流民
「エーリク、それを振り下ろすのは待ってくれないか?」
クエルの背後から声が聞こえた。張りのある男性の声だ。その声に人形の槍がクエルの目の前で止まった。
「ヘラルドさん、無事で良かったです。遅かったので、とても心配していました!」
少女の声が響く。その声は先程のクエルに対するものとは違い、とても嬉しそうだった。
「マーヤ、心配を掛けてしまってすまない。色々と確認することがあってね」
その言葉と共に、一人の男性が暗闇の中から姿を現した。クエル同様、少し黒いくせ毛の男性で、彫りが深めの顔には朗らかな笑みを浮かべている。その背後からは一匹の獅子が続いていた。
正しくは獅子の姿に似ているが、その体は長い毛に覆われている。その尾は紐の様に長く、とてもちぐはぐした印象を持つ体をしていた。もちろんそんな生き物はいない。男性の人形だ。
「ヘラルドさん、心配しましたよ」
猫背の男も男性に声をかけた。そこに集う男たちも、次々と男性の元へと集まってくる。男性はそれぞれに肩を叩いたり、軽い冗談を返したりした。
やがてクエルの方へ歩み寄ると、地面に横たわるその顔を覗き込む。
「エーリク、その足をどけてくれないか。彼と少し話をしたいんだ」
少年が背後を振り返ると、少女は少年に頷いて見せた。クエルの背中から人形の足が下ろされる。
「ありがとう。彼女は君の人形かい?」
男性はクエルの前に倒れているセシルをちらりと見ると、そう問いかけた。クエルは男性に頷いて見せる。
「素晴らしいパートナーだな。彼の彼女を思う気持ちは本物らしい。なにせ逃げ出すより、彼女を優先したのだからね」
男性は背後を振り返ると、腕組みをしてクエルを見つめる少女に向かって、諭す様な口調で告げた。そして再びクエルの顔を覗き込む。
「私はここにいる者たちのリーダーをしている、ヘラルドと言うものだ。君は?」
「クエルです」
「クエル君、君は私たちのことを単なる流民だと思っている様だが、そうではない。私たちは東領の自治を得るべく活動をしている。つまり請願者だよ」
そこで男性は立ち上がると、背後に立つ人々を指し示した。
「ここにいる皆は、王家が派遣する東領伯とその軍に、家族や親しいものを殺されたり、土地を奪われたりした者だ。そしてもう何も奪わせたりはしないと決めた者たちでもある」
ヘラルドの言葉に、少女やそこにいる男たちが頷いて見せる。
「私達は自分達の故郷を、そこにいる人々を守る為にいる。君が君の人形を守りたいと思っているのと同じだよ。だが王家を含め、この王都にいる者たちは、私達を流民や盗賊扱いにして一掃したいらしい。その為の準備を着々と整えている」
ヘラルドはそこで言葉を切ると、クエルの顔を覗き込んだ。
「だが我々は決して諦めたりはしない。君にはそれを、君の親しい者達へ伝えてもらいたいのだ」
「ヘラルドさん、まさか!」
少女はそう叫ぶと、ヘラルドへ詰め寄ろうとした。だがヘラルドが片手を上げてそれを押し留める。
「マーヤ、私たちには私たちの活動に賛同してもらえる人達が必要だよ」
その言葉に少女の顔色が変わった。
「この男は王都の閥族、我らの敵です! こいつらこそ真っ先に排除すべき奴らです」
「そうかな? 彼は本当にその一族の者なのかな?」
ヘラルドの言葉に、少女の顔に当惑の色が浮かぶ。
「私は違うと思うな。閥族の者たちは人形に対して、彼の様に親愛の情など持たない。王都にも、王家や閥族たちの事を心よく思っていない人たちはいるはずだ。我々はその人達こそ味方につけるべきだよ。ましてや、それを殺して回るなんてのは論外だ」
ヘラルドはクエルの元を離れると、そこに集う者たちの中心へ歩み出た。
「王都守護隊がここを囲みつつある」
「すぐに逃げないと!」
猫背の中年男性が声を上げた。だがヘラルドはその台詞に首を横に振って見せた。
「それでは相手にこちらの背中を追われるだけだ。一部の者で陽動を行い、向こうを誘い出す。こちらの事を舐めてかかっているから、間違いなく乗って来るだろう。その背後から一撃を加えて、相手を混乱させてから脱出する。マーヤ、君には陽動隊を率いてもらう」
「ヘラルドさん、了解です!」
先ほどまで苦虫をかみつぶしたみたいな顔をしていた少女が、元気よく答えた。
「でもマーヤ、君の隊はあくまで陽動だよ。間違っても、頭から突っ込んで行ったりは無しだ」
ヘラルドの言葉に、辺りから苦笑が漏れる。その反応に、少女がふくれっ面をするのが見えた。どうやらこちらが彼女の地らしい。
フリーダに似ているのは、見かけだけではないのかもしれない。何が彼女にあれほどの恨みを抱かせているのだろう? クエルはふとそんな事を考えた。
「ブスカさん、あなたには先行して退路の確保をお願いしたい」
そう告げたヘラルドは、クエルのところまで戻ってくると、その手を結んでいた紐を切った。
「なので我々で君を送っていくことはできない。ここから無事に帰れるかどうかについては、君の努力次第ということでお願いする。君に幸運があらん事を」
そこで少し考える様な顔をすると、森の奥へと視線を向けた。
「最も君には幸運なんか要らない気もするけどね」
ヘラルドはクエルに対し意味深げに頷くと、手をくるくると回して見せた。それを合図にランタンの灯が消え、急に深い霧が立ち込めてくる。
何も見えなくなったクエルの耳に、何かが動き、そしてここから去っていく音がきこえた。再び静寂が戻ってくる。
霧は徐々に消えていき、再び月の明かりが辺りを照らす。気がつけば、クエルは林の中に一人佇んでいた。
ホ――!
クエルの耳に、何処かでフクロウが鳴く声だけが聞こえる。いや違った。クエルの足元には動かぬセシルの姿があった。
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