面影

「選抜までにお前の人形を作ると約束していたけど、今の俺にはこれが精一杯だ」


 クエルの目の前には膝をおり、祈るような姿勢で跪く、少女の姿をした人形がいた。その顔は穏やかで、清楚な感じを漂わせている。


 その一方で、体つきは女性らしい優美な曲線を描いており、頭から腰まで届くベールに、腰から下には踊り子の衣装を模したものを履いていた。


 少しほっそりとした上半身からは、なんと二組の腕が伸びていて、本物の踊り子のように、何かの金属で出来た腕輪をしている。人形のはずなのに、女性の持つ色気すら感じさせる存在だ。


「設計どころか、もう人形を作れるだなんて、すごいじゃないか!」


 クエルは自分の友人が、人形技師として、いつの間にか著しく成長していたことに目を見張った。


「違うよ。色々とアイデアは入れたけど、工房の余った部品やら、過去の試作品を元に組立てただけだ。足元はギガンティスの流用だし、ベールや衣装はルシアノ爺さんがお蔵入りさせた、可変装甲を勝手に使わせてもらった」


 スヴェンはクエルに対して苦笑いを浮かべて見せた。


「ともかく人形を一体、自分の手で組み立ててみたかっただけだ。でもお前が国家人形師になるまでには、約束通り、俺がお前の人形を作って見せる」


 そう告げると、スヴェンはクエルの目をじっと見つめた。


「選抜を受けるんだろ?」


「どうしてそれを!?」


 まだフリーダがアルツに語っただけのはずだ。クエルは呆気にとられた顔でスヴェンを見た。


「フリーダさんが来ているんだ。みんな客間の前で、聞き耳を立てているに決まっているだろうが」


 スヴェンがクエルにニヤリと笑って見せる。


「正直言って、かなりやきもきしていたぞ。やっと前へ進めたんだな……」


「ああ、フリーダにもケツを叩かれたし、やっと決心がついた。スヴェン、君もありがとう!」


 クエルはうまく動かせない手でスヴェンの手を握った。


「なんだよ急に。気持ち悪いじゃないか? それにこれは俺とお前との昔からの約束だ。俺がそれに間に合わなかっただけだ」


「そんな事はない。スヴェンに比べたら、僕なんかまだまだ……」


「何を言っているんだ。フリーダさんをがっかりさせるな。落ちたら、この工房全員でお前を殴りに行くぞ!」


 スヴェンはそう言うと、クエルの腕を肘で小突いた。その一撃にクエルは悶絶する。だがその痛みは腕だけでなく、心にも響く。


 フリーダだけじゃない。ここにも自分に期待してくれている人が、親友がいた。


「そ、そうだな。その通りだ。だけどこの人形はどうするんだ?」


「すぐにバラすよ……」


「バラす!?」


「勝手に部品を使って作ったんだぞ。アルツの親父に見つかったら、どやされるぐらいじゃ済まない。間違いなく首を絞められて、逆さづりにされる」


 そう言うと、スヴェンは自分の首を絞める仕草をして見せた。


「どうせ動く事はないから、その程度で済むさ。俺たちが作っているのは所詮は器だよ。人形師が本物の世界樹の実を入れてくれない限り、単なる置物だ」


『どうして自分は、自分の事ばかりしか考えられなかったのだろう?』


 クエルは父から引き継いだ世界樹の実を、全て使い果たしてしまったことを心から後悔した。スヴェンの人形の為にこそ使うべきだったのだ。


 自分で無理なら、フリーダに結合してもらえば、間違いなくこれを動かすことが出来たはずだ。


「それじゃ、どうしてわざわざ組み立てたんだ?」


「母さんの手だよ」


「手!?」


「そうだ。これが人形として使い物にならないぐらいの事は、お前でも分かるだろう?」


 スヴェンの台詞に、クエルは人形の持つ二対の腕を眺めた。人形は人形師の精神で制御される。だから人形の四肢は人か動物に似せて作られるのが基本だ。


 そうでないと、人形師が体を制御するのが極めて困難になる。


「俺は父親の事は何も知らない。死に別れた時はまだ小さかったから、母さんのこともよく覚えていないんだ。だけど母さんが俺を、手で優しく撫でてくれた事だけは覚えている。それもたくさんの手でだ」


 スヴェンはそう告げると、サラスヴァティの優美で長い手を愛おしそうに撫でた。


「両手を使ってくれただけだと思うのだけど、とてもたくさんの手で撫でてもらったみたいに感じた。それを思い出したかったんだろうな。だから手と腕だけは自分で新規に設計した。それに顔は……」


