約束

「えっ!」「えええ!」


 セシルの言葉に、クエルとスヴェンの口から悲鳴のような声が上がった。


「スヴェン様、これはあなたが作られた人形でしょうか?」


 セシルはそう告げると、クエルたちの背後へと視線を向けた。


「えっ、まあ、そうだけど……。はい。私が組み立てさせて頂きました」


 セシルの真剣な表情を見たスヴェンが、いつの間にか敬語へと変わっている。セシルはスヴェンが「サラスヴァティ」と呼んだ人形の方へ近寄ると、その姿を注意深く眺めた。


「スヴェン様、こちらの人形を動かす方は、すでに決まっているのでしょうか?」


「ともかく組み立てただけで、誰も動かす予定はないです」


「では、こちらの人形を、私が動かしてもよろしいでしょうか?」


「ええええ!」「えっええええ!?」


 そう再び叫び声をあげた二人を、セシルがじろりと睨む。


でしょうか?」

 

「はっ、はい」


 セシルの問いかけに、スヴェンが背筋を伸ばして答えた。


「それでは、謹んで私の方で動かさせて頂きます」


 スヴェンが呆気にとられた顔をしてセシルを、そしてクエルを見る。クエルも何も口に出来ずに、セシルとスヴェンの顔を交互に眺めているだけだ。


「ですが、人形を動かすには、世界樹の実と言うものが必要でして……」


 おもむろに人形へ手を伸ばそうとしたセシルに、スヴェンが恐る恐る声をかけた。


「私の方で、クエル様からお預かりしている世界樹の実がございます。何の問題もございません」


「えっ、ええええ!」


「でも世界樹の実は全部……」


 クエルはそう口にしたが、セシルの無言の圧力を前に口を閉じた。


 だけど父のものだと言われて渡された世界樹の実は、結合に失敗して失われている。なので手元には何も残ってはいないはずだ。


「ではクエル様、改めてセシルからお願いがございます。セシルの今後50年分のお給金を前借りさせていただいて、それで世界樹の実と、この人形をセシルにいただけませんでしょうか?」


「50年!」


 クエルの口から思わず上がった言葉に、セシルは小さく首を傾けて見せた。


「それでは足りませんか? では100年分ほど前借りさせていただきます。これでセシルはこの身が朽ち果てるまで、いや朽ち果てても、身も心もクエル様のものです」


「ちょっと待て!」


 セシルの言葉に、スヴェンが慌てた声を上げた。


「クエル、『身も心も』とはどう言うことだ! お前はこの天使のような子に、一体何をしたんだ!」


 そう叫ぶと、スヴェンはクエルの胸ぐらに手を伸ばした。


「な、何も、何もしていません。したくもありません!」


「いや、絶対に何かしている。俺ならする!」


 セシルは謎の言い合いを始めた二人を無視すると、侍従服のエプロンのポケットから、布で包まれた丸い珠を取り出した。そこからは銀色の光が放たれ始めている。


「世界樹の実!」


 スヴェンがクエルの胸元から手を離して叫んだ。


「ではですね?」


 セシルはそう宣言すると、呆気に取られているクエルやスヴェンを尻目に、人形へと近づいた。


 そして慣れた手つきで、胸の心臓の位置にある小さな扉を開くと、そこにある金属製の台座へ、銀色に輝く世界樹の実を置く。


 カシャンと言う金属音と共に、台座の周りに設置された保護板が次々と降りていった。台座からは、目を開けているのが辛いほどの眩い光が放たれる。


 世界樹の実が人形と繋がる融合の開始だ。


『ああああ!』


 その光の先から、クエルの心へ何かが伝わってくる。最初は単なる叫びにしか聞こえなかったが、次第にクエルへ何かを伝えようとする言葉に聞こえてきた。


『ありが…とう…わ…わたしを…たすけて…くれて…ありが…とう……』


 あの声だ。湖畔で聞いたあの子の声だ。


『良かった。本当に良かった……』


 クエルの心の声が、核から心に響いてくる声と重なった。次の瞬間、クエルと人形との間に、何かがピンと張られたのを感じる。


「クエル様。では私に代わって、この人形に名前を与えてあげてください」


 そう告げると、セシルはにっこりと笑みを浮かべて見せた。


 名前? それならもちろん決まっている。「サラスヴァティ」だ。


『我、サラスヴァティは汝が僕として、これに従うことを盟約す。我は二つにして一つ。一つにして二つなり』


 人形の胸で、保護板の間から漏れていた光が消えた。


「我の呼びかけに答えよ!」


 倉庫の中にセシルの声が響いた。クエルはセシルの台詞に驚く。人形が人形を繰る。そんな事ができるのだろうか?


