始動の儀
「今度は私達が国家人形師になるの」
聞こえてきた声に、クエルが背後を振り返ると、フリーダが朗らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。
そしてスヴェンの方へ歩み寄ると、丁寧に淑女の礼をして見せた。
「スヴェンさん、初始動、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
そして今度はセシルの方を向くと、再びスカートの裾を持ち上げて、淑女の礼をする。
「セシルさんも、初起動、おめでとうございます。これであなたも私たちと同じ、人形師ですね」
フリーダの台詞に、セシルも丁寧に頭を下げた。
「フリーダ様、ありがとうございます。これで私もお二人と一緒に、選抜を受けられますでしょうか?」
「ふふふ、もちろんよ!」
そう答えると、フリーダはセシルに思いっきり抱きついた。
「流石は我が妹です! 一緒に国家人形師になりましょう。大体セシルちゃんがクエルの侍従さんだなんて、勿体なさすぎです!」
フリーダは呆気にとられているセシルに、自分の頬を寄せて頬ずりをした。
セシルは一瞬だけ嫌そうな顔をして見せたが、諦めたのか、フリーダにされるがままに猫可愛がりされている。
「ですが、クエル様から世界樹の実を、お給金の前借り100年分でお譲り頂きました。セシルは未来永劫、クエル様の侍従を……」
「そんなもの、ただに決まっています!」
そう叫ぶと、フリーダは頬擦りしていた顔をあげて、クエルを睨みつけた。
「この可愛らしい姿を目にしただけでも、お釣りが出るくらいです。そうでしょう、クエル!?」
素のフリーダを初めて見たらしいスヴェンが、見てはいけないものを見てしまった顔をして、フリーダを呆然と眺めている。
「もちろん金など取るつもりは……」
大体、自分の人形から金など取れるはずがない。クエルはフリーダに肩をすくめて見せた。
「ほら、ただですよ。ただ!」
「フリーダお嬢ちゃん。流石にそれは酷くありませんか?」
その声に顔を上げると、倉庫の中にはアルツやスヴェンの兄弟子達の姿があった。それを見たスヴェンの顔から血の気が引き、真っ青になる。
アルツはつかつかとスヴェンのところまで歩いていくと、その胸元を掴んで体を上へと持ち上げた。スヴェンは足をばたつかせたりせず、されるがまま宙に浮いている。
『まずい!』
その姿にクエルも思わず息を呑んだ。勝手に人形を組み立てた上に、それを起動させてしまったのだ。このまま済むとは到底思えない。
「アルツ師、これはスヴェンのせいではなくて、僕が無理矢理……」
「これは師匠と弟子の話だ。坊主は黙っていろ」
それでもクエルはスヴェンの為に口を開こうとしたが、誰かが上着の裾をそっと引く。見るとフリーダが、クエルに向かって小さく首を横に振って見せた。
「スヴェン、てめえは何を勝手なことをしているんだ! 弟子の分際で、勝手に部品を使って、人形を組み立てるなんてことが、許されると思っていたのか!?」
「はい、親方。思っていません」
「ではなぜこいつを組み立てた?」
「こいつらが自分を呼んだからです。こいつらが俺に、人形になりたいと告げたからです」
その声は決して大きくはなかったが、スヴェンはアルツに向かって、はっきりと告げた。
「部品がか? それがお前にそう言ったと言うのか?」
「はい。俺には人形になりたいとはっきり聞こえました」
それを聞いたアルツが、持ち上げていたスヴェンの体を床に下ろした。
「ゲ、ゲホゲホ――」
首元を抑えられていたスヴェンが思わずむせる。アルツは背筋を伸ばすと、微動だにすることなく立っていた弟子達を振り返った。
「お前達!」
弟子たちに向かってアルツが声を上げる。その姿にクエルは焦った。せっかく動いたこの人形を、サラスヴァティをアルツはばらそうと言うのだろうか?