 そこで言葉を切ると、スヴェンは背後にいるクエルの方を振り返った。


「分かるだろう?」


 クエルはスヴェンに頷いた。その口元に浮かぶ優し気な笑みは、間違いなくフリーダの物だ。


「17になって、大人の仲間入りが出来たことを、天国の母さんへ見せたかったんだ」


 そこでスヴェンはクエルの胸を指でついた。


「忘れるな。お前が国家人形師になって、最初に動かす人形は俺が作る。今度は間違いなく間に合わせる。だから絶対に通れ。それに今から貯金しておけ」


「スヴェン。絶対に通るよ。今から貯金もしておく!」


「フフフフ!」「ハハハハ!」


「それはそうと、選抜に通ったら、少なくとも一年は国家人形師養成学校に缶詰になる。だからその前に、一度うちへ遊びに来てくれ」


「親父から休みをもらって行くよ。お前が動かした侍従人形を見せてくれ。エンリケさんの動く人形を見たいんだ」


 そう告げたスヴェンが、クエルの肩を乱暴に叩いた。


「いて!」


「悪い。怪我をしているのを忘れていた。だけど選抜の前の大事な時期に、なんて怪我をしているんだ? いくらなんでもドジすぎだぞ!」


「お前には言われたくない!」


「なんだと!」


「クエル様」


 背後から響いた声に、胸ぐらを掴んで、どつき合いを始めかけていた二人の動きが止まる。振り返ると、セシルが怪訝そうな顔をして二人を見ていた。


「フリーダは?」


「まだ工房の皆様とお話をされています。フリーダ様は人形の機構に、とてもお詳しい様ですね」


 フリーダが人形の機構に詳しいと言うのは本当だ。何せ子供の頃から何度もここに来ている。


 その度にどう考えても、子供に説明するものとは思えない、可変カムに関する動力伝達比がどうとか、素材に対する加護限界やら、普通なら門外不出な話を山ほど聞かされていた。


 その結果、フリーダはアルツが真顔で、うちの工房を継がないかと言うぐらいに、並みの人形技師などより人形の機構に詳しくなっている。


 最近では工房の弟子達が、フリーダに技術的な相談をするなどという、本末転倒な現象も起きているぐらいだ。


「私には全く分かりませんので、先に戻らせて頂きました」


 そう言うと、セシルは二人に肩をすくめて見せた。スヴェンは納得したようにウンウンと頷いている。


 クエルとしては人形が何を言っているんだと思ったが、意外と人形自身は、自分の体の事をよく分かっていないのかもしれない。


「そんな事よりクエル様、先ほどのお話は本当でしょうか?」


「えっ、なんの話?」


「選抜とやらに受かったら、当分はお屋敷には戻れないという話です。クエル様の侍従として、聞き捨てなりません」


 そう告げると、セシルはクエルを問い詰めるように、一歩前へと進んだ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。今、クエル様の侍従って言ったよな?」


 凍りついたみたいにセシルをガン見していたスヴェンが、我に返ったように、クエルの襟元を締め上げつつ声を上げた。


「おい、クエル。この子はフリーダさんのところの侍従さんではなくて、お前のところの侍従なのか!?」


「え、あ、あの……」


 クエルはスヴェンの剣幕に慌てふためいた。


「はい。挨拶が遅れまして申し訳ございません。クエル様の侍従をさせていただいております、セシルと申します。どうかお見知り置きの程を、よろしくお願い致します」


 丁寧にあいさつをして見せたセシルに、スヴェンは慌ててクエルの襟元から手を離すと、深々と頭を下げた。


「あ、あの、お、僕は、スヴェンっです。よ、よろしく、お願い、し、します!」

 

「はい、スヴェン様。こちらこそよろしくお願いいたします」


 再び頭を下げたセシルに対して、スヴェンは調子の外れた水飲み人形みたいに、ペコペコと頭を上げ下げして見せた。だがすぐにクエルの方を振り向く。


「どういうことだ。フリーダさんの隣に住んでいて、幼馴染というだけでも殺してやりたいぐらいに羨ましいのに、こんな可愛い天使がお前の侍従だって! 本当なのか?」


「た、多分そうです」


「一体どんな魔法を使ったんだ? いや、悪魔に魂を売ったんだな。そうだろう!」


 スヴェンの言葉に、クエルは思わず頷きそうになる。セシルはクエルとスヴェンのやりとりを無視すると、明らかに不機嫌そうな表情でクエルを見上げた。


「それで、先ほどの話はどういう事でしょうか? ご説明をお願いします」


 そう問いかけるセシルの目は真剣だ。


「選抜に通ると、国家人形師養成学校に入学することになるんだ。その学校は全寮制で、最初の一年はそこで缶詰になって、みっちりと……」


「つまり、お屋敷には戻らないと言う事ですね」


 セシルがクエルをジロリと睨む。


「は、はい。そうなりますね」


「ではその間、セシルはどうすればいいのでしょうか?」


「学校が終わるまで、家で留守番をお願い出来れば……」


「はあ?」


「だから留守番をですね……」


「侍従とは、常にご主人様の側でお仕えすべきものです。あり得ません!」


「そうは言っても、こればっかりは……」


 クエルの言葉に、セシルが大きくため息をついた。


「分かりました。では私も人形師になって、国家人形師養成学校とやらに入学すれば、何も問題はありませんね」


 そう言うと、セシルはクエルに向かってにっこりとほほ笑んで見せた。

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