親友
クエルたちが客間の扉を開けると、そこにはアルツの工房で働く職人や弟子たちの姿があった。
工房の全員が集まったとしか思えない人数がおり、皆が扉の先にいるフリーダを注目している。
その熱気と迫力に、フリーダは一瞬たじろいたが、すぐににっこりと微笑むと、集まる人達に手を振って見せた。
「皆さん、お久しぶりです」
「フリーダお嬢さん!」
「いらっしゃい!」
「おはようございます!」
そこに集まった人々が次々に声を上げた。若い者たちだけではない。工房を先代から手伝っている年嵩の男たちも、フリーダに親しげに声をかけてくる。
「フリーダお嬢ちゃん、本当にお久しぶりです」
「ルシアノおじさん! こちらこそ、ご無沙汰してすいません。腰は大丈夫ですか?」
フリーダがその中でも一番年上の、塗装を担当しているルシアノの手を取ると、とても嬉しそうに、そして心配そうにその顔を覗き込んだ。
手を握られた老人は、少しだけ曲った腰を伸ばして嬉しそうな顔をしたが、自分の手を見ると、慌ててその手を引っ込めようとした。
「手が汚れてしまいますよ!」
「おじさん、何を言っているんですか? ここは工房ですよ!」
そう言うと、フリーダは水色とピンクの色がついた自分の手を、ルシアノに向かってひらひらと振ってみせた。その顔は本当に無邪気で、とても楽し気だ。
「そりゃそうだ!」
「はい。そうです!」
ルシアノの声にフリーダが元気よく答える。
「お嬢さん、よかったら俺の仕事を……」
「ちょっと待て、さっきくじ引きした順番を忘れたのか!」
「ふふふ、今日は時間が一杯ありそうですから、皆さんの作品をじっくりと見学させて下さい。それよりも、皆さんに作って頂いたギガンティスを壊してしまって、申し訳ありませんでした」
フリーダが集まった皆に頭を下げた。
「壊した? お嬢ちゃんがかい?」
ルシアノがあっけに取られた顔をして、フリーダに問い直した。
「すいません。動かして早々、ちょっとやんちゃな事をしてしまいまして……」
フリーダがさもばつの悪そうな顔をして見せる。
「おおおお……」
ルシアノの皺だらけの口から小さく呻き声が漏れた。
「おおおおおおお!」
続いて集まった弟子達の口からも、大きな叫び声が上がる。
「お嬢ちゃんが、儂らの作った人形を動かした!」
「本当にごめんなさい」
フリーダが再び頭を下げると、それを見た男たち全員が、フリーダに向かって全力で手を横に振って見せた。
「あの程度のヒビなど、気にしなさんでください。儂らで速攻で直します!」
「お前ら、すぐにミスリル粉末と炉の準備だ。今度は絶対に割られないよう温度を上げまくれ! アルツ工房の意地にかけて、二度と割らせん!」
「耐圧塗装を堅牢加護付きの3重鏡面塗装、いや、5重塗装で仕上げるぞ!」
ルシアノを始めとした、工房の部門長たちが声を張り上げる。
「もう、皆さんの作品を見るのが先ですよ!」
「あっ、そうか!」
集まった人達の間から笑い声が漏れる。その声にクエルも笑みを浮かべた。いつもそうだ。フリーダの周りには人が集まり、そして笑い声が上がる。その笑みは春の日差しみたいに暖かい。
「皆さん。今日は私からも、皆さんにご紹介したい事があるんです!」
フリーダはそう告げると、まるで何かの重大発表をするかの様に「エヘン」と咳払いをしてみせた。集まった男たちが、何事かと互いに顔を見合わせる。
「ジャ――ン!」
フリーダは謎の効果音を口にすると、クエルの後ろに隠れていたセシルを引っ張り出した。そして横から思いっきり抱きしめてみせる。
「セシルちゃんです。私の待望の妹ですよ!」
「妹!」
男たちがびっくりした顔でフリーダを、そしてセシルを眺めた。
「皆さん、なんですか? ここは全員で拍手するところですよ!」
その反応にフリーダがちょっとだけ不満そうな顔をして見せると、我に返った男たちが、一斉に渾身の拍手を始めた。
バチバチバチバチバチバチ!