フリーダなら止められるかもしれない。クエルは期待を込めて、フリーダの顔を見た。だがフリーダの顔には笑みが浮かんでいる。
「はい、親方!」
弟子達が大きな声でアルツに答えた。
「始動の儀だ」
アルツの言葉に、弟子達が前後に綺麗な列を作る。
「匠の神にて我らが守護者、大地神パールバーネルにご報告させて頂きます」
「ご報告させていただきます!」
アルツの言葉を、弟子たちが唱和した。
「本日、我らが兄弟たるスヴェン・オズボーンがあなたの数多の腕の一つになりました。彼の人形技師としての未来に、あなたの恩恵があらん事を願います」
「願います!」
「そして彼の腕が、常にあなたに忠実な僕たることを誓います」
「誓います!」
そこに居並ぶ全員が手に工具を持つ。
我らは腕を継ぐもの
我らは数多の呼び声に応えるもの
我らは器の一つにて無限を産み出しもの
我らの腕はあなたの偉大さを讃え
我らの腕はあなたの恩恵を得たり
讃えよその技を
讃えよ我らが人形を
讃えよ全てを統べし世界樹を
節に合わせて工具を打ち鳴らしつつ、見事な歌声が高らかに響いた。アルツが小さくスヴェンを手招きすると、スヴェンはアルツの前に跪いて頭を垂れた。
「人形技師として奢ることなく、己の良心に背くことなく、その技を振るう事を、我らが神パールバーネルに誓います」
アルツはスヴェンに向かって頷くと、腰からボルト締めの工具を抜いて、スヴェンの手に握らせた。
「これは俺が師匠からもらった工具だ。初始動の祝いにお前にやる。ただし、今度こんな勝手な事をやってみろ、炉に放り込んで消し炭だ」
「は、はい。親方!」
「おい、スヴェン。本当にお前は勝手なことばかりしやがって!」
「どうせ女型で組み立てるなら、胸はもっと盛るもんだ!」
弟子達や職人達がスヴェンの周りを取り囲むと、頭や背中を叩いて、手荒い祝福をする。アルツはそれを横目で見ながら、クエル達の方へ歩み寄った。
「お嬢さん。これを動かしたのは、あんたと言うことでいいのかな?」
「はい、アルツ様」
セシルはアルツに対し、はっきりと答えた。
「それで選抜を受けるつもりかい?」
「はい。そのつもりでおります」
アルツはセシルに頷いて見せると、今度はクエルの方を振り向いた。
「坊主、人形と言うのはタダじゃない」
「はい。人形の代金は僕がお支払いさせていただきます」
家屋敷を売っても足りなかった分は、一生かけて払わせてもらう。クエルはそれを覚悟した。
「お前たちが国家人形師になれたら、人形代はいらない」
「えっ?」
「母親のセラフィーヌと、坊主が人形師になれたら、人形を作ってやると約束したからな。たとえそれが坊主の侍従だとしても、お前の家の者だ。手伝ってやることに変わりはない。ただし――」
そこでアルツはクエルの目をじっと見つめた。
「選抜に落ちた時には、割増で全額請求させてもらう。屋敷ぐらいじゃ全然足りないぞ。その時はうちで、死ぬまでこき使ってやるから覚悟しろ」
「はい!」
「それに世界樹の実は人形なんかより遥かに高価だ。それに金を積めば手に入るというものでもない。その意味をよく考えてから、選抜を受けるんだな」
クエルの頭に東領からの流民たちの姿が浮かんだ。こうして王都で人形師になれる機会を得られているだけでも、自分は相当に恵まれた立場にいる。
「はい、アルツ師!」
「おじさん、大丈夫ですよ。アルツは間違いなく国家人形師になれます!」
フリーダはにこやかな笑みを浮かべながら、自信満々でアルツに答えた。
晩秋の夕刻の光が、通りを黄金色に染めている。工房の前では馬車の荷台の上に、アルツ達による調整の終わったサラスヴァティが、白い帆布をかけて積み込まれていた。
その姿は落ち行く夕日に、通りへ長い影を描いている。
「もう夕方か……」
クエルはその影を眺めながら呟いた。
「馬車を一日貸切にしておいてよかったわね」
フリーダも、馬車に乗せられたサラスヴァティを見上げながら声を上げた。
「結局、親父たちに山ほど調整をくらっちまったからな」
スヴェンがクエルに肩をすくめて見せた。その顔は今日一日の作業で油まみれだ。
「でも許してもらえて、本当によかったな」
「本当だ。マジで殺されるかと思った」
それを聞いたフリーダが、さも呆れたように、二人へ人差し指を振って見せた。
「クエル、やっぱりあなたの目は節穴ね」
「節穴!?」
「そうよ。アルツおじさんだって、工房の人達だって、スヴェンさんがこれを組み立てていたのは、知っていたに決まっているじゃない」
「えっ!」「えええ!」
フリーダの言葉に、クエルとスヴェンが驚きの声を上げた。
「そうでなかったら、始動の儀に合わせて、みんなが都合よくボルト締めを腰に刺している訳がないでしょう?」
「でも、それは誰もが持っている道具で……」
「ルシアノおじさんも?」
クエルとスヴェンが互いに顔を見合わせる。
「もう、男の子って本当に始末に負えないのね。始動したのに気がついて、皆がわざわざ集まったのよ。もっと人の気持ちを分かるようになって頂戴!」
フリーダはそう告げると、クエルに対し、とっても不機嫌そうな顔をして見せた。
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