成長

「お前の頭の中の振り子は、起きてから今まで何往復した」


 人気のない河原にセシルの声が響いた。僅かな星明かりを除けば、足元にある覆いを落としたランタンの黄色い光だけで、辺りは真っ暗闇だ。


「46856、46857……」


 クエルの答えに、小柄な人影が満足そうに頷く。


「よいぞ。大分まともになった。それを常に維持しろ」


 アルツの工房から戻って以来、クエルは夜な夜なこうして河川敷まで来ては、セシルと人形を繰る訓練が続いている。


 昼間は昼間で、まだギガンティスの修理が終わらず暇なフリーダが訪ねてきたり、フリーダの家へ連れて行かれたりで、全く休めていない。


 なので昼間は欠伸ばかりしては、フリーダに小言を言われ続けていた。もっとも夜は夜で、人形の繰り方についてセシルに小言を言われ続けている。


「今晩からは実践訓練だ」


 セシルはクエルにそう告げると、覆いを落としたランタンを持ち上げた。そこから漏れる微かな灯りが、セシルの背後にいる人形を照らし出す。


 明かりに浮かぶ人形には、優しげな女性の顔と二組の腕がついていた。その腕は優美な曲線を描く、少し細身の上半身へと繋がっており、そこからやや大振りな下半身へと続いている。


 その姿は奉納の舞を踊る巫女の出で立ちにも、男を誘う街角の女の何れにも見えた。


「セシル、人形が人形を繰るなんて事ができるのか?」


 クエルは工房から戻って以来、ずっと気になっていたことをセシルに聞いた。


「深遠なる世界樹の化身たる我に、どうしてそれが出来ないなどと思うのだ?」


「だって、何か変じゃないか?」


「もちろん我がサラスヴァティと同期をすることはできない。あくまで同期はお前とサラスヴァティの間で行う必要がある。我はそれの中継役だ。だが他の者から見れば、我が同期を行っているようにしか見えぬだろう」


「やっぱりそう言う事か……」


「それにサラスヴァティを動かすのもマスター、お前だ」


「えっ! 全く動かした覚えはないのだけど」


「今度は逆だ。我がお前を経由してサラスヴァティを動かしたのだ。だが他の者からは、我が動かしたように見えるはずだ」


「ちょ、ちょっと待て! セシル、お前は僕を操れるのか?」


「操る? マスター、言葉を選べ。我がお前の潜在意識のあるべき姿に語りかけただけの事だ」


「その潜在意識のあるべき姿というのが、僕には全くもって理解できないのだけど?」


「我と同期を取るときに、我の胸の膨らみが気になったり、我が天井の灯りを掃除する時に、スカートの中が気になったり……」


「それは潜在意識じゃなくて妄想だろう? それに僕はそんなことを思ったりしていない!」


「マスター、本当にそうだと言い切れるのか?」


「待てセシル、話がずれているぞ。潜在意識がどうのこうのはいいとして、結局は君が、僕を操っていることになるんじゃないのか?」


「我とお前は二つにして一つ、一つにして二つだ。我が人形を動かしているのではない。我とお前とで動かしているのだ。だからお前が動かせぬものは、我にも動かせぬ」


「そうだとすると、サラスヴァティと僕とで君を動かすことは出来るのか?」


「論理的にはそうだな。もっともそれは我が、サラスヴァティから動かされることを受け入れればの話だ。それにマスター、お前はいつでも我を望むままにできる。今すぐ我をその腕に抱くことだって出来るのだぞ」


「話をそこへ持っていかないでくれ。でもサラスヴァティがそれを受け入れているという事は……」


「そうだ。サラスヴァティは二つにして一つ、我らをマスターとして受け入れているのだ」


 そう言うと、セシルは背後に立つサラスヴァティへと視線を向けた。


「だが先ずはお前が人形師として成長せねばならぬ。我と我の化身、それにサラスヴァティを動かすだけの力を持たねばならない。選抜とやらを通った後も、我がお前の側にいるにはそれが必要だ」


「あの~、家で留守番しているという選択肢は……」


「あり得ん!」


 セシルはそう断言すると、クエルをじろりと睨んだ。


「優秀な人形師は常に複数の人形を操れる。そのための思考の並列化と意識選択の技だ。人形師とは己の精神を分割、統合する技を備えた者と同義でもある」


 クエルはセシルの言葉に頷いた。それは父のエンリケからも、幾度か聞いた話だ。


「だが気をつけろ。精神の限界は肉体の限界と違って分かりづらい。分割された思考の中で発生した事象を認知できずに、いきなり精神が破壊されることもある。で、頭の中の振り子は何往復した?」