「あ、あの。侍従のセシルと申します。皆様、よろしくお願いいたします」
呆気にとられた顔をしながらも、セシルは侍従服の裾を持つと、丁寧に頭を下げた。
「美、美少女だ……」
誰かの口から声が漏れた。
「ふふふ、そうでしょう。セシルちゃんは可愛いのです!」
「おおおおおお!」
再び男たちの口から叫び声が上がった。そして我先に自分の仕事ぶりを見せようと、フリーダを囲んで工房の奥へと移動していく。
なぜかセシルも巻き込まれて、一緒に工房の奥へと連れ去られた。
「フ――」
まるで嵐のような展開に、思わずため息を漏らしたクエルの肩を、誰かがポンと叩く。
「いて!」
その叩き方は少しばかり乱暴で、腕に響く痛みにクエルは思わず悲鳴を上げた。
だが叩いた当人、友人のスヴェンは薄くそばかすを浮かべた顔を、工房の奥で何かの部品の説明を受けているフリーダへと向けている。その表情はどこか夢心地だ。
「フリーダさんって、めちゃくちゃ可愛いよな。それにあんな天使まで連れてきてくれるだなんて!」
「天使? 一体誰のことだ?」
クエルは首を捻った。スヴェンが何を言っているんだという顔で、クエルを見る。
「あのあどけない笑顔に、お下げ髪だぞ。侍従服もバッチリ似合っている。あの子が天使でなかったら、一体誰が天使なんだ?」
「もしかして、セシルか!?」
「他に誰がいるんだ? クエル、お前もそう思うだろう?」
「そ、そうね。確かに可愛いかもしれないけど……」
あれは天使なんかではなくて悪魔だと、クエルの口から出かかったが、親友の妄想を壊さぬよう、クエルは必死に口をつぐんだ。
「はあ? 毎日フリーダさんを見ていて、基準がおかしくなっているんじゃないのか? それはそうと、その腕はどうしたんだ?」
スヴェンは不思議そうな顔をして、ギプスに固められたクエルの両腕を眺めた。
「これか? フリーダの誕生日会の帰りに、流民……」
そう言葉を漏らしかけて、クエルは慌てて口を閉じた。この件は王都守護隊からも、ギュスターブからも口止めされている。アルツもかん口令が引かれていると言っていた。
それにクエルはフリーダの招待客からも襲われている。なぜ襲われたのかも未だによく分からないが、フリーダも含めて、クエルは襲われた事を誰にも漏らしてはいなかった。
誰かに漏れて、再びフリーダを危険な目に合わせるのだけは、絶対に避けなければならない。絶対にだ。
でもいつかは誰かが、自分の口を塞ぎに来るのではないだろうか? それを考える度に、クエルの心に暗い闇が落ちた。
「どうした?」
思わず考え込んでしまったクエルに、スヴェンが心配そうに声をかけた。
「る、流民に気をつけろと言われていたのに、転んでしまって……」
「相変わらずドジだな」
「そ、そうだな。それよりも最近はどうなんだ。今年は選抜の年だから、忙しかったんだろう?」
慌てて話を振ったクエルに、スヴェンが少し自慢気な表情を浮かべて見せた。
「確かに大変だったよ。10歳からここで世話になって、やっと仕事らしい仕事をさせてもらえる様になったんだ。流石にまだギガンティスには関われなかったけど、他に注文があった人形について、部品の設計を任されたよ」
「へー、そいつはすごいな!」
「もっとも設計と言っても、動力系なんかはまだ手も着けさせて貰えていない。だけど孤児だった俺を引き取って、ここまでにしてくれたんだ。アルツの親父には本当に感謝している。少しは役に立つようにならないとな」
だがスヴェンはそこで小さくため息をついて見せた。
「でもギガンティスの胸甲の割り方なんて、俺に分かる訳がないと思うんだけど……」
「違うよ。いつか分かる様になれってことさ」
「フフフフ」「ハハハハ」
クエルとスヴェンは二人で含み笑いを漏らした。
「そうだ、クエル。お前に見せたいものがある」
そう言うと、スヴェンはクエルに向かって工房の資材倉庫の方を指差した。そして口元に小さく指を当てると、そちらへとさりげなく移動していく。
クエルも目立たぬようにその後を追った。もっとも他の人達は、フリーダに自分達の仕事ぶりを見せるのに必死で、クエルとスヴェンの二人の事など誰も見てはいない。
スヴェンはクエルを資材倉庫のさらに奥、廃棄予定品らしきものが積まれた一角へと案内した。
「驚くなよ」
スヴェンはそう告げると、油まみれの厚布に手をかけて引っ張った。舞い上がった埃が、明かり窓から差し込んだ光に辺りを舞う。
「こ、これは……」
クエルの視線の先には一体の人形の姿があった。
「サラスバティ。俺が組んだ人形だ」
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