 だがクエルの目には、セシルの指先から銀色に光る細い糸が、サラスバティの体へと繋がっているのが見えた。


 その線を通じて、クエルの力がサラスバティへと流れ込んでいくのが分かる。驚いた事にクエルはセシルを介して、サラスバティとの同期を行なっていた。


 だが隣りにいるスヴェンはセシルの指先から伸びている銀色の糸にも、セシルを介して力が流れているのにも、気がついている様子はない。


「目覚めよ!」


 セシルの言葉に、跪いていた人形の体が持ち上がった。そして固く握っていた手を離すと、二組ある腕の一つの右腕を、己が核の位置へと動かす。


 人形はクエルたちに向かって、完璧な淑女の礼をとって見せた。


「な、ななな……」


 その姿を見たスヴェンの口から、言葉にならない声が漏れる。


「クエル様、スヴェン様。これでセシルも人形師でしょうか?」


 セシルはそう告げると、クエルとスヴェンに向かって、サラスヴァティと同じく淑女の礼をして見せた。


「あ、ああ……」


 クエルはセシルに何か告げようとしたが、突然の展開に、何も言葉が口から出ていこうとしない。


「ありがとう! 本当にありがとう!」


 クエルの横から飛び出したスヴェンが、セシルの手を固く握った。そのあまりの激しさに、手を握られたセシルが、驚いた顔でスヴェンを見ている。


 クエルは感動に震えているスヴェンの横に立つと、その肩に手を置いた。本当は抱きしめてやりたいのだが、今の自分の両腕ではそれは出来ない。


 でも自分が友人に対して何を告げるべきかを、クエルはやっと思い出した。


「スヴェン、『初始動』おめでとう!」


 人形技師を目指す全ての者が、かなえたいと願っているものをかなえたのだ。


「セシル、よくやってくれた!」


「クエル様、お褒め頂きまして大変光栄でございます」


 セシルは僅かにはにかんで見せると、侍従らしく手を前に揃えて、丁寧に頭を下げた。クエルはスヴェンの方を向き直ると、その肩を掴む手に力を込める。


 スヴェンの着ている皮でできた作業着から、染み込んだ油の匂いがする。


 クエルはそれを嗅ぎながら、友人が孤児となって以来、どれだけの苦労と努力をしてきたのかについて思いを馳せた。


「本当におめでとう!」


「うん、これで一つ約束が叶ったよ」


 そう告げると、スヴェンはクエルに微笑んで見せた。


「約束?」


 クエルは思わず首を傾げた。確かに人形師になって選抜を受ける。その時までにスヴェンがクエルの人形を作ると言う約束を交わした。


 だがそれ以外にも何か約束をしただろうか?


「覚えていないのか? お前と初めて会った時に、俺は約束したんだ。お前の目の前で、最初の人形を動かしてやるってな。それにお前も俺に約束した」


 スヴェンがクエルに片目を瞑ってみせる。


「人形が動いた時には、山ほどお菓子を奢るってな!」


「ああ、そうだった!」


 クエルはこの工房でスヴェンと初めて会った時の事を、幼かった自分と同じ年の子供が、必死に工具を運ぶのを見た時の事を思い出した。


「それはもういい。菓子が食べたくて仕方がない年でもないしな。それに最初に会った時に、お前は俺にもっと大事なものをくれている」


「えっ?」


「希望さ。お前はエンリケさんを俺の前に連れてきてくれた。人形技師が人形師に、それも導師になれたんだ。俺だって何かができる。そんな気にさせてくれるには十分だったよ」


 そう言うと、スヴェンは少し恥しそうに頭を掻いた。


「スヴェン、お前らしくない。かっこよすぎだ」


「何を言っているんだクエル、次はお前の番だ」


「そうよ、私たちの番よ」

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