「47942」


 クエルの答えに、セシルは満足そうに頷いた。


「そうだとすると、一つ気になる事があるのだけど……」


「何だ?」


「サラスヴァティには腕が二組あるけど、それをうまく操ることが出来るだろうか?」


「お前は自分の体を動かすとき、それを意識するか?」


「特にしないけど」


「そうだ。人形を己の体と同様に動かそうとすると、己の体に結びつけて動かすのがもっとも簡単だ。だから人形の大半は人を模して作られる。逆に言えば、そうでない人形を繰るのは、それなりの修練が必要だ。あるいは決まった型での動きになる」


「森で蛇みたいなやつに襲われた時も、そうだったのか?」


「あの人形師もどきは、決まった型でこちらを攻撃してきた。だからこそ我らはやつの攻撃を避けられたのだ。あれがまともな人形師であれば、我らはすでに馬と同様、真っ二つになっている」


「つまり、二本目の腕があることは……」


「修練が足りぬ者であれば、うまく動かせぬというより混乱するだけだろう。それか型による決まった動きになる。だがそれを自由に動かせれば――」


「相当な優位性を持つという事か……」


「まともな人形師なら、そうあるべきだな」


「セシル、僕には時間がない。それが出来るだろうか?」


「マスター、心配するな。お前はもう出来ている」


「えっ!」


「お前は常に我の手や足を動かすことを考えているか? 我に何かしろと命令しているか?」


「はあ? どう考えても、勝手に動いていると思うけど……」


「勝手だと!? 何を言う、我はお前と二つにして一つ。お前の肉体と同様に、潜在意識よりさらに深い所でつながっているのだ」


 そう言うと、セシルはクエルの胸を指でトンと突いた。


「サラスヴァティの腕も、お前なら何の問題もなく操れるはずだ。お前が繰った操り人形は、お前の手や足と直接につながっていたか?」


「もちろん手板や棒で……。そうか!」


「自分の手足ではなかっただろう? 間接かつ、少ない操作で多くのことを成す修練をつんできたのだ。だが多くの人形師は、己の意識と型を紐付けることでしか繰れていない」


「セシル、やっと分かったよ。どうやら母さんやフリーダの当てずっぽも、意外と当たっていたという事か?」


「調子に乗るな。お前にはまだまだ学ぶべき事や、積むべき修練がある」


「でも不思議なんだけど、僕はさておき、フリーダにも人形を与えるのが遅すぎやしないか? もっと前から与えていれば、もっと早くに準備が出来たと思うのだけど……」


「マスター、違うぞ。やっとそれを出来る日が来たのだ。お前は精神の成長がどう言うものなのか、分かっているのか? 肉体を鍛えるのとは全く違うぞ」


 セシルは一歩前へと進むと、クエルの額を指でトンとつついた。


「精神の成長とは、経験と思考の積み重ねなのだ」


 セシルの額をつつく指に力が入る。


「人形と結合するというのは、己の精神の一部を人形に明け渡すのと同じだ。未熟な者が人形と結合すれば、その大半を人形へ明け渡すことになる。まさにだな」


「僕はまだまだ未熟だ……」


 湧き上がってくる焦りに、クエルは思わずつぶやいた。


「マスター、それがお前のもっとも大事な資質だ。謙虚さと素直さ、それこそが成長に一番重要な要素なのだ。同時に多くの者がすぐに失ってしまうものでもある。マスター、己を信じろ。自信を持つことと、謙虚であることは常に同居できる」


 セシルはそこで侍従服の裾を持ち上げると、クエルに向かって小さく微笑んで見せた。


「そして私は常にあなたのお側におります」


 その姿に、クエルは思わず首の後ろが熱くなるのを感じる。


「ふふふ。我の本来の魅力が少しは分かったか。それも素直さの一部だな。時間もない。化身たる我を維持しつつ、セレンを繰るのだ。そして我の繰るサラスヴァティを押さえてみよ」


「この暗闇でか?」


「マスター、お前はやはり愚かだな。我の目で見るがいい。お前は我でもあるのだぞ」


 セシルはクエルの背後にいる侍従人形、自分の本身たるセレンを指さした。

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