をしていただける理由は何でしょう?」
「ちょっとした下心ですよ。お付き合いをさせていただきたいのです」
「お付き合い?」
「はい。お誕生日会で最初の踊り手の栄誉は得られませんでしたが、あなたの近くに居させていただきたいのです」
そう告げると、フィリップが童顔の顔へ屈託のない笑みを浮かべて見せる。今度はそれを見たフリーダが顔をうつむかせた。
「ご心配なく、国家人形師になると言うあなたの目標の邪魔を――」
フィリップがそう声を掛けた時だ。
「フフフ……」
フィリップの耳にくぐもった笑い声が聞こえてくる。見れば、フリーダが口に手を当てて、必死に笑いを押し殺そうとしていた。
「何かおかしな事でも言いましたでしょうか?」
「申し訳ありません。フィリップさんの冗談がおかしすぎて、どうにも我慢できませんでした」
「冗談?」
その答えに、フィリップが怪訝そうな顔をしてみせる。
「フリーダさん、これは冗談ではありませんよ?」
「いえ、冗談です。冗談に決まっています」
そう宣言すると、フリーダは表情を真剣なものへと変えた。
「フィリップさん、試合で私が勝ったら、このような冗談は二度となしでお願いできますでしょうか?」
「私の提案へはご同意いただけないのですね?」
「はい。私は庶民なので、このような冗談には慣れていないんです。それにフィリップさんはクエルについて勘違いをしていると思います」
「勘違い? 彼はまだ人形を繰り始めたばかりだと聞きました。どんなに才能があっても、今年の選抜を抜けるのは難しいかと思いますが?」
「クエルは天才ですよ。クエルの操り人形劇を見れば分かります」
真剣な表情で告げたフリーダに、今度はフィリップが小さく含み笑いを漏らしてみせる。
「分かりました。でもそれだけだと一方的ですね。私の方からも提案してもよろしいでしょうか?」
「はい」
「私が勝ったら、チェスター家からイベール家に交際の申し込みをさせてください」
「坊ちゃん!」
不意にアイラの慌てた声が響いた。流石にこれは聞き捨てならないという顔をしている。
「アイラ、誰がこちらを向いていいと言った?」
フィリップが少し苛ついた声で告げると、アイラは再び苦虫をかみつぶした顔をした。それでも再度後ろを向く。フリーダは閥族の頂点たる御三家の力を目の当たりにした。
チェスター家の関係者とはいえ、アイラは王都守護隊の副団長だ。それが王都守護隊としての役割より、フィリップの意向を優先している。
「私の提案の意味はお分かりでしょうか?」
「はい。十分に理解しております。ではフィリップさん、よろしくお願い致します」
フリーダはそう答えると、完璧な紳士にたいする淑女の礼をしてみせた。
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