親方
「どうぞおすわりになってください。もっとも、茶菓子ぐらいしかありませんが……」
アルツは自分でお茶と一緒に、三色に色付けされた、とてもかわいらしいお菓子をクエル達の前へと差し出す。
他の工房主とは違い、アルツは自分の雑用に弟子を使ったりはしない。普段の言葉使いこそ乱暴だが、弟子の扱いはとても丁寧だった。
「すごく美味しそう。こんな立派なお菓子をいただいてもいいんですか?」
「はい。どこかの人形師が手土産に持って来たものですよ。遠慮なくどうぞ。そちらのお嬢さんも遠慮なく」
「はい。頂きます! セシルちゃんも一緒にいただきましょう!」
セシルに皿を差し出すと、フリーダは一口でお菓子の半分を一気に頬張った。そしてとても幸せそうな顔をする。
「こちらは新しく雇われた侍従さんですか?」
「あ、ご…ごめ…なさい……」
頬張ったお菓子をやっと飲み込んだらしいフリーダが、いきなりセシルの肩に抱きついた。
「アルツおじさん、聞いてください! 待望の妹です!」
「えっ、妹って、まさかギュスターブの隠し子!?」
「えっ! それならそれで、いいなーですけど。本当はクエルの家で働く事になった、侍従のセシルちゃんです。もう、本当はクエルが紹介しないとダメでしょう!」
フリーダはクエルに思いっきりため息をついて見せた。
「侍従でいいんですよね?」
アルツが当惑した顔でセシルを見つめる。
「はい。東領から流れて来たのを、クエル様に拾っていただきました。セシルと申します。どうかお見知り置きのほどをよろしくお願いいたします」
そう告げると、セシルはアルツに向かって丁寧に頭を下げた。
「こちらこそよろしく。俺はアルツというもので、人形技師をやっている。ちょっと待て、お嬢ちゃんの家じゃなくて、坊主の家で働いているのか?」
そう言うと、アルツは疑わしそうな目でクエルをじっと見た。その視線に、クエルの体が思わず仰け反りそうになる。
「おじさん、違いますよ。私の待望の妹です。クエルの世話なんか指一本する必要はありません。クエルがセシルちゃんの世話をすればいいんです」
フリーダが真顔でアルツに告げた。
「なるほど。それよりもお嬢ちゃん。東領の流民の人形師とやり合ったと言うのは本当ですかい?」
「はい」
「それと、坊主の怪我もその時のものか?」
「はい。流民に捕まってしまった時のものです」
アルツの問に、クエルは素直に答えた。赤子の頃からこちらを知っているアルツに、見栄を張る必要はない。
「あの穴を開けたのは?」
「灰色の騎士姿をした人形でした。相手の人形師は若い男性で、歳は私やクエルとそう変わらないと思います。槍と盾が腕と一体になっていて、槍は攻撃時には普段の二、三倍には伸びる感じでした。あの穴はその槍に開けられたものです」
アルツの顔が、人形技師らしい真剣な表情になった。
「ギガンティスの胸甲に穴を開けられたと言うことは、間違いなく穿孔属性持ちですね。それも相当に強い加護が盛ってあるやつだ」
アルツがそこで首をひねって見せる。
「ですが、それだけではとても無理です。相手の人形師自体の力量も、相当なものでないと穴など開かない。お嬢ちゃん、一体どうやってそれを?」
「はい。わざと隙を作って、槍をギガンティスの両手で押さえ込みました。でもその際に、胸に穴を開けられてしまいました」
フリーダの台詞に、アルツの体がしばし固まる。どうやら本当に驚いているらしい。
「いや、お嬢ちゃん。流石は
「おじさん、間違ってますよ。それを言うならお父さんの娘です」
「あっ、そうでしたね。すみません」
フリーダの言葉に、アルツは短く切り揃えられている頭を掻いた。だがすぐに真顔に戻る。
「お嬢ちゃん、坊主、これはあんた達で、しかも当事者だから教える話です。絶対に他言無用で頼みますよ」
アルツの真剣な顔に、クエルもフリーダも慌てて頷いた。
「先日、狩の森で王都守護隊の一隊が、森に潜む流民たちを一掃しようとして、逆に大打撃を受けました」
「王都守護隊がですか?」
王都守護隊は精鋭のはずだ。思わず声を上げたフリーダに、アルツが頷いて見せた。
「そうです。流民ごときと舐めていたのが原因でしょうが、かん口令が引かれるぐらいですから、相当痛い目にあったのだと思います。実際、この辺りの工房には、王都守護隊からの修理の依頼が山程来ています」
そう告げたアルツが、うんざりした顔をする。
「それだけじゃありません。新規の人形を、可及速やかに納品しろとのお達しです。選抜向けの納品が終わって、やっと一段落したところだと言うのに、どの工房もてんやわんやの騒ぎですよ」
「お忙しいところ、ご迷惑をお掛けしてすいません」
アルツの台詞に、フリーダがさもすまなさそうに頭を下げた。
「いや、お嬢ちゃんが気をもむ話じゃありません。それに来たのも断りました」
「断ったんですか?」
その言葉にクエルは驚いた。新規の、それも国からの発注は、工房にとっては大きな商いのはずだ。
「選抜向けで、うちのものも根を詰めていましたからね。この仕事はたまに頭を空っぽにするのも大事なんです」
「そうですよね。でもクエルの頭はいつも空っぽだから、少しは根を詰めた方がいい気がします」
「ははは、違いない」
アルツとフリーダがクエルを見ながら笑い声を上げた。クエルとしては異義ありと言いたいところだが、ぐっと我慢する。
言ったところで、三倍ぐらいになって、文句が返ってくるだけだ。
「でもおじさん、聞いてください!」
「このおっさんを驚かせるような話が、まだ残っているんですか?」
フリーダがアルツに満面の笑みを浮かべて見せた。
「どちらかと言うと、それをおじさんに言いたくて、うずうずしていたんです。クエルも人形師になったんですよ! 私と一緒に選抜を受けるんです!」
「人形師? 坊主、お前が人形を動かしたのか?」
アルツが驚いた顔をしてクエルを見る。
「はい。でも侍従人形です」
「侍従人形?」
クエルの答えに、アルツが僅かに表情を変えた。
「ええ、ちょっと変わっていますけど、とっても素敵な侍従人形さんです」
「それはよかったな。エンリケはさておき、セラフィーヌは坊主のことを人形師にしたいと思っていたからな……」
そう告げるアルツの表情は、温和なものに戻っている。
「そうだったんですか?」
クエルは思わずアルツに問いかけた。母の口からは一度もそれを聞いたことはない。
「操り人形がこれだけ上手にできるのだから、絶対に人形師になれると言っていた。最もエンリケは頭を掻いていたけどな……」
「絶対にそうです!」
賛同の声を上げたフリーダを、クエルは白けた目で見た。これは間違いなくアルツの出来の悪い冗談だと思うのだが、フリーダはそれを全く理解していないらしい。
「親方、ギガンティスを作業台の上に設置しました」
客間の外から声が響いた。それに大勢の人間がいる気配もある。
「お嬢ちゃん、修理にかかる見積もりをしている間、外にいる奴らの仕事ぶりを見てやってくれませんか? お嬢ちゃんを独占していると、奴らが俺の茶に変なものを入れかねないんでね」
「はい、おじさん。私もそれを楽しみにして来ました。でも、おじさんに誰もそんな事はしませんよ」
「そうですかい? 俺は自分の師匠に山ほどやってやりましたよ」
その台詞にどちらが返答するかについて、クエルとフリーダは互いに目で押しつけ合いをした。
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